あやかしの棲む家
文通の話から広がってしまったが、慶子が静枝の部屋を尋ねてきた理由があるはずだった。
「正直、手詰まりですの。過去の文献や手紙など、この屋敷に何も残っていないのが不思議で仕方ないですわ。だってこんな重大な事、何かしらの形で後世に伝えるのが普通ですわよね?」
何も残っていない。静枝は母からの手紙のことを慶子に伝えていないのだ。
「一族の呪いについては口伝でしか伝えられていないわ。それも偽物の母からしか」
そう答えながら静枝も疑問を持っていた。
母――智代と同じように後生に伝えようとした者はほかにいなかったのだろうか?
いた可能性はあるだろう。ただし、智代がそうしたように、公に伝えることはできなかったはず。未だ見つからないままになっている過去からの手紙が存在しているかもしれない。
もしくは――。
「処分されたと考えるのが妥当だわ」
と、静枝は囁いた。
偽りの母。それは真実を隠そうとする存在。そのような者が過去の手紙などを残しておくはずがなかった。
静枝は唇を噛み絞めた。
「殺さないでもっと聞き出せばよかったわ。でもあの時はそんな余裕なんてなかったのよ」
アレが一族に呪いを掛けた張本人だったのか?
未だ呪いは解けず。
母に成りすましていたアレを殺しても、なにも変わっていない。
屋敷で生き残っている静枝は妊娠をした。
なにも変わらないのであれば、双子を出産すると決まっている。
「過去を悔やんでも仕方がありませんわ。静枝さんは過去に干渉することができて?」
「過去は変えられないから未来を変えろといいたいのかしら? そうね、そうするつもりよ、生まれてくる娘たちのために」
大きなお腹に手を置いた静枝を見つめる慶子。
「まだ聞いていないことがありましたわ」
「なにかしら?」
「なぜ双子の姉妹が生まれるかわからないんですの?」
「わからないわ」
「そこに呪いを紐解く糸口があると思いませんこと? 父親は誰ですの?」
「……父親」
静枝は呟いて黙り込んだ。
この屋敷に男はいない。
文通相手や屋敷に町からの荷物を運んでくる者たち、その程度でしか静枝は男を知らなかった。
静枝にとって男は非現実にも等しい存在だった。
では、どうやって妊娠をしたのか?
「父親はいないわ。ある日突然妊娠したのよ。それが外の世界では考えられないことで、おろらく不気味な事とされるのは承知しているわ。けれど、この屋敷で過ごしてきた私にとって、外の常識など関係ないの。この屋敷で起こっていることがすべてなのよ」
照らし合わせる常識がなければ、疑問の余地もない。
「本当に父親はいないんですの?」
「それは……」
「本当は何か心当たりがあるのではなくて?」
「…………」
静枝は黙してしまった。
そして、苦悶の表情を浮かべたのだ。
「生まれてくる子供が人間の子だと思う?」
不安そうな眼差しで静枝は尋ねた。
瞳に映っているのは慶子だったが、問うたのは自分自身かもしれない。
「なぜそう思うんですの?」
「外の常識なんて関係ないと言ったのは嘘よ。わたしは外の常識を恐れているだけ。だってわたしは人間なのよ、誰がなんと言おうと得体の知れないあんなモノたちとは違う。自分の子供が自分の子供とは思えない。わたしの躰から生まれてくるにも拘わらずよ。恐ろしいわ、なにが生まれてくるのか恐ろしくて堪らない。それとは裏腹にお腹が大きくなる度に、娘たちを愛おしく思うの。誰の子かなんて考えたくもない。わたしの子というだけでいいの。父親なんてはじめから存在しないほうがいいわ。もしも父親が……考えたくもないわ。そんなことあってはならないことなのよ」
静枝の視線は泳ぎ、挙動不審になっていた。
慶子は静枝の顔を押さえて自分に向けさせた。
「目を背けては何も変えられませんことよ。父親は誰ですの?」
「……わからないわ。本当にわからないの。ある朝起きたら、紅い血で汚れていたの。なにがあったのかは覚えていないのよ。わたしは怖くて、できる限り考えないようにした。でも月日が経って、妊娠を認めざるを得なくなった」
「父親は誰ですの?」
「わからないわ!」
静枝は大声を張り上げて慶子を突き飛ばした。
畳に腰を打ち付けた慶子を見ても静枝は治まらなかった。
「出て行きなさい、あなたの顔なんて見たくないわ! 消えなさい、消えるのよ!」
鬼の形相をして怒鳴り散らした静枝。
慶子は何も言わず部屋を出て、背中を向けてふすまを閉じた。
「父親が誰かなんて重要ではないわ。だってあんな顔をする女から生まれた子供が人間だと思って? うふふふふっ」
小さく小さく呟いた慶子は嗤いながら廊下の闇へ消えた。
作品名:あやかしの棲む家 作家名:秋月あきら(秋月瑛)