あやかしの棲む家
その下に現れた空洞。子供がひとり膝を曲げて入れるくらいだろうか。
中にはいくつかの物が収納されていた。
額に入れられたセピア色の写真。そこに映っていたのは和服を着た一〇代後半とおぼしき女。なんと女の額には二本の角が生えていた。
屋敷の閉ざされた部屋に貼られている御札と同じ物の束。
そして、なぜか入っている煙草の空き箱。
ほかにもいくつかの物が入っているが、静枝はその中から短剣を取りだした。
祭壇の上にある香木を短剣で削ぐ。欠片は手ぬぐいで包み懐に収められた。
短剣と祭壇を元に戻すと、静枝は早々にこの場から立ち去った。
祠を出ると、東の空が蒼く染まっていた。
屋敷へと戻った静枝は自室に籠もり、香を焚く準備をはじめた。
香炉に入った灰の中心に穴を開け、そこに炭団[たどん]を熾した物を入れ灰を被せる。
銀葉と呼ばれるものを灰に乗せ、さらにその上に香を乗せる。銀葉とは雲母の板で、雲母は絶縁体であるために、香が燃え上がらないように直接熱を伝えにくくする。銀葉と炭団の位置を調節することで、香りの量を決めることが可能だ。
香は不浄を払い、心を鎮めるために用いられることがある。西洋では振り香炉が宗教で用いられている。
静枝の表情は鎮まりとはほど遠く、恐ろしく歪んでいた。
「母の皮を被っていたモノは死んだのに、一族の呪いは未だ続いているのはなぜ?」
自らに問う独り言。
「なぜ双子が生まれ、なんのために……繰り返す運命の糸をどこかで切らなくては。すべては生まれてくる愛しい子らのために」
静枝は机に向かって筆を執った。
書こうとしているものは手紙であった。
宛名は――生まれてくる娘たちへ。
その書き出しは智代からの手紙とまったく同じだった。
手紙を書いていると、廊下から声がした。
「失礼いたします静枝様。夕餉の準備が整いましてございます」
「すぐに行くわ」
筆を置いて書き途中の手紙をその場に残し静枝は立ち上がった。
香り纏いながら静枝は部屋を出た。
食卓に着くと食事の準備はひとり分――静枝の物だけ。
「慶子さんは?」
と静枝が尋ねると菊乃が、
「忙しいので自室に食事を運ぶように仰せつかりました」
「そう」
短くうなずき静枝は席に着いた。
その後ろではなにやら瑶子が菊乃に耳打ちをしていた。
「あの……急に気分が優れなくなってしまって」
顔色が悪く今にも倒れそうだ。
「わかっております。もう今日は仕事をせず、部屋で休んでください」
「ありがとうございます。では一足先に休ませてもらいます」
菊乃に言われ部屋を出て行く瑶子。
そして、静枝が呟く。
「香に当てられたのね」
美咲は自室に美花を連れてくると香を焚きはじめた。
香りが部屋に漂いはじめると、美花は少し眉をひそめて苦しそうにした。
「どうしたの美花?」
「急にのどが苦しくなったような気がして。ごめんなさい、この匂い苦手です」
「私もよ」
「え?」
「私もこの匂いを不快だと思うわ。好きで焚いているわけではないのよ。邪魔者を寄せ付けないため」
邪魔者とは何か?
「美花も気づいているでしょう? この屋敷に棲み着いた得体の知れないモノどもがいることを」
「物音や気配のことですか?」
「ほかにもいるわ――この香に反応するモノたちが。瑶子もお母様も鬼の子も、この匂いが苦手みたい。唯一なんともないのは菊乃だけみたいね。慶子先生はわからないけれど」
「それではほとんどみんな反応することになるのではないですか? だって、わたしやお姉さまだって」
「香にたいしてどのような反応を示すのが正常なのか、それはわからないわ。無反応の菊乃は明らかに可笑しいと思うもの。重要なのはどの程度の反応をするかよ」
香を嫌う得体の知れないモノども。
香を嫌う表の住人たち。
だれもが嫌うものならば、それが正しい反応だと思えてしまう。
美咲は薄ら笑いを浮かべて静かな面持ちで美花を見つめた。
「お母様や瑶子は、得体の知れないモノたちと同じくらいこの匂いが嫌いみたい。この意味がわかる?」
意味はわかるが美花は否定せずにはいられなかった。
「そんなこと……瑶子さんやお母様は普通の人間……もしそうだとしたら、子供である私たちはいったいどうなるのですか!」
「私はこの屋敷でずっと育ってきたわ。外の人間のことなんて知らない。私は私でしかない」
「…………」
美花は外の世界と接してきた。
周りの人間たちと自分との比較を美花はしてきた。
疎外感や恐怖心、自分がいったい何者であるのかという疑問が付き纏わない日はなかった。
美咲は机の中から一通の手紙を取りだし、それを美花に手渡した。
「読むといいわ」
手紙の宛名は――生まれてくる娘たちへ。
作品名:あやかしの棲む家 作家名:秋月あきら(秋月瑛)