りんみや 陸風7
たったひとつだけ惟柾がリィーンを責めたかったことは・・・瑠璃と知合う前に貧乏だったことだ。ある程度の資本があれば、孫はもう少し長く生き延びられたかもしれないと今更ながら思う。小さい頃に内蔵の処置をして移植でもしてくれていれば・・・と、リィーンに口に出しては言わなくても心では何度も詰った。幼少の無理がたたって、心臓を弱めた。だから、再発してもどうすることもできなかった。その無念さが惟柾にもあるから、今度は最初から城戸にそれなりのものを背負わせたかったのだ。それがあれば、孫娘や九鬼が助けられないことがあっても、別の方法で城戸が助けられる。自分がこの世を去っても幾重にも守る手立てが講じられる。そして、城戸への今までの代償でもある。孫のために自分の生活を変えてくれた代償、そして今度は曾孫のために何もかも捨てて篭に入ってくれる代償、それを黙って城戸に渡したかった。
「必ず、年に一度、どちらからも使者が来る。それとは必ず対面すること。それと月々の報告も、おまえに送られる。そちらも承認のサインぐらいはしてやれ。」
「オーナー、それは・・・本当に?」
「私が今まで、おまえにフェイクなどしたことがあるか?」
「・・・いいえ・・・でも・・・」
「おまえのためではない。美愛のためだ。」
「はい、承知しております。」
「近々に、そちらの屋敷を訪問する。リッキー、今のはマリーたちには報せるな。」
「でも、美愛が聞いています、オーナー。」
「美愛に代われ。」
城戸はゆっくりと子供に受話器を渡した。うん、うんと何度か頷くと、すぐに返した。けれど、それはすでに切れていて、城戸も机にコトリと置いた。なんだか屋敷にいる間に自分の周りの環境は著しく変化してしまった。
「りっちゃん、用事は終わったんでしょ? 佐伯のおうちでおやつ食べようよ。」
「えっ? もう夕飯じゃないのか?」
「じゃあ、佐伯のおうちでごはんっっ。」
「今日は食堂のはずだろ? 行きたいなら美愛だけ行っておいで。」
「だぁめっっ、りっちゃんも一緒。今日ね、佐伯のおうちは親子丼なんだよ。佐伯のおじいちゃんが美愛に教えてくれたもんっっ。」
孫を確保したいがために、どうやら佐伯は裏工作に出たらしい。ということは食堂には美愛の食事はないんだろう。私はどちらに用意してもらっているのかなあ・・・と城戸が背伸びした。
「りっちゃんは美愛と一緒だから、さえきっっ。」
「ああ、そうなのか。・・・なんだか、ゆきの時と同じようなことになってきたなあ。」 かの人が存命中も佐伯は、自分の息子と食事したくて好物を作っては、佐伯の家に呼び寄せた。もちろん、城戸がいれば城戸も、DGがいればDGも招待されていた。和やかな食卓で微笑むかの人を思い出した。本当に嬉しそうに食べる子供だった。父親と母親の間に座って、おいしそうにパクつくかの人に誰もが微笑んだ。
「ゆきもみあと一緒? さえきのおうちのごはん好き?」
「うん、大好きだった。ゆきは好き嫌いが多かったけどね。美愛は好き嫌いするなよ。大きくなるには、なんでも食べないと駄目だから。」
これから成長する子供には好き嫌いなどさせない。かの人は・・・成長のことなど誰もが二の次だったから、好き嫌いも容認していた。ゆきとは違う。この子は成長して大人になる。健康で恵まれた生活を送るのだ。
「ねぇ、リッキー、おとうさんが今夜は佐伯で一緒にって・・・」
離れに真理子がやってきて、そう告げた。
「ああ、美愛から聞いた。」
「ごめんなさいね、おとうさん、なんだか嬉しくて舞い上がっちゃってて・・・義理の息子と食事するんだって言うの。私より、おとうさんが喜んでいるっていうのも、どうなんだろう?」
「・・・さあ?・・・どうって聞かれても・・・」
「ああ、そうよね。私にわからないのに、リッキーに質問するのも無謀よね。」
「そういうことだね、マリー。これは受けていいのかい? それとも遠慮するもの? 」
「別に・・・受けないと、あなた、食事がないわよ。それに、佐伯でみんなで食べるんですもの。パパもママも、タガーも浦上さんもよ。」
「それは食堂が佐伯に移動ってこと?」
「それよりも無礼講かな? お祝いって感じだったから・・・あー迷惑? 恥ずかしい? それなら、別に食事を用意してもらいましょうか?」
「迷惑ではないけど・・・気後れするなあ。」
まあ、それはそうだろう。いきなり入籍宣言して、その数時間後にお祝いなどと言われても、とぢらもそんな気分の宣言ではない。どうせタガーにひやかされるのだ。できれば遠慮したいと城戸は思う。
「たっちゃんがいじめたら、みあが怒ってあげる。大丈夫だよ、りっちゃん。みあがいるからね。」
下から子供がそう言って、服の裾を引っ張る。それに伴って、城戸は和らかい表情で頷いた。それは真理子も知っている城戸の顔だ。
「ああ、それはお願いする。存分にやってくれ、美愛。」
「うん、まかせて、みあがいるからね。」
「・・・ということだから・・・」
「ええ、わかりました。じゃあ、行きましょう。」
美愛が中心にいれば、城戸は自分ともごく普通に接してくれる。ここからでいいし、これでいいと真理子も考える。ごく普通の夫婦ではないかもしれないが、こんな関係もおもしろいのかもしれない。日常を知らない城戸との生活は普通にはいかないだろう。その騒ぎに乗じていれば、意識しなくても夫婦でいられそうだ。
「マリー、近いうちに、きみのお祖父さまたちはやって来るみたいだよ。さっき、オーナーがそう言っていた。」
「きみの、じゃなくて私たちの、じゃないの? リッキー。」
「・・・それ・・・勘弁してもらえるかなあ。私にはオーナーをお祖父さまなんて呼ぶ勇気はないんだ。」
「うーん、事実でも?」
「事実でも、だよ。二十年近く、オーナーと呼んでるんだ。それを一朝一夕に変えられるほど変わり身の激しい人間ではないよ。」
「あの、それじゃあ、尋ねるけど、佐伯と水野の両親はどう呼ぶつもり?」
「・・・そのままで・・・」
困ったように城戸は真理子の顔を眺めている。自分より五歳年上の男が、なんだか自分より年下に見えた。
「まあ、それはおいおいに変えていただきたいなって思ってたりするの。パパたちは、そのままでもいいんだけどね。佐伯の両親だけはお願いね。」
「日本の文化というやつ?」
「そうね。」
「・・・・わかった・・・努力する・・・そういうのは、さっぱりわからないなあ。リィーンも国際結婚で困ったことがあったんだろうか?」
「さあ? パパは気にしない人だから。日本の文化のことなら、佐伯の両親に尋ねることをお薦めするわ。」
「そうだろうなあ。リィーンは茶化して教えてくれるんで真実なのか見極めがいまひとつだ。」
ふたりして長い廊下をそうやって歩く。それが何年も続くのだと、互いに感じた。まるでバージンロードを歩いているように、ふたりして顔を見合わせて苦笑した。
「私、みやくんとバージンロードは歩けなかったの。写真も取らせてくれなくてね。」
「えっ? 」
「・・・・私はそこまで我侭を言えなかったの・・・怖くって・・みやくんが・・・」