りんみや 陸風6
「俺のは趣味と実益が一体化しているだけ・・・それに身体壊すほどに働いてない。」
いや、働いていると、その場のものが同時に発言した。自覚がないから、気付かないだけのことで、頻繁に風邪をひくのが、いい証拠だ。もう、りんも初老に手が届く年令だ。以前のような無茶は利かないのに、それを自覚できないらしい。ただ、随分前から自分の事業は城戸にそっくり明け渡すと瑠璃に宣言していた。おそらく、壊れる城戸を慮ったことで、そのために事業を拡大していたのだ。
「・・・まあ、いいでしょう。ねぇ、リッキー、この人が身体を壊さないように手伝ってくれない? 」
「はい、それは・・・ゆきにも頼まれてます。以前からゆきができない分は私の担当ですから。」
「またぁ、古いことを持ち出すなよ。それって十年ほど前の話だろ? 」
年度末の忙しい時期は、りんが仕事の締切に追われる恒例の時期だ。手伝いをしていた宮脇が体調を崩して寝込んで、ちょうど城戸が屋敷に顔を出した。宮脇当人は熱で寝込んでいて佐伯の家で看護されていたのだが、城戸が顔を見せると、その手を掴えた。
「・・・りっちゃん・・・お願い・・・りんさんの仕事・・・手伝って・・」
自分が手伝うつもりだった分が大量にあって、おそらく、りんはそれで徹夜する羽目になっている。城戸は情報管理の仕事をしているから、その手助けを頼めると見込んだ。確かに、それはできる。だから、城戸は宮脇の看病をせずに、そちらの手助けだけして屋敷を辞したことがあった。そういう古い話である。
「悪かったよ。バイト代も出さないで、じいさまのスタッフ、こき使ったのは謝る。」
「いや、頭の体操にはなりましたから・・・今度もバイト代は結構ですよ、リィーン。内職の手伝いくらいしか、私にはできそうもありませんからね。」
自分の膝にいる子供は、たぶん片時も離れない。そんな状態では、手伝うぐらいしか動けないだろう。
「・・・ああ、バイト代はなしだ。こき使うさ、うちの婿殿なんだからな。」
今すぐに、城戸がどうこうできるわけではない。そのうちにゆっくりと譲っていくつもりだ。
会談が退けてから、城戸は子供に頼みこんで時間を貰った。どうしても連絡しなければならないことがある。それは誰にも聞かれたくなかったので、離れの電話から連絡した。相手はどうやらすぐに捉まったようで、電話が取り次がれた。そこは携帯なんかで連絡する軽々しい場所ではなかった。
「陸風です。ご無沙汰しております。」
鮮やかな中国語、城戸にも久しぶりだが、そこはこの言葉が公用語である世界だ。
「本当に久しぶりだ。日本の水野に厄介になっているようだね、陸風。」
誰にも行き先は告げていないのに、事もなく自分の居場所を知っている。母方の一族は華僑で世界中に情報網を張り巡らせている。生前の母は、その一族でもトップクラスに属し、自由に世界の経済を動かしていた。それが亡くなって、城戸はその名跡を引き継いだのだ。ただ、城戸は若かったから、自由にというわけではなく、その頃、急速に勢力を伸ばしていた水野の内部に侵入することを求められた。一族にとってもカリスマの惟柾は脅威であり、予測不能な男であった。未来を見通せる、その能力を一族に引き込みたいと考えていた。そのために城戸は水野に入り、内側から情報を送る役目を担っていた。一種の諜報員だ。華僑の考え方は期間が長い。城戸が死ぬまでに地歩を固め、水野の支配権を獲得するようにという指示だった。
「あなたには、たいへん恩義があります。両親が亡くなってから、ひとつずつ手ほどきしてくださって、私をこの世界で生きていけるようにしてくださった。それは感謝しています。」
そのために十数年、水野の情報は流していた。こちらも一族から情報は受け取って活用していた。別にそれは城戸にとって良心の呵責を生み出すものではなかった。最初に惟柾は、そのことに触れ、正確な情報を向こうに送れと命じた。それで腹から食い破られるような帝国は壊れてしまえばいいのだと豪語した。惟柾の初めてのオーダーに城戸は忠実に従った。ゆきもちゃんと、その事情を知っていて、自分が水野を引き継いだら城戸の好きなようにすればいいと認めてくれていた。城戸は、ゆきが眠ったらそうするつもりだった。・・・けれど、今度はそうはいかない。実質的な支配権を手に入れるからだ。これはゆきの娘に引き継がせたい。一族の干渉など微塵もさせたくなかった。娘を手にして、城戸は経済ゲームの世界から離れる。その際に、おかしな繋がりも一切残したくない。そのためには、城戸が一族で納まっていた地位も捨てる必要がある。そして、一族からの乖離も必要だった。
「陸風が、そんな感情的なあいさつをするとはね。あの小鳥は陸風をすっかり人間に変えてしまったようだ。」
「・・・そうですね。ゆきは私に心を与えてくれました。大切なものを守るということが、どれほど楽しいのかを・・・」
そして、それを失ってはいけないのだということも・・・・もう二度と失ってはいけない。そのために一族は切り捨てる。別に感慨などというものはない。
「・・・今度、水野に婿入りすることが決まりました。あなたのお望みだった水野の支配権も手に入る。ですが、私はそれをあなたに委ねたくありません。・・・今後、私のことは死んだものとお考えいただければ重畳です。一族から、なんらかの接触があろうとも私はそれに従いません。罰したいと、お考えならば、それでも結構ですが・・・それでも私は一族には従いません。私の口座を凍結してくださっても構いません。あなたがたに対する損失としては僅かなものでしょうが、それは差し上げます。お許しいただける類のものとは考えておりませんが、私はそのつもりで、これから水野に入ります。話はそれだけです。」
淡々と自分は口を開いた。驚くほどに安定している。こんなにも血の繋がりに固執しなくなっているのは意外だった。華僑は何よりも血の繋がりを重視する。それは叩き込まれたはずなのに、それでも何も感じない。おそらくは病んだ小鳥を守りたいと願った時に、それは重要なことではなくなっていたのだろう。相手も沈黙している。罵声など、この相手からは聞いたことはないから、たぶん、地の底から沸き上がるような呪いの言葉を浴びせられるだろう。それもまた笑って切り抜けられそうな気がした。あの小さな娘の泣き顔に比べたら、それは些細なものだ。
「陸風・・・・いや、我らが頭領が、そう申されるなら、今後、いかなる干渉もいたしません。ご安心ください。ただし、あなたが我らの長であられることは事実でございます。たまには一族のことも顧みてくだされば、それで結構です。」
「ええっ? 叔父上・・・何を?」
突然の言葉に我が耳を疑った。頭領は、この叔父だ。その直属の配下に城戸は属していた。自分に対して敬語を使うことも驚きだし、自分がトップになることなど考えられない。自分の母親は確かに直系ではあるが、日本人と結婚し傍流に下ったはずだ。