りんみや 陸風5
たぶん、自分は遠くない先、失明する。能力が使えなくなれば顕著に現われるだろう。年令的にも肉体的にも弱っていくのは自覚できた。浦上が指摘するように視力は少しずつ低下している。盲目の夫の世話をさせるのは悪い気がした。三年前も視えなくて、瑠璃に何から何まで世話させてしまったのだが、それが申し訳なかった。何もしたことのないお嬢様の妻に、自分の世話は大変だったろうと思う。息子の時は佐伯夫婦と二人三脚だったから、実質的な世話は芙由子や自分がやっていた。だから、失明してしまったら、なるべく早めに蓮の花に座るか、完全看護の病院にでも入れてもらおうと考えている。
「バカなことを・・・リィーン、瑠璃は喜んで厄介な世話をしてくれるよ。・・・相変わらず、自分の価値は評価しない男だね。瑠璃を泣かせるようなことをしたら、それこそ、化けて出るぞ。」
「アハハハ・・・あんたが幽霊っていうのも想像できないな。まあ、せいぜい悪あがきするよ。・・・ところで、いつまで俺は監禁される? こっちにいるなら、オフィスに顔出ししたいんだが、それは駄目なのか?」
「別に好きにすればいい。もうタガーは覚悟したはずだ。瑠璃がマデリーンと泊まるというなら、おまえは明日の朝まで、こちらに滞在だ。お得意の電気屋巡りでもしてきたらどうだい? それとも、書店巡りかな?」
りんの趣味になっている電気屋巡りというのは、あちこちの店をハシゴして買いもしないのに新製品を見て廻るという安上がりな暇つぶしだ。実際、りんにとってパソコンショップに並んでいるような玩具など使い道はない。毎年のように高度な機械を入れ替えて使っている身分である。それでも悲しい習慣は消えなくて、ついつい巡ってしまう。新機種を弄って遊ぶのは、子供のミニカーと大差のないことだ。
「やなじじいだ。・・・人の趣味にまで千里眼働かせてるのか? 」
「いや、私はそれほど暇じゃない。ミーヤがいつも言ってたから覚えているだけだ。おまえの趣味は貧乏すぎて悲しいって・・・嘆いていたよ。玩具ぐらい買って遊べばいいだろうに、わざわざ出向いて店頭で遊んでるって言っていた。そうそう、靴はちゃんとしたものだろうね? おや? リィーン、それは水野の婿には相応しくないね。夕食までに揃えてくるように、私はそんな服装の人間と食事するのは後免だ。」
ふと、りんが足元に目をやる。自分は検査のつもりだったからサンダルである。よくホテルの入り口で見咎められなかったなと感心するほどに古いものだ。それに服装だって、完全に普段着の着のみ着のままの格好だ。
「仕方ないだろう。検査って言われてたんだから・・・悪いが服装は、このままだ。生憎と俺は財布を持ってない。」
そう反論すると惟柾は電話に手を伸ばした。二言三言、命じると切ってしまう。すぐに浦上がやってきた。
「財布が来たぞ。浦上、リィーンを私と食事できる程度の服装に改めろ。まず、そのサンダルをなんとかしなさい。」
「はい、しかと承りました。」
ニカニカと惟柾も浦上も笑っている。これって舅の苛めだよな、と内心で呟いた。りんは買物が大嫌いだ。特に高級品は苦手というよりトラウマに近くなっている。ほとんど、瑠璃に委せているから自分では行かない。それを引っ張り回そうという魂胆なのだ。
「私も暇だから、付き合おう。」
「・・・あんた・・それはやめろ。」
「なぜだい? 優しい義理の父が義理の息子にプレゼントしてやろうというのだ。これほど嬉しいことはないだろう。」
「俺は五分しかいないからな。速攻で決めて速攻で買うから、あんたの口が出る暇はない。」
「いやいや、それでは駄目だ、リィーン。いろいろ試してみないとね?」
「嫌がらせっていうんだよ、それは。」
「そうだよ。おまえに嫌がらせしてるに決まっているだろう。浦上、しっかり捕まえておきなさい。これは脱走するつもりだから。」
はいはい、と浦上が背後を固める。すっごく楽しそうじゃないか? と睨んでも相手は怯まない。とても楽しいと返された。途中で逃げたって、どうせ夕食に戻れば衣裳は揃えられて着せられる。それも自分の趣味とは程遠いものになる。それなら文句を言って選んだほうがいくぶんかマシな気がした。
「じゃあ、五分だ。それ以上は付き合わない。」
「それって一店舗あたりということだね? りんさん・・・知らないんだろうけど、ここのアーケードはかなりの店があるんだ。一時間はかかるなあ。」
もういいや、と諦めて部屋を出る。孫がいなくなってからの惟柾は、りんを悪戯の対象にしているらしく、時々、こんなことがある。事業のトップからも降りて、暇つぶしにされているのだろう、と自覚している。
嫌がる娘婿を引き摺り出して、惟柾は密かに笑う。惟柾が口にしなかった監禁の理由は別にある。それはリィーンのことだ。城戸が回復していくのと反するように、今度はリィーンが弱っていく。三年後、リィーンは突然に倒れる。多賀がいなければ助からない。ターニングポイントは今日だ。多賀を屋敷から離さないために、城戸の現状を見せたのだ。リィーンという人物に高い評価を与えているのは瑠璃の次に惟柾である。精神的に強く弾力的な思考を持っている。この男を事業に参画させていたら、水野は経済社会でトップクラスに上り詰めたはずだった。だが、この男は束縛を嫌う。そして野心は持ち合わせていない。自由であるということがリィーンの持味であることは惟柾も理解している。なにより、その性質を惟柾は気に入っている。だから、亡くしたくないと思う。娘のためにも、そして自分が後の憂いを感じずに消えるためにもリィーンは生き長らえてもらわねばならない。