夢を追う背中
目の前で生まれ育った家が燃えていた。
母親と近所のスーパーまで出かけ、帰ってきたときのことだった。家の中では弟の春巻が宿題をしながら母と原槙を待っているはずだった。
「春巻、春巻ー!」
母親に押さえつけられたまま、原槙は火の中に取り残された双子の兄弟の名を叫ぶ。原槙の声は火の勢いに呑まれて中にいる春巻まで届かなかった。
壁という壁が燃えていた。部屋の入り口はサーカスの火の輪くぐりもかくやというほどで、小さな春巻にはそれを乗り越える勇気がなかった。
家族の名を呼んで、助けを叫んで、諦めたそのとき。
「大丈夫か!」
「お父さんっ?」
消防服に身を包んだ父親が飛び込んできた。
「お父さん、お父さん、お父さん!」
涙は火に炙られてすぐ乾いてしまう。それでも安堵の涙はとめどなく零れてきた。小さな手を一杯に伸ばした息子を父親はしっかり抱きしめる。
「よし、もう大丈夫だ。頑張ったな、ハル」
大きな胸に抱かれてほっと息を吐き出し、笑顔を見せた息子に火の粉がかからないように庇いながら、父は出口に向かい走り出した。
目の前に父の同僚がいた。
助かった、と思ったのだ。
抱きかかえていた春巻は父の同僚と同じタイミングでそれを見た。焼け落ちた天井が崩れてきたのだ。
「越野さん、早くっ!」
「すまん! ハルを受け取ってくれ!」
ほんの一瞬、一瞬のことだったと思う。
燃える天井が父親に圧し掛かかる。火に飲まれて父親の姿が消えていく。もちろんそれが見えるくらいだから、春巻の身体は既に父の同僚の腕の中にあった。
呆然としている春巻を抱えて彼が外へと走り出る。青い空が嘘みたいに見えた。
「……え……?」
「春巻、春巻! 良かった!」
嬉しそうな顔をして兄弟が駆け寄ってくる。抱きしめられて、その身体が離れて、安心した顔で「お父さんは?」と聞かれた。
春巻が振り返ったのと同時に家が崩れ落ちた。
「え……?」
耳元で双子の兄が信じられないものを見た声を上げる。
「お父さんは?! お父さんがまだなかにっ」
「原槙、行っちゃダメ!」
立ち上がり、崩れ落ちて直燃え上がる家に飛び込もうとする原槙を母親が必死に止める。
この火事の犠牲者は一名。消防隊員でありその家の家長でもあった越野海牧だけだった。
後日この火事は火の不始末でも火遊びでもなく放火によるものとわかったが、犯人は見つからなかった。ふたりが高校生になった今でも犯人は捕まっていない。