雪の王国
夏から冬へ
ジリジリと焼けるような日差しから少しでも避けようと、木陰へ逃げる。
地面には木葉の間から差し込む太陽の光で、美しいまだら模様ができていた。
優希は額に滲んだ汗を拭い、休めそうな木の根を見つけ腰を下ろした。
「あっちぃー」
手で顔を仰ぐが、期待するような涼しい風は起こらず、余計に身体を熱くさせる。
休んでいる木は丁度高台にあり、田舎の田園風景が見渡せた。
ここまで登ってきた疲れからか優希はふぅとため息をつき、なんともなしに下界を眺める。
小さな頃から続く恒例行事として、毎年夏休みは母方の田舎へ行くことになっている。しかし、子供の頃は野山を駆け回るだけで楽しかったものだが、もう高校二年の優希には魅力には感じられなかった。
今年は友達と遊びたい、一人自宅に残りたいと主張したが、祖父母が会いたがっていると言われてしまうと、根が優しい優希には断ることはできなかったのだ。
田舎には娯楽がない。優希は暇に耐え切れず、祖父母宅の裏山へ足を向けたのだった。
いくら木陰と言えども、気温30度近くあるのでは暑くてたまらない。
「帰って麦茶でも飲むか」
グッと足に力を入れて立ち上がろうとすると、背後から冷たい風がヒュウと吹いてきたのに気付いた。
「……?」
振り返ってもただの森が見えるだけだ。気のせいかと思っていると、もう一度冷たい風が頬を掠った。
「どこかから吹いてるんだな。もしかしたら涼しい場所があるのかも」
どうせ帰ってもやることなどない。涼める場所があったらラッキーだと、もう少し探検することにした。
風の出所を探しながら少し歩くと、洞窟のようなものを発見した。
どうやら確かにここから風が吹いてきているようだ。
「こんなところあったっけな……?」
小さな頃はよくこの森も探検した記憶がある。しかし、このような洞窟があったという記憶はなかった。
疑問を感じながらも、洞窟内の涼しさに惹かれて中へと足を向ける。
「涼しい!けど入り口はやっぱそれほどでもないか。奥から冷たい風が吹いてるけど、氷でもあるのか?」
真っ暗な洞窟内に多少不安は感じつつも、風の正体を知りたいと持ち前の探究心が疼き、更に奥へと侵入していった。
「っ!うわ!……イッテー」
足を石に引っ掛け、盛大に転んでしまう。こう暗いと足元の様子がまったく見えない。
すると、転んだ場所の地面が少し湿っていることに気付いた。
気温も一気に下がり、涼しいどころではない。
寒い。
「なんでいきなり……」
顔を上げると、前方に今まで見えなかった洞窟の出口が見えた。
「はっ……?」
驚いて走り出し、外へ出る。真っ暗な中から急に外に出たため、昼の光に目が眩んだ。
ビュウと強烈な風が吹く。身を切り裂くような冷たい風に驚いて、優希は腕を擦った。
やがて、目が慣れて周りを見渡す。
「嘘……だろ……」
そこは、一面雪景色だった。
今の季節は夏のはずなのに、屋外にこんな雪原があるなど信じられない。
夏の薄着でいた優希にはこの寒さには耐えられず、慌てて洞窟へ戻ろうと振り返った。
「ない……」
背後には、出てきたはずの洞窟など見当たらなく、どこまでも続く雪原が見える。
「は?え?どうなってんの?俺さっきこっちから来たよね……?」
洞窟があったはずの場所を混乱しつつも彷徨っても、それらしいものは見当たらなかった。
そんなことをしている間も、むき出しの手足に冷たい風が刺さる。
もう既に指先は冷たくなっていた。
「と、とにかく、どこか暖の取れるところに行かないと」
先ほどまでは涼める場所を探していたと言うのに、今度は暖かい場所を探している。
優希はあのときまっすぐ帰っていればと深く後悔した。
あてどもなく彷徨っていると、前方に小屋のようなものが見えた。
「あそこまで行けば……」
しかし、もう優希には限界だった。
この寒さの中夏の薄着で長時間いたのだ。すでに手足は凍傷寸前になっている。
希望の光が見えたところで、遂に優希の意識が途切れ、その場に倒れた。
雪に埋もれ、優希の呼吸は今にも止まりそうだった。
そこに、真っ白な雪の中倒れている優希を遠くから発見したのだろう、大きな男が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「おい!大丈夫か!」
意識のない優希を抱き起こす。
優希の真っ青な顔と薄着に顔をしかめ、チッと舌打ちをして軽がると背負い上げた。
おそらく気を失う直前に見つけた小屋の主なのだろう、男は小屋へ駆け込むと、優希を硬いベッドに寝かせ、毛布をかぶせた。
暖炉に火を起こし、お湯を沸かす。お湯を待つ間に、凍傷で硬くなってしまった手足を必死にマッサージする。
部屋も暖まり、沸いたお湯に浸け緩く絞ったタオルを手足に当てる。
「っ……。う……」
マッサージで多少血行の良くなった手足に急に熱を当てられ、痛みを感じたのだろう、優希が小さく呻いて目を覚ます。
「あ……れ……?」
優希の声にチラと目をやっただけで、男は冷たくなったタオルを再び湯に浸し暖めなおし、手足にあてがった。
「いっ……つぅ」
「痛いだろうが我慢しろ」
短い言葉を発した男は黙々とマッサージを続けている。
「あの、あなたが助けてくれたんですか」
「あぁ」
状況を考えれば分かることだが、頭の回らない状態ではしょうがない。
「ありがとうございます。……俺、もう死ぬのかと思いました」
実際、偶然男が通りかからなければ死んでいた。
気が付いたからか、真っ青だった顔には赤みが差してきていた。
動く気力がなく、されるがままになっている優希は、ずいぶんと大きい男の手のマッサージで手足にも熱が戻ってきている気がした。
「すみません、もう大丈夫そうです」
いつまでもマッサージさせるのに気が引けて、告げる。
男は、最後に大きな手で手足の温度を測ってから、ようやっと手を離した。
「動けるようになったら風呂に入って温まれ」
「はい。ありがとうございます」
赤の他人にここまで優しく出来る人もそういないだろう。
一見すると無愛想に見える男は、優希のために風呂まで用意してくれるという。
男の行為に甘える事にし、優希はゆっくり休むことにした。
凍傷になっていた手はもうずいぶんと熱を持ち、まだ多少は痛みはあるが動かすことは出来るまでに回復していた。
そろそろ意識もはっきりしてきて、自分の身に起こったことを考える。
季節は確かに夏だったはずであり、たかだか1kmもない洞窟を抜けただけで、こうも気温が変わるものなのか。
外はまさに極寒という寒さで、日本の冬でもここまで寒くなることはないだろう。
だとするとここはどこなのか?北極圏にでも来てしまったのか。やはり洞窟を抜けただけでそれはありえない。
それに、出てきたはずの洞窟の入り口がこつぜんと消えてしまったのだ。夢でも見ているのかもしれないと思ったが、どこをつねっても痛みを感じるし目が覚めることはなかった。
ということは、やはりここは日本ではないのだ。どういう原理かは分からないが、優希は日本ではないところへ来てしまったのだ。