天気予報はあたらない
浩二が言おうとした言葉を、遮る。全部自分が悪いのだ。自分があんなことをしなければ、こんなに一度にたくさんに人が傷つくことはなかったのだから。
俺はこの輪の中に存在してないのだ。いなくならないといけない存在が紛れているからこんなに話がややこしくなるのだ。
「ってか、勘違いしてるみたいだけど。俺、この人知らないし。どちらさまですか。ってか離して。」
なんて、ボロボロな嘘なのだろうか。ここにいる全員が、嘘だと気付いているだろう。さきあんなにうろたえていた自分は、はっきりと目撃しているというのに。
「悟志、何言って……。」
雄平が慌てて言う。しかし、それすらも受け付けたくなかった。
「もう、離せって。こんな人、知らないしっ。」
渾身の力を使って振りほどく。そして、自分のカバンと携帯をさっとつかみ、出口へと歩みだす。一度振り返り、あっけにとられている三人を見て一言言う。
「じゃ、俺のことなんか抜きで、ごゆっくり。こーちゃん、じゃあ、また……。」
声はもうかすれていて、弱々しいにもほどがあった。
「悟志っ。」
雄平は慌てて俺のことを追いかけてくる。店の自動ドアを抜けた瞬間に一目散に街を疾走する。
「待てよっ。」
「離せって。」
それでも、現役の体育会系に敵うわけがなく、この体はすぐに捉えられ、しっかりとその大きな体の中にホールドされる。
さっきまで、捕まえてほしくて仕方がなかったこの手を掴んでくれる人がいる言うのに、なぜにこんなに悲しいのだろう。
「離さない。」
雄平のTシャツと、自分のパーカーとシャツと三枚の布が二人の間にはあるはずなのに、雄平のその熱い体温は直接体の中に流れ込んでくる。
「絶対、離さない。」
「いいから、もう。」
「よくねぇ。」
「俺は、もういいんだって。ユーちゃんのことなんてもう好きでもなんでもない。」
自分という人間は、もうどこ行ってしまったのだろうか。自分が何をしたくて、この先自分がどうなりたいかが、もうわからない。
「ごめん。」
「なんだよ。」
「ごめん。」
「言わないで。」
「ごめん。」
雄平が、ごめん、と言うたびにきつく抱きしめてくるのを体がしっかりと感じる。なんなのだろうか、この体温でも何でもない、体の底から湧いてくる熱い感情は。
「なんで、今なんだよ。元に戻れないことくらい、わかってんじゃん。」
だから、もう諦めてこの体を離してほしいと思う。そうすれば、元の自分に、つまり、雄平のことなんて関係ないと、今日まで頑張ってきた自分に戻れるのだ。これ以上接触してしまうのは、自分にとって危険でしかないと体が信号を必死に出している。
それでも、雄平はさらにきつく抱き寄せるだけで、離そうとはしなかった。
「俺は。」
雄平が一言そう言い、力が緩んだかと思うと、今まで後ろ向きに抱きしめられていた俺の体を反転させて、対面するように再び抱きしめる。
「自分のことしか、考えれないくらい、あの時は浅はかで。」
雄平は泣くような奴じゃない。なのに、体が小刻みに揺れている。それでも、雄平の言葉は止まらない。
「お前のこと、大事なはずだったのに。一方的に連絡まで絶って、周りと同調することでしか、自分を保てなかったんだ。」
「……。」
何を言っても、何をしても雄平は引き下がる気配を見せなかった。そのためについには言葉もなくなってしまった。耳を塞ぎたくてもその腕はがっちりとホールドされていて、聞きたくないことがたくさん、体の中に入ってくる。
「俺は、あの時……」
「ユーちゃん、だめ……。」
「お前以上に、お前のこと好きで好きで好きで、愛おしくて仕方がなかったはずなのに。」
心が、いたい、いたい、いたい。
「やだ、もう、聞きたくない。」
「聞け。」
「いやだ。」
「いいから。」
「もう、ほんとに、やめ……。」
「聞け、悟志。」
うつむく俺の顔に、雄平の両手が添えられ顔を力づくであげられる。強制的に見つめあうことになった雄平の目は真剣だった。
もう二度と正面から向き合うことのないと思っていた幼馴染の姿、涙ばかりが次々と溢れていて、目の中に焼き付けたいはずなのに、できない。
「俺は、お前とまた一緒に、ずっと一緒に居たいんだよ。好きだ、悟志。俺の中に戻ってきてくれ。」
ずるいよ、こんなの。
俺の好きだった雄平の姿の最後のピースがこれで全て揃ってしまったのだから。こういう、若干、命令口調で自分を導いてくれるところ、そこが大好きだった。
浩二に惹かれていたのも、全ては自分の中で無意識に雄平と同じようなものを重ねてしまっていたのだろう。この失恋をなかったことにしようと、そればっかりが先行して、知らず知らずのうちに同じようなものを追い求めていたのだ。
浩二の中に俺がなかったように、俺の中にも浩二はなかったのだ。
スクランブル交差点で手を引いてくれる人が、今、目の前に居る。あんなに望んでいてずっと欲しかったものが、目の前にあるのだ。手を伸ばせば簡単に手に入ってしまう。
――でも、でも……。
オレバカリ、シアワセナノハドウナノ。
「ユーちゃん、ごめん。」
涙が頬を伝う。
「今の俺じゃ、無理だわ。戻れないよ。」
「俺は、もう迷わねぇ。」
何と言っても離す気はない、と言いさらにきつく抱き寄せる。それでも、俺は拒否を続ける。必死になって、必死になって、やっとのことでその手を振りほどく。
「もう、いいんだよ。」
「よくねぇ、じゃ、なんで、泣いてるんだよ。」
「もう、いいのっ。」
体は、雄平のぬくもりを忘れられそうになかった。だから、せめて心だけは自分の言葉で誤魔化して無理矢理にでも、この思いをかき消す。
「雄平、大好き。だから、俺じゃないところで幸せになって。雄平、スポーツマンだし顔不細工じゃないんだから、大丈夫だよ。俺じゃなくても……。」
涙が、止まらなくなってきた。きっと、まともに言えるのはこれが最後だろう。
「俺じゃなくても、きっと、大丈夫だよ。」
「なんだよ、雄平って、なぁ、いつもみたいにユーちゃんって呼べよ、なぁ。だめだ、俺は、お前じゃなきゃ。」
俺は、なんて最低な奴なんだ。雄平にまでこんな顔させて。それでも、俺は最後まで厄病神として、みんなを不幸に陥れた責任を全うしなくちゃいけないんだよ。だから、
「ばいばい、雄平。」
ちゃんとした決別を言おう。あの日はうやむやにして、逃げるようにこっちへ来たのだから。今日が初めてのちゃんとした、決別。
「俺は、諦めん。絶対に、絶対に。」
言葉だけが耳を、脳を、心を貫く。後ろを振り返らずに歩き始める。雄平はもう追いかけてこなかった。雄平の視界から早く消えたくて、すぐに角を曲がり小道に入れば、好きという気持ちばかりが溢れて溢れて、その場にしゃがみ込む。
「本当は俺も一緒にいたいんだよ、ごめんね、ユーちゃん……。」
作品名:天気予報はあたらない 作家名:雨来堂