天気予報はあたらない
音を立てて滑りこむ電車はそのスピードを落とすのに必死で、不快な金属音とともに周りの全ての音を奪っていく。降りる人の群れを見送りそっと乗り込む。平日の朝、十時台の車内は座席を確保するのも余裕で、ため息とともに深く座る。生ぬるい空気が充満していたホームと打って変わって、冷房が強力に聞いた車内は、秋になった今でもより今年の残暑が厳しいことを意識させる。
――はやく、涼しくならないかな。
受験生とは大変なものだ。夏休みまで集団の中の一人として、部活やクラス活動に勤しんできたこの身も、受験シーズンに突入するや否や、途端に周囲を隔離されてしまったかのように一人の戦いに身を置くことになる。
みんな自分のことに精一杯なのだ。
あんなに毎日クダラナイことで笑いに包まれていた教室が、今では模試の評価にみな一喜一憂して、その結果にクラス中の表情が奪われてしまっていく。しかも、それはひどく内面を蝕んでいて、クラスの表面上はかわりなく仲良しを呈しているのだが、その裏面に潜む表向きに出せない殺伐とした感じがおれはなんだか苦手だった。
それは、たとえ親友でも一緒で、悟志は予備校の授業で完全に手一杯だし、おれらの間では成績の良かった啓太ですら、日に日にやつれていくのが目に見えてひどい。
――ケータ、あいつ死ぬんじゃねぇの。
そう思っていても俺にはどうすることもできない。共有することも、支えてやることも不可能なのだ。
――おれ、推薦だし。
部活の顧問の先生に薦められて決めた大学は、自分の成績に照らし合わせてみたら、それはそれははるかに手の届かないランクのところで、こんな学力面で劣る自分が飛び込んでもいいのかと思うほど身の丈に合わないものだった。この話を三者面談で担任から聞いた母親の唖然とした表情は過去に例を見ないほど。それだけの奇跡がおきたのだ。
この時ほど、厳しかった部活をやり通した自分の真面目さに、賞賛を贈りたいと思ったことはない。そう思えば、奇跡だなんて一言で片づけてしまうのは少しだけ惜しいが、自分の現状を考えればそんなことどうでもよくて、ただただ、この運命よって起こりうる自分の明るい未来だけが頭の中で何度も繰り返されていた。
今日も、学校を休んでその大学へと向かっていた。推薦内定者の説明会があるとかで、平日の昼間から都心へ駆りだされているのだ。普段全く着なれないスーツは、残暑にこもる熱気にめまいを起こしそうになるほどだった。
しかし、これに行かなくては自らのチャンスを失ってしまうことになる。そう思えば、このスーツによるサウナ地獄は特段辛いものではなくなっていた。普段、滝のような汗をかきながらスーツに身を包んでいるサラリーマンを見て、馬鹿だなぁと思っていたのだが、今日限り、それを反省しようと思う。みな、自分の目の前にある与えられた環境を守るのに必死なのだ。だから、いくら尋常じゃないほど汗をかこうと、そのスーツは脱がないのだ。
おれがそうだったから、すごくわかる。
幼馴染という関係が壊れないように啓太を愛しているという気持ちから逃げたのは、おれが二人の間の不変を望んだからだ。正直な話、これは冷めた見方かもしれないが、人間の関係なんて所詮いつかは終わりがやってくるものだと思っている。友情しかり、愛情しかり、気を抜いた少しのミスで脆く消え去ってしまうことなど日常に多く潜んでいる。
ならば、壊さないように自分が気をつければいいだけのことだ。
自分の気持ちを押し殺してまでも、おれは啓太とずっと一緒にいたいのだ。啓太と一緒にいるおれが学校で一定の地位を築いている『西野俊二』なのであり、それを失うことは自分の中の大きな柱が崩れてしまうとさえ思っている。啓太がいなかったら、と考えると恐ろしくて考える気さえ失せる。
――なんかおれ、気持ちわりぃな。
たとえそう自嘲したとしても、おれにとってこれが正義で突き進まなくてはいけない道なのだから、変えようとは思わない。
そう思わせる理由として、やはり運命という言葉は捨てがたい。今回、おれはこの推薦の決定でこれからも啓太と一緒にいる権利を得たのだ。
おれが今から行こうとしている大学こそが、啓太の第一志望の大学なのである。これは高校一年の時から知っていたのだが、先ほども述べたように自分の学力の足りなさに同じ大学までは無理かなと半ば諦めていたのだ。そのため、この話が来るまでは、その近隣の大学を第一志望にして、せめて付かず離れずの距離を維持しようと思っていたのだ。
啓太が落ちるかもしれないという可能性を吹っ飛ばしていると思われがちだが、啓太が落ちることはまずない。学校祭の後くらいから調子を落としているみたいで最近の模試の結果は見せてくれないのだが、おれが最後に見た時まではずっとA判定を出していたし、あの啓太が落ちるなんてミスするはずがない。そこにこの話が舞い込んできたものだから、神様もおれたちの友情を応援しているということだ。
ほら、これ運命じゃん。
そんなことを思いながら窓の外に目をやるともうすぐ目的の駅に着く直前だった。車掌の緊張感のない間延びした車内アナウンスを聞き流してそっと立ち上がる。いつの間にか車内には立ち客もまばらにいて、おれが席を立った瞬間に待ってましたかのように、おばさんがすっと座る。それをドア付近に立っていたおじさんが羨ましそうに見ていた。
こんな風に、人生は椅子取りゲームだとすら思う。せっかく手に入れた啓太の横という最高のご褒美は絶対に手放さない。そう決めているのだ。たとえこの先、啓太にどんな友人ができようと、この位置だけは絶対に誰にも座らせないのだ。
ホームへ降りるとそこは冷房の効いていた車内とは別世界で、もやもやとした生温かい空気に包まれると同時に汗がどっと噴き出してくる。人の流れに乗って階段をおり改札口へと向かうと、目の前に広がる駅前の風景は学生街を形成していた。
「すげ……。」
これまで部活三昧で学校のオープンキャンパスといったイベントごとには無縁だったので、これが間近で見る大学デビューになる。本当は一度、面接に来ていたのだが、その時の大学は夏季休暇だったので、人もまばらでこんな状況は初めてだった。そういえば、啓太が夏前に悟志と一緒にここへ来たみたいで、『人がむっちゃいた。』と興奮気味に話していたのを思い出す。
まさにそれは本当で駅から大学へ続く道は同世代の若者で溢れていて、普段街中で見なれたお年寄りや主婦、サラリーマンの姿を徹底的に排除したその姿に、これが大学なのかと改めて驚愕する。
通りはちょうど昼時で、いわゆる学生食堂が忙しそうに客を取り込んでいた。店内は活気にあふれていて、中にはこんな安いのかと思うものや、こんなに大きいのかと思うようなメニューのものもあった。まわりを見渡しているとコンビニもファーストフードも牛丼屋も通りにある店のほとんどが行列をなしていて、その人数の破壊力に少し顔が引き締まる。
――なんか、緊張すんなぁ。
作品名:天気予報はあたらない 作家名:雨来堂