Remember
「目に入ったらなんとなく追いたくなるっていうか。ショーウィンドウに飾ってある絵をいつまでも眺めたり、店で画集をずっと見てたり。そんな時、お前がすごく嬉しそうにしててさ、ああ、こんな顔も出来るんだって気づいたら、興味が湧いたんだ」
どこか懐かしく感じる。
多紀にとって店のスタッフは個々として認識しない相手だけれど、スタッフからすれば常連や頻繁に来る客は覚えるものらしい。他にも何人かはまだ覚えていると信尋は付け足した。
「あの時、お前が持っていたパンフレットを見て、ああ美術系なのかって納得して、どんな絵を描くんだろうって興味が出たけど、客に話しかけるわけにはいかないし、我慢したんだぞ」
「まあ、普通はそうだよね」
チェーン店なら、アルバイトの指導が徹底されているだろう。多紀が働いているのは、個人経営というのもあるが、比較的にスタッフは常連客と会話を交わしている。
「そうなんだよ」
呆れた口調だったけれど、信尋が多紀の頭を軽くくしゃりと撫でる手はどことなく優しかった。
「あの展示が終わるのと同時に、お前も店に来なくなったから、しょうがないかって諦めたんだけど、ここで再会するなんてな」
髪から頬に。
手のひらがそっとあてられた。
「信尋?」
見つめられる眼差しが、どことなく柔らかい光を帯びていて。
触れられた場所がじわりと熱くなっていくのを感じながら、多紀が名前を呼ぶと、そのぬくもりがすっと遠のいていく。
「そろそろバイトの時間なんだ。あ、同居の件よかったら本気で考えてくれると嬉しいんだけど」
「あ、うん」
「あと、また時間のある時でいいから、スケッチブック見せてくれよな」
休み毎に、時間を見つけては公園や街の風景を描いていた。大学に入ってからなんとなく始めたスケッチも、今では習慣となっていた。
「いいよ。杜君のアトリエに置かせて貰ってるから、取ってくるね」
姉の部屋にあまり私物を置くのはどうかと悩んでいた時、画材や絵の関係などをアトリエに持ってきたらいいと、陸也が提案してくれた。知り合いから、好きに使っていいと言われているらしく、画材関係を彼もそこに持ち込んでいるので、増えた所で気にならないらしい。
「そろそろ行かないと」
「うん。バイト頑張って」
信尋を見送ると、多紀はそっと息をついた。
いきなりの申し出に驚いてはいるものの、それを受けようとしている自分に内心驚く。
誰かがいる事で生活習慣が変わってしまう。その事を気にして迷惑を掛けたらどうしようかと、悩んでいる部分はある。けれど、この悩みも彼なら受け止めてくれる気がした。
どうして、ここまで気にかけてくれるんだろう。
さっきまで触れられていた場所に、そろそろと自分の手のひらをあてると、じわりと熱を持っているのが感じられる。
「なんで、だろ」
どうして、心が苦しくなるのか分からない。
多紀は、胸の内にある熱を逃がそうと、もう一度小さく息をついた。