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Remember

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気がついたら時間の感覚を忘れている事がある。
 夢中になれるのは良い事だと小学生の頃の担任が絵を描いている時に、優しく頭を撫でてくれたのをぼんやりと思い出したけれど、けしてそれが優しい記憶と結びつくとは限らない。
「多紀。また、飛んでた?」
 耳に届いた声と同時に、周りの情報が体に伝わってくる。背中越しに軽く伝わる振動、流れる景色。そして、自分が身を置いている状況をぼんやりと把握して、広瀬多紀は何度か瞬きを繰り返した。
 ふるりと長い睫を揺らせば、さらりとした淡い色の髪の先を節のある指が軽く摘んでくる。
 多紀はさらに何度か瞬きをした。
 信号が赤になり停車すると、隣で運転をしている蓑田信尋が薄い唇に笑みを浮かべながら、こぼれそうな目だと呟いた。
 少し潤んだような大きめの瞳が印象的だと、信尋に初対面で言われたのを思い出す。
「リスが擬人化したら、お前みたいな奴なんだろうな」
 一瞬はてなマークが浮かんだ多紀に、擬人化というジャンルがあるというのを延々と詳しく語ってくれた。
 純日本人なはずなのに、多紀は全体的に色素が薄いらしく、瞳もブラウン、髪に至っては染めているのかと一瞬勘違いされるくらいで、実際光に透かすとハニーブラウンに近い色になる。
 付け足すと、身長も百七十に一センチ足りなく、基本的に太らない体質なのか標準体重よりもマイナス数キロで、これ以上痩せないように必死に食べているといった状態だった。
「リスなんだよね、ぼく」
「まだ覚えてたんだ」
「あれだけ語ってくれたら、誰だって覚えるよ。それをアルバイト先の人に話したら、漫画とか好きな奴なのかって聞かれたんだけど」
「好きといえば、好きだけど。まあ、興味を持ったものを何でも調べる癖はあるな」
 車が動き出す。
 ハンドルを握る姿を眺めながら、多紀は微かに眼を細める信尋を見つめた。
 ひ弱な自分に比べ、信尋は趣味でランニングなどで体を動かしているというのもあり、しっかりとした体躯をしていた。服はモノトーンが多く、今もジーンズに黒いシャツといったシンプルなものだ。
 けれど、それがすっきりとした顔立ちにしっくりと似合っていて、雑誌のモデルもやっていたと聞いたときは、すんなりと納得してしまった。
 薄い唇と少し切れ長な眦。
 これでもっと愛想があれば……と嘆くのは、二人共通の友人でもあり、信尋が働くデザイン会社のアルバイト仲間でもある杜陸也だ。
 別に怒っているわけではない。
たまに、覇気のない表情をしている時があるんだと、信尋が陸也に言われていたが、信尋は不快に思うことなく、勝手に嘆いていたらいいだろと、あっさり返していた。
 素直に思ったことを話す直情型だと誤解されがちだけれど、信尋の場合は天然に近いんだと陸也が呆れていた。
「そういえば、新しい絵は完成したのか?」
「え、うん……まだ、かもしれないし。出来た……かもしれない」
「なんだ、その曖昧すぎる答えは」
「色を、ね。あとちょっと青を乗せた方がいいんじゃないかって。でも、淡い緑を潰すのはどうかなー……。あ、でもこれから夏だし」
「つまり、あと少しで七月になる。だから、夏の雰囲気を絵に表したいけど、春の優しい余韻もどこかに残しておきたいというわけだな」
 文節も中身も曖昧な多紀の言葉をしっかりと汲み取ってくれる。
多紀はこくりと頷いた。
 二度目の赤信号。
 その間に信尋が出していたスマートフォンを手早く操作し、多紀に手渡す。
「未完成の時に撮ったものだけど、ここから何を足したんだ?」
 ほんの数日前に描いたもの。画面には点描で描かれた風景がキャンバスに写し出されて、新緑を彷彿させる色調に多紀はほんのりと口元を綻ばせた。
「んー……と、濃い緑。それから、淡い赤、かな」
「淡いねえ」
 その時は、どうしても強さが欲しかったから。一見反対の色を混ぜると淀んだりする事があるけれど、上手く使えれば絵の厚みを出せる。淡い赤は、多紀にとって新しい生命をイメージしたものだ。
「だったら、青を乗せるだけもったいないだろ。そのままでもいいじゃないか。春は春で、次に夏を描けよ」
 移行する瞬間ではなく、その時の季節を切り取ったらいいんじゃないかというアドバイスに、そっと背中を押される。
 デザイン会社の手伝いをしていても、絵にはそれほど興味がないらしいけれど、多紀の描くものをいつも写メして、それをツイッターで紹介しているのを知っている。
 もちろん承諾しているし、趣味の範囲なので何に使われても構わない。
 スマートフォンを信尋に返し、少しの間絵に思いを馳せていると、信尋が声を掛けてくる。
 いつの間にか、多紀のアルバイト先の近くに到着していたらしい。
 鞄と、後ろに置いてあるスケッチブックを持って車から降りる。
「それじゃ、また学校で」
「うん、ありがとう。いつも助かってる。あ、真帆ちゃんに今日は遅くなるかもって伝えておいてくれると、もっと助かるかも」
「了解」
 今年、小さなデザイン会社に就職をした姉への伝言を頼み、多紀は車を見送った後、自分が働く店へ向かって歩きだした。



「お、今日はちょっと早いな」
 ドアを開くと、カウンターのスツールに座っていた直野悠馬が軽く手を上げた。
 小さなビストロ風のレストランが多紀のアルバイト先であり、現在とても世話になっている場所でもある。
 直野は一見するとホストにみえなくもない派手な容姿をしているので、目を惹かれる。じっと見つめる多紀に手招きをして、持っていたマグカップを手渡してくる。
 明るめの瞳が少し和み、淹れたばかりだからと笑いながら、しっかりとした大きい手のひらでくしゃりと頭を撫でられ、多紀は小さく微笑む。
「あ、悠馬が広瀬君を餌付けしてる。……あ、でも食べ物じゃない時は何て言うんだろ」
 キッチンから出てきたオーナーである雨宮温の手にも、マグカップがあり、どうやら休憩していたんだと気づいた。
 ちょっとくせっ毛の淡い色の髪。柔和な物腰と、おっとりした口調。年齢は直野の方が年下だと聞いていたが、雨宮の方が下に見えなくもない。
 雨宮は立ったままでいる多紀を悠馬の隣に座るように促すと、テーブルに切り分けたバウンドケーキを差し出す。
「ちょっと作ってみたんだけど、作りすぎちゃって。よかったら食べてくれないかな」
「え、いいんですか?」
「遠慮すんなって。それにこれは商品じゃなくて、プライベートの試作品なんだし」
「僕は、悠馬に言ったんじゃなんだけど」
 にこりと綺麗に微笑んでいる雨宮の顔にちらりと目をやった後、直野が手を伸ばす。
「じゃあ、遠慮なく。いただきます」
「召し上がれ」
 チョコレート色のそれを一口食べると、ふわりとココアの仄かな甘さが広がる。見た目よりもあっさりとした味わいなので、これなら女性がもっと食べたいと思うだろう。
 多紀は素直に感想を伝える。
 コーヒーの香ばしい薫りと、ほっこりとした空間に身を委ねつつ、こうやって二人の仲間に入れてもらえるのが素直に嬉しかった。
「ちょっと、和己の分残しておかないと怒られるよ」
「べつにいい」
 ホール長であり、多紀にとっては教育係でもある久保井和己の名前が出た途端、直野は憮然とした顔になる。
作品名:Remember 作家名:サエコ