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樹屑 佳織
樹屑 佳織
novelistID. 27960
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ほしくずと糸紡ぐまち1

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今日は久しぶりに晴れ間がのぞいた、気持ちのいい朝だった。
いつも通りに火曜日9時のタイムセールである卵と油揚げ、ついでに木綿豆腐を買って帰る。
血眼で押し寄せる人ごみのなかで卵を割られないように移動するのは至難の業だ。
しかし、そのおかげで一番下の棚にあった178円の徳用ホットケーキミックスを見つけることが出来たので、多くは言うまい。
それらを買い物袋にしまいやっとこさ自転車にたどりついたころには、
おびただしい主婦の群れはすっかり通学通勤の群れに変わっていた。

はたして今こうしてすれ違う人たちは何を思い、どうやって毎日をすごしているのだろう。
自転車に乗りながらの、ここ最近で一番の考え事である。

男、女、女、子ども、女、男、男、女、女、女、男、子ども、女…
いくら記号で振り分けても人の思考をまとめ上げることはできない。
シャーロック・ホームズのように一見で人を理解するには努力が必要だろうし、
自分には無理だ。そしてきっとそんな才能もないだろう。

だから、通り過ぎる子どもたちの性別すら私には分からない。
まあ、子どもに詳しいというのも問題であるからいいのだが。

「子どもに人見知りしてどうすんの」

ふいに、高校生の頃の思い出がよぎった。

あれはボランティア活動の一環で近所の幼稚園へ行った時だ。
園児たちと打ち解けられない私を見かねて、洋子が笑って言ったのだ。
彼女はあっという間に子どもたちの心をつかんだ。
端でもじもじしていた私はそれを魔法のように思っていたが、
洋子に言わせるとそれはなんでもないことなのだという。

「子どもなんて何にも考えてないんだから、もっと肩の力を抜いたらいいよ。
 こっちが緊張してると向こうも緊張しちゃうから」

なんだかムツゴロウさんのような発言だなと、ぼんやり思った。
私にはできない、とも。


家に帰る頃には、空気はすっかり昼へと変わっていた。
さっそく買ったものを冷蔵庫にしまい、かるくシャワーを浴びる。
それから、窓際とベランダの草木に水をやった。
シソ、バジル、わけぎ、ひまわり、すいか、ナス、トマト。
まだ若いジャガイモにもきちんと世話をする。
麻袋に土をいれただけの栽培だが、それで芽が出るのだから大したものだ。
実り多いなかから、トマトとバジルを摘んで台所に持って行く。
さっと洗って適当に切りわけ、ハムと一緒に食パンの上にのせる。
ケチャップとチーズを散らしてトースターに入れた。

焼いている間に紅茶を淹れた。
濃いようでさらりとした、アイスミルクティー。
昔読んだ本では「アイスレモンミルクティー」なるものもあったが、まだ試していない。
ホットでなければミルクが分離せずにでき、さわやかな味わいになるとのことだった。
確かに興味はあるが、日常においてそこまで冒険する必要はどこにもないとも思う。

電話が鳴った。
「はい、もしもし。」
「浅海、起きてたの。」
「…なにそれ、電話鳴ったんだから出てやったのに。」
「じゃあいつもちゃんと出なさいよ。」
どうしろって言うんだろう。いつもこの人の言う事には一貫性がない。

「仕事は順調なの?ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ。また野菜、送ろうか?」
「野菜だけじゃなくて…お肉とかお魚とか!収入があって食べれるものよ!」
「…なに、またちゃんと働けって話?給料は貰ってるってるって言ってんじゃん。」
「分かってるけど…好きな事ばっかしてると、あなた何にも食べなくなるじゃない。
 お母さん心配してるのよ?」
「で、それだけ?今日は。」
「それだけって…!」
めんどくさい。
「はいはいはい。ごーめんーなさーい。」
「まったく…。」
「じゃ、切るよー。」
「待って!」

「…なに?」
「あの…家に、いつ帰るの?」

めんどくさい。どうしてこの人はいつもこうなんだ。

私が家にいてはいけない理由を、彼女に何度話しただろう。
分かってくれないのはしょうがない。彼女はやはり、古い人なのだ。
どう言ったら通じるのかと悩んだ時期もあったが、今はもう気にしていない。
彼女は今、それなりにうまくいっている。
私もそれは同じだ。なら、きっとそれでいいのだ。

適当に相槌を打って、電話を切った。
なにしろ納期が近いのだから、こうして電話をする時間ももったいない。

パソコンを開いて、依頼リストを開く。
同時にホームページから作成依頼を拾い、リストに加えていく。
一通り終わってからプリントアウトし、今週分の表をボードに貼り出した。

出来たもの、作りかけのもの、型紙のあるもの、以前作った色違い。

出来たものは写真を撮って添付メールを依頼者に送信し、
段ボールやパラフィン紙、模造紙などで梱包して部屋の隅にまとめていく。
店に持っていくもので自転車で運べるものはトートバックに丁寧にいれる。
そうして片隅に積み上げられた注文の品を眺めながら、
「あとで送り状をもらってこないといけないな」と頭の中にメモをした。
布を広げ、型紙をあてる。
なるべく織目に沿うようにハサミを滑らせる。
そして裁ち終わった布を紙袋にまとめ、それぞれラベルを付けた。

作品を作っていると、時間はあっという間に過ぎる。
布の裁断も、まち針打ちも、針に糸を通す瞬間さえも楽しい。
焼き物やガラス加工も挑戦してみたいとは思うが、それはあの子の領分だ。

いつの間にか、時計は11時を回っていた。
作り置きのおにぎりを温め、食べながら戸締りをする。
くわえた部分に力を入れないのが、ながら作業のポイントだ。
家の鍵はなくさないよう、玄関のトレイに置いてある。
引っ越したばかりの時はよく鍵をなくして「ほしくず」のみんなに迷惑をかけたものだ。

店に持っていくものは5つ。注文の品、携帯電話、家の鍵、店のエプロン、財布。
…ああ、自転車の鍵はさしっぱなしだった。
気にしてもしょうがないが、まあ盗まれなくて良かった。

「ほしくず」特製のストローバックに荷物を詰め込み、
自転車の籠にはめ込むと、ネットを上から掛けた。
バック製作担当の彼女がかたくなにストローバックと言い張るので自分でもそう呼んでいるが、
いまいちなじめないのは言うまでもない。
「麦わらバックの方が、絶対とっつきやすいと思うんだけどなあ…」

ガシャン、と勢いよくスタンドを外し、私は夏の町へと駆け出した。
あの子が、「星屑のまち」と呼ぶ、日常へと。
 

***


『ほしくず』は、浅海たち4人で切り盛りする喫茶店兼ギャラリーである。
二階建ての店舗の1階フロアに店を構え、玄関前には約一台分の駐車スペースがある。
浅海はその横を通り過ぎ、店の裏手にある勝手口に自転車をとめた。
勝手口を開けるとすぐに作業場兼流しがある。
そこには一足先に出勤した仲間が1人、ウッドチェアの製作をつづけていた。
暖簾で区切られた作業場の中からは、やすりの音と換気扇の音だけが響いていた。

「おはよう」
「おはよ、浅海ちゃん。」

しゅっ、しゅっ、しゅっ、しゅっ…
彼女はビニールシートの上で、黙々と作業を続けていた。
浅海はそれを見るでもなく、エプロンに着替え、ロッカーに荷物を入れてバンダナを取り出した。