自転車
しがみついた背中は細くて、だけどとても安心した。
耳の傍で風が鳴る。
きいきい甲高く軋む自転車は二人分の体重を乗せて、ぐんぐんと進んでいった。
「日向」
もうすっかり涼しくなった。
けれどわずかに夏の名残が惜しくなる、ほんの短い愛おしい季節。
「日向ぁー?」
聞こえてないのかな。
ばさついた金髪が夕日に照らされている。後ろからじゃ顔は見えない。
少しだけ不安になる。
もう一度呼びかけた。
「日向、聞いてる?」
すると、振り返らないまでも、驚いたような声が返ってきた。
ほっと胸を撫で下ろす。
額を目の前の背中にすり寄せた。同時に、腹に回した腕の力を強くする。
「もうすぐ文化祭だね。日向のクラス、演劇だっけ」
体育祭のことを思い出す。
この背中が飛ぶように走っていって、一緒に走っていた連中を引き離していって。
夜を切り裂く星みたいに。
ああ、置いていかれる。確かにそのとき、そう思った。
「健んとこは?」
無意識に交わしていた会話にはっとして顔を上げる。
特におかしいと思われたようでもなくてまたほっとした。
気分がどこか浮ついて、物寂しい気持ちにさせられている。
「俺んとこはね、喫茶店」
実はちょっとしたコスプレ喫茶なのだけれどそれは隠しておく。
そんなことを言ったら絶対に来てくれなさそうだ。
言わなくても来てくれないかもしれないけれど。
「見においでよ。どうせ日向、当日は暇だろ」
ドキドキしていた。
嫌だよとか、面倒くさいとか、その程度のことを言われただけで傷つきそうな自分がいることが怖い。
「あー……まあ、大道具だからなぁ」
「じゃあ決まり。サービスしてあげるね」
大きく息を吸った。
清涼な空気が肺を満たす。
「分かった、行くよ」
ああ、と漏れそうになった声を飲み込む。
目頭がじわりと熱くなって、さすがに自分でも驚いた。
こんなことで涙が出そうになるなんて、どうしようもない。
そうだよと、誰に問われるでもなく自答する。
俺はきみのことが好き。
ただ募るばかりの思いを込めたため息は、その背中に融けこんでいく。
END,