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吉祥あれかし 第二章

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II. 2005年2月 東京

 いわゆる『ヒルズ族』の象徴ともいえる森タワーは、大地に聳え立ち、その威容は都内各所から望める。都内でも最もヒルズに近い超高級住宅地、元麻布にあるインターナショナルスクールにも、その不気味なまでの黒い翳を落としている。このインターナショナルスクールは規模こそ調布や横須賀のそれに比べてささやかなものではあるが、各国大使館が軒を連ねる港区の麻布界隈に所在する、ということでそこに通う子弟の階級も並大抵ではない。バブル経済の崩壊によって凋落したとは言え、GDP世界2位という金満大国である日本に派遣する各国の大使や公使、書記官などのレベルは他のアジアの国々に比べ抜きん出て高いと言われている。極東というある意味不便な地理に位置していながら、日本への赴任は各国外交官にとっては「自分は出世コースから外れていない」という矜持を持たせる役割も果たしている。

 9年生のクラスルームでも大使や特使、公使の子弟級がズラリと揃っているが、そこはそれ、一見エリートのお上品な子弟である彼らの中にも立派な階級ヒエラルキーが存在しており、派遣元の出身国や身分によって派閥めいた組織を形成している。このインターナショナルスクールは9年生が最高学年のため、目下の彼らの目的は他の12年生まで在学できる日本国内のハイスクールへの移籍か、それとも自ら進んで他国(主にヨーロッパが多いと言われている)の全寮制のハイスクールに留学するか、親の都合で出身国に戻って上流階級御用達の私立のプレップスクールに通うかのいずれかの選択肢があるとされている。何れにせよ、国内移動組は元麻布という都内最高級の住宅地から調布や横須賀のような「地方」に「都落ち」せねばならないため所謂「負け組」と言われ、その他の進路を取る生徒達からは軽蔑の視線を投げかけられており、当然そうした生徒達の素行もご立派なものであるとは言えなくなる。

 「負け組」同士がつるめば、やる事と言えば単純である。「自分より弱い立場の者を寄って集って虐める」。残念だが此れは教育という枠ではどう矯正しようも出来ない古来からの性なのだ。

 9年生ともなれば、その派閥化は顕著で、基本的には自分のグループに属さず、そして自分よりも上のグループに属さない者を半端者にすることによってしか自らのストレスを発散することができない。

 今日も、彼らはそのストレスの発散を求め鵜の目鷹の目でクラスルームの中を「監視」していた。

 昨日やったゲームの話、親の転出の話、自らの留学の話などが賑わしく飛び交う中、クラスルームの右の隅に独り、話に加わらず、分厚いペーパーバックに目を走らせる少年がいた。身長は日本人の平均に比べれば高いが、恐ろしく長身と言う訳ではなく、髪は癖のある黒髪で瞳の色はヘイゼル。欧米人のような顔立ちをしていたが、遠くから見れば日本人に見えないこともない。明らかに昨日までは存在していなかったその少年に「負け組」達が集まってくるのは当然の成り行きだった。

『よう、tenderfoot(新入りちゃん)、何読んでんの〜?』

『此処は今日が初めてなのかな〜?』

 小馬鹿にしたようなその台詞を少年は一切黙殺し、相変わらずどこ吹く風と言った体でペーパーバックにぎっしりと書かれた文字を追っている。

『何だよ、シカトかよ!バカにしてんじゃねーぞ!』

『落ち着け落ち着け、こいつ、エイジャン(Asian)だ。英語が判んねえんだよ』

『そうかそうか、英語で本が読めても英語が話せないなんて、とんだカタワだな。可哀想なこった』

 少年は相変わらず黙殺を続け、活字に目を走らせている。何も反応が来ないと判った悪童達の悪ふざけはエスカレートの一途を辿った。

『オハイオ、アリガト、カネ、カネ!』

『とんだnerd(ガリ勉オタク)が紛れ込んだもんだな!さあ困ったぞ!』

『オ・タ・ク!オ・タ・ク!』

 最後には少年を取り囲んでのオタクコールの輪唱にまで発展してしまったその騒ぎに、周りのクラスメイト達も半分は恐怖で、そして半分は後ろめたい好奇心で事の成り行きを見守ることしかできなかった。

 そして、オタクコールが15回は続いた頃だろうか、輪の中心でスケープゴートになっている少年は呆れたように溜息をついて、「虐め」を行っている悪童達の一人を睨み付けた。正に、それは悪童達のリーダーであり、彼が「負け組」の独裁者だったのだが、少年が何故多くの「負け組」悪童達の中から「彼だ」と判ったかは誰も知る由が無い。正確に遠方の標的を射るライフル銃のようなその鋭い眼光に一瞬、悪童達は気圧され、騒ぐ口を噤んだ。ヘイゼルの瞳の少年は、沈黙の中で再び分厚いペーパーバックの本に目を落とし、ゆっくりとした口調で朗読を始めた。

『…今の犯罪者の良心なんてもんは、大抵は自分自身と闇取引をして<俺は泥棒こそしたが、別に教会に逆らった訳じゃないし、クライストの敵でもない>…こんなことを殆ど一人残らず心に言うんだ。だが、教会が国家に成り替わるようになったら、この地上の全ての教会を否定しない限り、こう言うのは難しくなるだろう。<どいつもこいつも間違ってやがる。みんな本筋から外れちまったんだ。偽の教会ばかりだ。人殺しで盗人のこの俺様だけが正しいクライストの教会なんだ>…』

 少年の声は既に変声期を終えたテノールとバリトンの中間ぐらいのトーンであったが、「覇気が無い」という形容からは真反対の、寧ろ野性的な快活さを備え合わせていた。少年の淀み無い朗読に一同は一瞬聴き蕩れてしまったが、暫くしてその朗読の内容が呑み込めた頃、悪童達は漸く少年に揶揄されたことに気付いて顔を真っ赤にして少年に攫みかかった。

『てめぇ、宗教オタクか?!俺達を揶揄かってんのか!?』

 少年は掴み掛かった悪童の手をぴしゃりと跳ね返し、攫まれた際に床に落ちてしまったペーパーバックの本を手にとって、故意に本の背表紙から埃を掃うような仕草をした。

『宗教オタクがこんな言葉を吐く訳が無いだろう。寧ろこんな背徳的な言葉はアンタイクライスト(Anti-Christ)の名前が相応しいんじゃないのか?』

 そう言って、少年は悪童達に見せつけるかのように本の表紙を顔の前に掲げた。

『<ザ・ブラザーズ・カ…ル…?>』

『The Brothers Karamazov…<カラマーゾフの兄弟>。ドストィエフスキィの小説だ』

 唖然とする中、少年は至極呑気に『嗚呼、折角栞を付けて読んでたのに、これじゃ何十頁か探さなきゃならないじゃないか。一つ一つの台詞が長いんだ、此れは…』とぶつくさ独白しながら読んでいた頁を探すために然して良質でも無いペーパーを繰っていた。そんな少年の平然とした調子に怒り心頭に発した悪童の一人が遂に拳を揚げた。

『このオタクエイジャンが―――!』
作品名:吉祥あれかし 第二章 作家名:山倉嵯峨