霊聴者
「はっ。ここよりよほど立派な屋敷で生まれたくせに、何をくだらんことを」
同級生に家柄を揶揄されたときと同じことを反射的に口に出したが、心底つまらなそうに返されると少し恥ずかしくなった。
アルフレッドに他意はなくて、工業的というのもただ彼が感じたままなんだろう。
頭ではわかっている。だけどしかるべき家系の子息たちに囲まれて、つねに自分の出自に強引に向き合わされるような毎日を送っていると、こういう言われ方には敏感になる。そこで面倒な話にならないように素早く予防線を張るのは学校という場所で身につけた習性だが、アルフレッドの前では、ひどく卑屈な姿勢に感じられた。
アルフレッドがすぐに次の話題に移ろうとしてくれたのはありがたかった。
「で? 何の用だ、ロジャー」
そう、今日は彼に用事がある。
俺はわざとすぐには答えずに、勝手に天鵞絨貼りの椅子に座った。アルフレッドは軽く片方の眉を上げたが何も言わなかった。どうせ椅子をすすめるのを忘れていたに違いない。細かいことを気にしていたら彼とはつきあえない。座った瞬間、埃がぼふりと立ったのが間が抜けているが、それも気にしないことにする。
今日持ってきた話題には、ちょっと自信があった。だけどこの手の話は最初が肝心だ。なにしろ、これは依頼なのだ。
気まぐれなアルフレッドの関心をひきつけるためには、もったいぶってみせなければならない。性急に話を進めようとすれば、鼻で笑われるのはわかっている。
「アルフレッド、きみの得意分野の話を持ってきた」
「ほう」
アルフレッドは安楽椅子は動かさず、背もたれに盛大に体重をかけてごろりと逆向きに座りなおした。行儀悪いことこのうえないが、ひとまず興味をひくことには成功したようだ。
とはいえ、アルフレッドのすっと細められた目を見ていると、俺の浅い小細工まで全部見透かされているような気がしなくもない。彼がこういう表情をするとき、まだ十代なかごろのはずなのに、老人か、ともすれば数世紀を知る古木のように見える。
「夜な夜な訪れる白い女の影かね? 家具がどこぞの屋敷の中を飛んだかね? それとも、写真機にあらぬものが写りでもしたかね?」
ひといきに言うとアルフレッドは口元だけで笑った。
まだ午後の時間帯で、ティールームには光が満ちている。
けれど、その笑みからは、深夜の気配がした。
濃い霧がたれこめる、真夜中の。
■■■
ことの起こりは、兵学校でのことだ。
図書館で課題を前に糧食と兵数と航行日数との関係を紙に書き殴って唸っていた俺は、ほとんど話したことのない同級生から、ヘヴンズリィ伯と親しいと聞くが、と声をひそめて訊かれたのだ。
アルフレッドはこの国の一部では有名人だ。
ヘヴンズリィ伯爵家は古い貴族の家だが、産業革命に乗りそこねたうえ近年は不幸がつづき、領地も二世紀ほど前にくらべればかなり目減りして、その点で目立ったところはない。年若い当主も、長い歴史の中では格段めずらしいものではなかった。
一方で、ピアノの神童としてアルフレッドを知るものはそれなりに多い。彼の一風変わった《聴覚》について知っているものはもっとずっと少なかったが、話としてはそっちのほうが強烈で、ある種の人間をひきつける。まったく理解しかねるが、幽霊やら妖精やらのひきおこす難をのがれる方法を真剣に考えている人間が、一定数いるのだ。
同級生は、ひとづてにアルフレッドの特殊な能力について知ったらしく、彼の友人であるところの俺に接触してきたというわけだ。
「歌声が聞こえるんだそうだ」
俺は、聞いてきた話をアルフレッドに語った。
同級生が言うところによると、二年ほど前から、彼の実家に奇妙な出来事が起こるようになったらしい。いわく、誰もいないはずの部屋から、歌声が聞こえると。
「子供の歌声なんだと。はっきりしないけど、たぶん女の子じゃないかってさ」
「誰にでも聞こえるものなら、我輩が出るまでもなかろう」
「それが、必ず聞こえるわけでもないらしい」
同級生本人は、歌声を聞いたことはないそうだ。家に帰る機会が少ないのだから、当然ではある。
謎の歌声についてもっぱら騒いでいるのは使用人たちだが、婚約中の妹がいて、両親は妙な噂がたつのを恐れているらしい。いわゆる産業的貢献によって名士の仲間入りをはたした家は、昔から上流にあった家にくらべてずっと世間の評判を恐れる。身につまされる話だ。
「ここから遠くない。ケントだ。実は俺はもう見てきた」
「ほう、どうだった」
「何も。変わったことは何も起きなかった。まあ、一日滞在しただけだから、期待はしてなかったけどな」
「だから我輩に現地に行けということか」
「大した手間じゃないと思う。きみもこっちにいるところを見るとそこまで領地は忙しくないんだろう? 何もなければよし、何かあったらそれこそ、きみの活躍の場ってわけだ」
アルフレッドは俺の名調子をうろんげな目で見た。しまった。景気よく言いすぎたようだ。
「面倒だな、貴様ひとりでなんとかできんのか」
「俺に何ができるってんだよ」
「わりによくある話に聞こえるぞ。風の音を聞き間違えたとか、そのたぐいじゃないのか」
この程度の失敗は織り込み済みだ。もう少しもったいつけたかったが、しかたないので最終手段を出すことにした。
「……報酬が出る」
「……」
アルフレッドの眉間に、はっきりわかる皺が刻まれた。
「話を持ってきた奴は俺と同じ階級だ。親父は産業資本家だ。金だけはある」
「…………」
アルフレッドは片手を軽くあごにあて、考え込むように視線を泳がせた。西のほうの血を推測させる赤い髪をのぞけば実に貴族のお坊ちゃまらしい姿をしているくせに、彼の弱いものはまったくもって庶民的だった。要するに、金だ。
ひとしきり考え込んでから、俺が彼の金勘定をすべて観察していることに気づいたらしく、急にばつが悪そうな顔になって目を逸らした。
そして何かに気づいたように言った。
「令嬢が困っていると言ったな」
俺はうなずいた。正確には本当に困っているのは令嬢の両親だが、間違ってはいない。
「それで、令嬢が美女なのかね。それとも姉妹か母親かね」
「な……!」
「あるいは、現場の近くで美女を見かけたかね。ああきっとそれが亡霊だ、いつかのようにな。おや、貴様ひとりでも解決できそうじゃないか」
アルフレッドはけらけら笑った。今日いちばんの上機嫌な笑いだったけど、こっちはそれどころではない。
……確かに、俺は少し、美人に弱い。一応、自覚はしている。アルフレッドとはじめて会うことになった事件では、この癖が事態を少々ややこしくした。その点について、反省はした。したつもりだ。
そして確かに、同級生の実家で引き合わされた妹は、かわいらしい清楚な少女だった。だけど彼女は知らない人間が苦手なようで、ろくに話はできなかった。いくら俺でも、挨拶しただけでどうこうなろうと考えるほどおめでたい頭はしていない。だいたい彼女は由緒正しい子爵の跡取りと婚約中だ。厄介すぎる。