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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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スターチャンネル2034

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 俺が見ているのは幽霊なのか? よりによって、こんな一番迷信やその類の話と程遠そうな場所で。けれど、宇宙とはいえ、今いる場所が船だとすれば、死体を乗せた漂流船と狂気に取り付かれた若き航海士、そして幽霊という取り合わせはなんともお誂え向きにも思えて、背筋がぞっと冷えるのを感じた。
 一体、何がどうなっているんだ。俺は呆然と、彼らの姿を入り口のところから眺めていた。
 死んだはずの医師を含むふたりの男は、意識が朦朧としているらしいエルを運び出そうとし、俺の存在に気づいたようだった。
「やぁ、ジェイ」
 逃げ出したかったけれど、足は動かなかった。幽霊が、近寄ってくる。重力がない部屋を浮かびながら近寄ってくる姿は、足があることを除けばまさしく母国の幽霊そのものだった。
 腰が抜けた。ただひたすら恐ろしかった。息が苦しくて口が間抜けに開いた。幽霊は、いかにも欧米人的なフレンドリーさで、俺に向かって手を伸ばした。
「合格、おめでとう」



 俺の持った違和感は、だいたい正しかったようだった。なにもかも、金と手間をふんだんに注ぎ込んだ茶番だった。
 今は、2061年だった。俺たちが乗船してから、四ヵ月後。現在地は、NASAの訓練施設。
 今回の航海、だと思っていたシミュレーションは、初の長期航海参加である俺とエルの、様々な事態などに対する耐性試験だったのだ。
 冷凍睡眠は、確かに行われていた。ただし、エルは一ヶ月、俺は二ヶ月だったが。今のところ死亡事例はないが、稀に身体に合わない人もいるらしく(ただし、早期に治療を施せば大事には至らない)、その試験も含まれていた。これについては、俺もエルも問題なく合格した。
 冷凍睡眠から目覚めた後は、時間間隔のない眠りと外部から完全に隔絶された環境を以って現在が2066年だと信じ込ませ、その上で計画通りの生活を送らせた。これは、無重力への適性と、予定の管理能力のテストも兼ねていたらしい。要は、試験中、監視といった要素を意識しない状態でさぼらずにきちんと定められたトレーニングを続けられるか、生活のリズムが崩れないかなどをチェックされていたようだ。無重力適性も、問題なくパスしたらしいので、少なくとも俺達は身体的には宇宙飛行に向いているのだろう。
 そして、それらの基礎的なチェックを終え、設定されたシナリオに基づく精神的な適性の試験が始まった。
 航行中に事故が発生し、その他の乗組員が全員死亡する。そしてその状況に対して適切な対処を取ると、実は自分たちが眠っていたのは五年ではなく、百年だったという事実が明らかとなる。戻っても、地球に着く頃には出発時から二百年が経過している。その状況下で、どのように振舞うか。
 そしてちょいちょい、それを疑うためのヒントはちりばめられている。状況のあまりの不自然さ、という形で。
 それらを観察することによって、状況への対処能力や気質を測定していたのだという。これらは勿論すべて作り物で、遺体も当然偽物で―そのモデルとなった人物は、試験官のひとりであって、今も俺の前で穏やかに笑っている―、すべては、たった半年間の出来事だった。スターチャンネルが時間認識を誤魔化すための装置だというエルの予想は、部分的にはあっていたわけだ。
 彼らの発言を信じるならば。
 正直言って、まだ実感はない。スターチャンネルの五年後設定の番組は疑う余地もないほどによくできていた。今が百年後と言われるより、あれから四ヶ月と言われるより、五年後と言われたほうが、簡単に受け入れられる気がした。
 けど結局のところ、疑っても仕方がないので俺は信じた。彼らの説明を、嘘だと否定する根拠がなかったからだ。少なくとも、あの一連の出来事ほどのひっかかりや違和感を、俺は見つけ出すことができなかった。
 これらのことについて、俺たちは参加に同意する旨書面で確認している、らしい。その同意書は見せられたし、確かに俺の字だった。けれど、まったく覚えていない。俺はあの間、本当に航海の最中だと信じていた。試験の精度を上げるため、冷凍睡眠に入る直前に記憶を操作したのだという。これから治療を受ければそのあたりの経緯も思い出せるらしいのだが、正直どっちだっていいので断った。
 俺は、合格した。エルは、失格だった。命に別状はないが、精神的に非常に不安定になっていた、らしい。過去形なのは、現在はもう既にその状態を脱したからだ。今回の件に関わる記憶を、すべて消して。さすがに数か月分の記憶をリセットするとなると時間の整合などの問題があるそうなのだが、それもそう長くはないリハビリと治療で解消できるそうだ。しかし精神状態を安定させても、予想外の事態への適応能力の低さという問題が解決するものではないため、少なくとも当分の間は長距離航行のクルーには選ばれない見通しであるらしい。あの数ヶ月を、俺とした会話も、あの出来事もすべて忘れて、エルは地上での日常へと戻る。自分の身に何が起きたのかも知らないままに。
 そして俺には、正式な任務の通達が下った。片道十年間のプロジェクトだ。任務は変わらない。地質学調査だ。俺はたいして躊躇いもせずにサインをした。二十年帰れない、本当にいいのか、と確認はされたが、そんなことどうでもよくなっていた。
 あらゆることに現実感がありすぎて、なさすぎて、結局何が「現実」なのかが、わからなくなった。
 考えたこともなかった。考える必要もなかった。そんなこと。自分の認識していることが現実なのだと、疑う必要もなかったから。自分の記憶が、生きてきたこれまでだったから。
 今がいつかすら、わからなくなった。ここがどこかさえ、自信がない。更に自分の記憶さえ書き換えられるとなったら、一体俺は何が確実なものだと言えるだろうか。正直自分の地質学の知識さえ本当に自分が学んだものなのかわからなくなってきたが、それでもこの任務が命令されるぐらいだから、少なくともそれに役立つものではあるのだろう。
 自分がしたはずのことも、そうでないこともわからないなら、もうどうだっていいじゃないか。
 もし実は家族も特に親しい人もない、という記憶さえも抵抗なく長期任務に就かせるための偽装だったら酷い話だな、とふと思ったけれど、しかしそれを懐かしがったり、寂しく思うことすらもできない。その記憶さえも消せるのだろうから。
 幸せってなんだろうなんて、思春期頃によく考えるような思考にも取り付かれた。結局人間は自分の認識から外へは出られないのだから、自分が幸せだと思ってさえいれば幸せなのだと思った。
 たとえ物質的な事実がどうあったとしても。それを知ることはできないのだから。
 だから、俺はこの任務に就くにあたり、ひとつだけリクエストをした。
 あの試験の状況のような騙し任務でもなんでも引き受ける。ただひとつ。
 どうせ見せられるなら、疑いもなく、できる限り幸せな夢を、と。