狼の騎士
気管を通さず口だけで、囁き声のような薄い音をギレーノは漏らした。
「あんたは使えるからな。殺しはしない」
剣を軽く振り、フェルティアードに後ろを向くよう指示する。許し難い行為だろうが、両腕をさらして彼は従った。そして兵士はちらりとギレーノを見て、退場を告げた。
「だからここで眠ってな」
間髪入れず、鈍く重たい衝撃が後頭部を走った。脚からは力が霧散し、ついた膝はふらつく上体を支えることはできなかった。山道に比べれば乾いた地面にどさりと倒れ落ちる。
ギレーノの意識は、即座に消えはしなかった。脈打つ痛みに耐えながら、自分の腕ごしに見上げるように指導者を探す。この手をどかせられれば、もっと状況を把握できるのに。だが、力を込めても四肢は全く反応を示さない。
睡魔とは違う感覚が、ギレーノを蝕み始めていた。意識が遠のくとはこいうことか。物を考えている自分が、目の奥に吸い込まれ、引き寄せられていくような。ぼやけていた視界に、小さな黒と暗い碧色を見つけた。周りには二つ、自国の兵が纏う軍服の色。その前方には、欠片しか見えなかったが確かに敵国、エアルの軍服の色。薄い水色をあしらった、派手気味のあの色。
足音と一緒に小さくなっていくそれらは、ここから遠ざかっていっている、ということしかギレーノにはわからなかった。起き上がって追わなければ。そう心に決めまぶたを閉じたところで、彼の意思は現実から断ち切られた。