小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

紫の夜語り〜万葉集秘話〜

INDEX|2ページ/8ページ|

次のページ前のページ
 

 今から50年前、百済、新羅、高句麗ら三国の使節団を迎える大切な儀式の
最中、人が殺さた事件のことです。殺したのは中大兄皇子、殺されたのは蘇我
大臣蝦夷の息子・入鹿でした。流れ出た血は、四方の壁に飛び散り、天皇の
足下にまで達したと申します。事件後、蘇我大臣自身も、自らの命を絶ちました。

 蘇我大臣蝦夷には、倉山田石川麻呂という甥がおりました。
 この後は、「石川麻呂」とだけ呼びましょう。彼は伯父一族のみの繁栄に
強い妬みを抱いていることを、中大兄皇子は気づいておりました。
 そこで、石川麻呂の長女・造媛《みやつこひめ》に 求婚したのです。
 もちろん、皇子は造媛と面識はありません。
 大変美しい方だと人づてに聞いていただけでした。
 この場合、美醜など問題ではありませんでしたが、男にとって美人の方が
いいに決まっています。
 ところが婚礼の夜、花嫁の造媛は、石川麻呂の異母弟・日向《ひむか》に
誘拐されて行方不明になってしまったのです。人々は造媛が皇子を嫌って、
日向と駆け落ちしてしまったのだろう、と噂しました。
 石川麻呂は事情を話し、長女・造媛のかわりに、次女の遠智媛《おちひめ》
を花嫁にしてはどうか、と持ちかけました。
 中大兄皇子はもちろん快諾し、婚礼の式は滞りなく行われました
 目的は石川麻呂の婿になることですから、相手が長女だろうと次女だろうと、
大差はなかったのです
 やがて遠智媛には、持統上皇を含む二人の姫と健皇子という若君が生まれ、
蘇我氏打倒の計画も成功いたしました。

 間もなく遠智媛は亡くなられたので、上皇の幼い日の思い出はいっそう鮮明に
お心に焼き付いておられたのでしょう。
 母君の話になると、どこか夢見る人のように微笑まれます。
 その時のお顔には王者の厳しさはなく、石川麻呂の館で、鵜野皇女《うののひめみこ》
の御名で呼ばれていた少女時代を彷彿とさせるのです。

「お祖父様の石川麻呂は、蘇我大臣蝦夷が滅んだ後、その財産をすべて手に
入れ、右大臣にもなったの。四才だった私は、お祖父様がとても立派になって
大きなお寺を作っていると聞いたことを覚えている。母上も、母上の親族も
うれしそうに笑っていた。いつも皆が楽しそうだった。
例外は父上が来た時だけだった。父上が来ると、皆が姿を隠し、屋敷の中から
笑い声が途絶えてしまった」
 石川麻呂は蘇我大臣蝦夷の全財産を手に入れただけではなく、中大兄皇子
の右腕として右大臣の地位に上がりました。
 そして一族の記念碑として山田寺建設を引き継いだのです。

 遠智媛は幼い上皇様の手を引いて、何度も山田時を見学なさいました。
 そんな時、遠智媛は敵に向かって旗を掲げるかのように、挑戦的に背筋を
のばして、見る者に自分こそ蘇我氏の女後継者だと、知らしめて歩いたのです。

 頭に飾った金の歩揺《かんざし》が、青空に向 かってきらきら日射しを
跳ね返す様子は、建設中の五重塔を飾る金箔の輝きにも負けないほどでした。
 遠智媛は背も高く、眉も目もはっきりした、金の飾りがよく似合う方でした。
 その姿に相応しい、激しい気性であったと、伝えられております。
 女帝のような遠智媛の横には、鬱々として気の晴れぬ中大兄皇子がいらっ
しゃいました。
 この時、すでにお二人の間には、亀裂が生じておりました。
 終焉は、思わぬ方向からやって参りました。

 それは身内の密告でした。
 石川麻呂の腹違いの弟・蘇我日向《そがのひむか》が 「石川麻呂に謀反の意あり」
と帝に告げたのです。
 それこそが蘇我で代々繰り返されてきた宿命、兄が弟を害し、弟が兄を殺害する
相克図に他なりませんでした。石川麻呂は蘇我氏の財産を手に入れた時、同時に
肉親の手で命を断たれるという宿命をも引き継いだのでした。
 どうして無傷のままでいられましょうか。
 
 二日後、石川麻呂は「死んで潔白の証を立てる」と言って、自ら命を絶ったのです。
 蘇我日向 率いる討伐軍が山田寺に着いた時、室内は石川麻呂の後を追って自殺した、一族
郎党の遺体だらけの惨状だったと申します。 
 大化五年三月のことでございました。

 討伐軍の一人、物部二田塩《もののべふつたのしお》と いう兵士は、雄叫び
をあげて石川麻呂の亡骸を首を切り落としました。
 「しお…」
 その名を聞いた時、遠智媛は気を失いました。以降、まったく関係のない
時でも「しお」という響きを聞くたびに、意識を失ったそうでございます。
 涙も流さず、叫びもせず、食事も睡眠も拒んだまま、まるで内側から崩れて
いくように、静かに病は進行しておりました。

「遠智…遠智…」
 中大兄皇子が呼んでも反応はありません。
 誇り高い遠智媛は、皇子の裏切りに対して、ほとんど瞬きもしないで壁を
見つめながら、無言の抗議をしていたのです。
 間もなく、遠智媛は衰弱死なさいました。
 
 ここまでは世間によく知られていて、公式の記録にも残っている話でございます。
 けれども、これには、いくつか疑問が残ります。

 密告した蘇我日向は、例の婚礼の日に造媛を誘拐した人物です。
 なぜ中大兄皇子はそんな男の言葉を信じ、討伐対に加えたのか。
 そもそも造媛《みやつこひめ》はどうなってし まったのか。
 美貌で名高い造媛は、最初から存在していなかったように消えてしまった
ではありませんか…
 実は私も不思議でなりませんでした。
 祖母から真相を聞かされるまで。

 さっそく続きをお話いたしましょう

 中大兄皇子は、蘇我大臣蝦夷《そがのおおおみ、えみし》を滅ぼすために
蘇我氏の一員である石川麻呂に近づき、その長女の造媛《みやつこひめ》を
妃にする予定でした。
 どんな方だったか…私も周囲の噂話しか存じませんが、付近の者たちは
姫を見かけた折には、生き神を見たかのような、息を飲む思いがしたそうで
ございます。秋には愛馬で散策を、春先には野に若菜を摘みに、造媛がおいで
になると、付近の農民たちも作業の手を止めて「おまえも見たか」「わしも
見たぞ」と袖を引き合い、感動のこもった噂話に興じたのでした。
 その噂は、中大兄皇子の耳にも届きました。
 ある者は、皇子に向かって
(白い鳥のような方でした)
と、姫の美しさを歌うように語りました。
 想像力をかき立てられ、皇子の心の奥に美しい鳥の化身の姫君が住み着いた
そうでございます。
 
 造媛が消えたのは、婚礼の当日でした。
 正確に言えば、皇子が石川麻呂の屋敷についた直後の出来事でした。
 すべての準備が整った後に発覚したのです。
 蘇我日向《そがのひむか》と駆け落ちしたのか、 強引に連れ去られたのか、
理由ははっきりしません。
 正装して席に着いた皇子は、今更引き返すわけにはいきませんでした。
 石川麻呂は、床に額をこすりつけて土下座し、しわがれた声で
「実は造媛の姿がどこにも見当たらず…」
と申し上げましたが、顔はといえば、そんな態度を裏切るように、抑えきれない興奮
の色が滲んでおりました。
 自分の娘が行方不明になったというのに…
 必死でいい訳はしていても、本気で探している様子はどこにも見えませんでした。