「月傾く淡海」 第七章 倭文と香々瀬
「だが、もう終わった。約束は果たせなかった。あの赭い星は、またどこかへ行ってしまったのか--」
悄然と呟き、深海は夜空を見上げた。彼はとても寂しそうで、その瞳は空虚だった。
「全ては徒爾に終わる。それが、私の運命か。一番大切な者との約束さえ……」
「男大弩の大王……?」
金村は、不安そうに深海を見上げる。そんな彼に目を向けることもなく、深海は告げた。
「大伴の金村。汝の大連の位は解く。だが、命はとらぬ。それでよいな」
「大王、こやつは陋劣な匹夫ですぞ!? 生かしておけば、この先またっ……」
反駁しかけた荒鹿火は、深海の一瞥を受けて口を噤んだ。
「……私が殺したいのは、この男ではなかった。だから、もう誰を殺すことにも意味はない」
深海は、諦めに似た微笑みを浮かべた。
あの赭い星は、どこへ行ってしまったのだろう。
葛城の大王と共にこの世から消えてしまったのか……それとも、まだ恨みを抱いて、どこかを逍遥しているのか。
--だが、どこにいようとも。誰に憑こうとも。
もう、あの赭星の願いを遂げさせるようなことはしない。
自分は大王となる--誰の、どんな憎しみや恨みでも傷つけられぬほどの、強い大王となるのだ。
せめて、そのくらいのことしかできないけれど。
彼は、見守っていてくれるだろうか。
旅立ったこの自分を、あの月傾く淡海の空から、見ていてくれるだろうか。
ずっと一緒にいられると信じていた……あの頃と同じように。
いつまでも、見てくれているだろうか。
(第七章おわり 最終章へつづく)
作品名:「月傾く淡海」 第七章 倭文と香々瀬 作家名:さくら