海処
頬を掻いて首をかしげた大友に、水橋はあっさり首を振った。紫が店の中に入ったのは、水橋涼を彼氏として彼女の自分が一緒にいるところを見られたからではない。他の誰と一緒でも、たとえ一人だけだったとしても、きっとそうしただろう。
「汐見、部活辞めてから三割増しくらいで俺の事避けんだよなぁ。水橋なんか聞いてね?」
率直に聞かれて返答をどうしようか、と少し頭の中で考えながら、水橋は妙に納得した。
(そうか、部活を辞めたからヒマだったのか)
中学の時はお互い部活を適度にサボって、よく三崎に寄ったことを思い出す。科学部なんてなかった中学で、水橋はサッカー部だったし、紫はあいかわらず吹奏楽部だった。ただ、高校のよりもずっと小さく、やる気よりは楽しさを重視していたと水橋は思う。大会も交流会も参加せず。音楽室からは薄っぺらい、ヘタをすると教師の声に負けるような音で少し前の流行歌が聞こえてきた。
「気にしいだからな、汐見」
「あー……、やっぱ部活同じヤツといきなりばったり、って気になるか」
そうだよな、と一人頷いて大友は「でもさ」と真面目な顔で話を切り出した。こういう顔は、ひどく大人っぽい。大友が普段へらへらしているのも、処世術なのかもしれないと水橋は思いながら大友を見あげる。
「汐見、いろんなことできるから。おれたち、もう妙な心配はしてないぜ」
「色んな、こと」
気になった言葉だけを繰り返して呟いた水橋に、大友はいつもの笑顔からは想像できない微笑みを浮かべるだけで返した。波の音が、聞こえにくい。大友が来てから、水橋はそんな感覚に静かに悩まされていた。
「おれは、汐見のこと好きだよ。とうぜん、部活仲間として」
「辞めても、なんだな」
好きだ、という言葉よりも強く発せられた「仲間」の単語に少しだけ目を丸くして水橋は疑問を投げかけた。その疑問に、ほとんど合間を置かないまま、大友は「もちろん」といつもの笑顔で口にした。
「大友が、好きだって」
「……えっと」
「部活仲間として」
突然の言葉に、紫が答えにくそうな顔をする。あぁ、大事な言葉が抜けていた、と付け足した水橋を一瞬呆けた顔で見て、紫は眉間に手をあてた。
「なによりそれが、大事だよね」
「いろいろ、やってみてほしいんだよ。あいつら」
指摘を気にせず会話を好きなように続ける自分の横顔をうらみがましく見られているのを知りながら、水橋は歩く。隣で少しずつ歩みが遅くなる紫を、気にしていないような顔をしながら、同じように歩みをゆっくりとして、足を止めた。
「なにが、できるの」
私に、なにが。
そう続きそうな口は、言葉を発することもなく閉じられた。何か言いたい、何を言いたいのかわからない。そんな気持ちで紫が自分の方を見ずに、歩道の上の小さな影を見ている。
(こっち見て、いつもみたいに話せばいいだろ)
光があたると、人よりずっと薄い茶色の瞳。それでおそろしいほど相手を見て喋る紫に対して、心の中で追いたてるようなことを水橋は思っていた。
「わかんない、けど」
(けど、なんだよ)
後に続ける言葉も深く考えずに、口から勝手に言葉を出した数秒前の自分に水橋は呆れる。紫の顔があがっている。縋るような目でみるなんてらしくない、そう言ってやりたい気持ちで水橋は口をひらいた。
「……手始めに、俺と一緒にロボット作ろう」
口から出た言葉に、なに言ってんのと憤るわけでもなく。ありがとう頑張るねと笑うわけでもなく。紫は少しの沈黙の後、静かに首をかしげた。
(それもそうか)
頭の冷静な部分ではそう考えながらも、水橋はより大きく声をだそうと息を吸い込む。波の音が、強くする。大友といた時にはほとんど聞こえなかった波の音が、痛いほど自分の右耳に響いていた。
「それ以上のことなんか、してやれないぞ」
大きな声とはお世辞でも言えないくらい小さな声が出る。それでも、聞こえていたのか紫は少し眩しそうに目を細めて、一言だけ「私、文系なんだけどな」と口にした。