茅山道士 白い犬4
すすめられて飲んでいるのは見たことがあるが、この強い酒を相手出来る程とは知らなか
った。
「この様子じゃ昼頃まで起きないだろう。」
孔の弟子はそう言って、また本堂の奥へ入った。麟のほうも、本堂の神仏に朝のおつと
めをしてから、滝の場所へ行ってみる事にした。孔の弟子に行き先を告げて、馬を出した
。
村から滝までは、川ぞいの道をずっと辿る。途中で、白い彼岸花が沢山咲いていたのを
見て、麟は馬を降りて、一抱え程の彼岸花を手折って、再び、滝へ向かった。
川が狭くなり、馬では行けそうもないので、馬を休ませて徒歩で一番上の滝へ向かった
。一番上の滝は、それほど大きなものではなかった。おかしな気配もなく、川の流れだけ
が静かに音をたてている。若い道士は、持って来た白い彼岸花をそっと滝壺に放り込んだ
。
花は暫くそこに流れがないかのように静止していたが、1本、1本とバラけてくると、
流れにのって、下流へと下って行く。それを見ながら、静かに道士は経文をよんだ。墓も
弔いもいらないといった白い犬の供養のつもりで、何回も何回も経文を唱えて、その冥福
を祈った。自分が倒した志怪に対しておかしな考え方ではあるが、若い道士はそう祈らず
にはいられない。
白い犬は、自分の主人が不幸になっているのを助けたかっただけである。動物の情とい
うのは深いなと、麟は微笑んだ。
彼岸花が全部流れにのってしまうと、麟もゆっくりと道を下り始めた。
花と抜きつ抜かれつしながら、馬のところまで戻ってきた。花はそのまま、麟たちを追い
抜いて流れて行った。白い花の一群がやがて見えなくなると、道士は馬に乗って村への道
をゆっくりと行き始めた。まだ、白い彼岸花は沢山咲いていて、風にゆらゆらと揺れ、ま
るで、その道士を手を振って見送っているようであった。
「後味のよくない一件でしたね。」
自分たちの道観に戻った緑青は、子夏からお茶をもらいながら、その言葉に頷いた。戚
と麟は借りた馬を返しに出て行った。
「人の欲は際限がないな。・・・・それより、麟の腕には驚いた。いつの間にか、師匠の
術を身につけているな。2、3年前に見たときは四苦八苦して雷法をやっていたのに、・
・・・知らないうちに成長している。」
ずずっと緑青がお茶をすすりながら、そう言うと、子夏は怒ったような困ったような顔
をした。
「何だ、子夏。不満か?」
「何だじゃないでしょう? 兄弟子。毎日の修行をみてて、そんな事もわからないんです
か。あれだけ自分に厳しくしていれば、力量だって備わりますよ。」
そんなものかな、と緑青は苦笑いしながら、弟弟子の言葉に、また頷いた。それにして
は、体力がついていないのだが、
「・・・・・おい、子夏よ。近々、麟は風邪でもひいて寝込むから、厚く看病を頼むぞ。
」
突然の兄弟子のお達しに驚きもせず、子夏は、「はいはい。」と、答えた。大抵、大き
な術を使った後、麟は寝込む癖があるからだ。
「まあ、2日続けて気を最大限まで引き上げましたからね。だいぶ疲れたでしょうよ。」
「・・・・あの癖は治らんのかな、子夏。」
「さあ、こればっかりは、本人次第ですからね、なんとも。」
寝込む前に、先に一服もって寝込ませましょうか、と子夏が冗談を言うと、兄弟子は、
「バーカ。」と、一声あげて笑いだした。
馬を返しての帰り道、昨晩の出来事を戚に報告すると、戚は麟を見てカラカラと大笑い
した。
「ああ、緑青兄はザルみたいなもんさ。本人は酔いもしないし、別においしいというわけ
でもないらしいから、好んで飲まないんだ。・・・・・たまに、少し嗜んでるよ。子夏兄
とふたりで。」
俺も麟も子供扱いして、まぜてはくれないんだから、とぶつぶつと戚は道々つぶやいた
。戚だってもう30才に手が届くのに、まだ子供だと子夏はいいはる。
「でも、戚兄は外へ遊びにいってるじゃないですか。」
「そりゃそうさ、薬屋のおじさんの手伝いもあるし、向こうに泊まることもあるからさ。
たまには楽しなきゃ。」
戚は、道観の中で唯一身内があり、親戚のやっている薬問屋の手伝いもしている。だか
ら、道士のほうが一応本職だが、いつ逆転するとも限らない身である。そんな訳で、社会
勉強とばかりに薬問屋の手伝いと称して、2、3日家をあけたりする。
「今度、一緒に行こうか? 麟。」
「いや、遠慮しときます。どうも、人と逢うのは苦手で。まだ幽霊とか鬼のほうがましで
す。」
あきれて声をあげて戚は、道観の門を開けた。人見知りの激しいというわけでもないの
に、おかしな奴だと思いながら中へ入った。
「肘の腫れはひいたのか? 麟。」
思い出したように、戚は尋ねた。「ええ、大丈夫。」と、言おうとして麟は、ここでそ
う言うとまた同じ目に逢うので、「ちょっと痛いです。」と、答えた。
「そうか、治ったら、また相手してくれ。・・・・・ただいま、子夏兄、緑青兄。」
玄関の椅子でお茶を飲んでいたふたりに声をかけて、戚が中へ入った。続いて、麟も入
った。
「おかえり、お礼は渡してくれましたか、戚。」
「もちろん、子夏兄。・・・・・そうそう、麟はまだ腕が痛いらしいから、湿布薬を変え
たほうがいい。」
ニヤッと戚は笑いながら、麟を見た。子夏と緑青も麟を見て、ニヤリと笑った。
「何ですか? みんなして。」
代表して子夏がみなの意見を述べた。
「お前、また風邪をひいて寝込むだろうから、2、3日外へ出てはいけないよ、麟。」
「その癖は早く治せよ、麟。」
付け足して緑青も言う。更に、戚も、
「今から寝てたほうが楽じゃないか?」
と、追い討ちをかける。
「心外だな。こんなに元気なのに、大丈夫ですよ。」
ふんと、怒りながら麟が奥に入っていったが、結局、次の日、熱を出して寝床から起き
れず、「ほら、あたったじゃないか。」と、みんなから散々茶化されることになる。