愛が望む遠い約束
「え!? いや、もうしません」と頭を下げる。
「……冗談よ、冗談。それとも本当に見たい?」
「見せてくれるの!?」
「切り替わり早いね。それも冗談に決まってるじゃない。ベスト着ていこっと。じゃ、また明日ね。バイバイ」
そう言い残して清美は駅のホームまで走っていった。
***
上村は、拓真に彼女ができたことをまだ知らない。拓真はちゃんと話すだろうか。
二人は放課後の屋上にいる。俺は扉の影に隠れて聞き耳を立てた。
***
私は拓真君を求めたいあまり、受験で忙しい彼を半ば無理やり屋上に連れてきた。
これから、私は告白するんだ。
もしかしたら受験より緊張するものではないだろうか。そう思う。
「話しって、何?」
放課後の太陽に照らされている拓真君は、いつもより綺麗だなと、女の私でも思ってしまう。
何とか普通にできないものかと思いながら緊張感を隠すのは、予想以上に大変なことだった。
「三原君……うぅん。拓真君!」
私は思いきって彼に告白した。
***
真司の言ったとおりだった。
紫園からの告白を断ったら、彼女は涙を流しながら、それでも何も口から出さずに走って屋上の出入り口へと消えた。
僕は本当に残酷だ。今まで散々紫園に期待させておいて、彼女ができた瞬間これだ。
「よぉ、優柔不断魔」
「真司……」
***
受験生にとって一番嫌なこと。それは時間の経過が早すぎるということ。限りある時間の中で苦手科目を克服し、得意科目をもっと伸ばすということは、並大抵なことではない。
でも私が拓真君の家庭教師になってから、彼の成績は短期間でグンと伸びた。
冬に突入したばかりの時期、彼の最後の全国模試の結果、第一志望校がA判定だった。私は嬉しくなってきた。
ただ、不安が一つある。それは拓真君と同じ学校に通う上村紫園だ。
拓真君は、彼女に告白されたけど断ったと、言っていた。以降、彼女と笑って会話することはなくなったという。
「その子に、悪いことしちゃったな」
「悪いだなんて思うこと、ないんじゃないかな。だってこればかりは当人の心の問題であって、別に清美が悪いって思うことはないさ。
真司は上村のことが好きだからさ。どうにかなるよ。
それよりも僕は君に約束するよ。同じ大学に行くっていう約束を」
私は拓真君とささやかな、叶わなくなる約束をした。
***
清美から告白されて半年が過ぎ、一月になった。彼女はセンター試験で、僕は一般入試で受験を終わらせるつもりだ。
初詣は僕と清美、真司と紫園の組み合わせだった。清美と紫園は初対面だ。
最初、僕は面倒なことにならなければいいなと思っていた。紫園の告白を断ってから彼女と直接話すことがなくなったからだ。
ただ、真司が紫園と付き合うようになった。間接的だが、またいつものように三人で会話することが可能となったので、いらない心配に終わった。
「千石と紫園がこんなに早く仲良くなれるなんてな」
「ああ、予想外だったぜ」
二人は一緒に神社のおみくじを引いている。
不確実で不安定で、謎めいた未来に心を躍らせながら……。
第二部『別れと再会』
あの日から、私は飯嶋君にもシィちゃんにも、そして拓真君のご両親にも会っていない。それどころか、高校生活を共におくってきた友達とも会っていない。
怖い。ただ怖かった。拓真君との思い出で悲しむことが、私には耐えがたい恐怖だった。
それからの私の心は、終わることのない冬をまとい始めた。
アルバイトや大学のレポートに追われる毎日をおくっているが、ふとした瞬間に無表情な拓真君が脳裏をかすめるのだ。
そういうとき、一日、私は孤独感と無力感、そして絶望感に支配される。
そして気がつく。もう、拓真君の声をすでに忘れてしまったことに。だけど彼との遠い過去は、忘れられない。それどころか悲しみと憎悪で色濃く頭の中に蘇ってくる。
私は、どこで何を間違えたのだろう。なぜ復讐は許されないのだろう。なぜ被害者が耐えなければならないのだ。
小さなアパートで、天井をジッと見つめながらそんなことばかり、今日の私は考えている。
『なぜ』がつきまとう。
いったいなぜ、こんなありえない現実に迷い込んでしまったのだろう。
気晴らしにタバコをくわえ、新聞受けの中をチェックしようと外に出た。
「……憎らしいくらい、綺麗な夕焼け」
拓真君は夕焼けが好きだったことを、私は思い出した。
彼の部屋の壁にはたくさんの夕焼けの写真が貼られていた。
思い出したくないけど、思い出さずにはいられないし、それを大切にしたいという気持ちも、心の片隅にあった。
「ねぇ、拓真君。何で目を覚ましてくれないの? このままじゃ、約束……」
――約束。そうだ。拓真君はまだ約束を守ろうとして、目覚めようとがんばっているかもしれない。それで私の脳裏に現れるのか。
私は明日の朝一番に病院に行こうと思った。
第三部『目覚めぬ約束』
僕は毎日、お兄さんのお見舞いに行く。たまにお兄さんの家族や友達と会うこともあるが、千石さんというお兄さんの恋人とは会えないでいる。
たぶん現実が辛すぎて、そしてむなしくなるからだと思っている。
さぁ。今日もお見舞いだ。
僕はできるだけ質素な服装をする。黒い長袖とジーンズ、黒のシューズ。いつも遊びに行くときはアクセサリーもつけたりするが、そんなふざけた姿で僕は恩人の前に出るつもりはない。
玄関から外に移る。今朝の天気予報では午後から雨が降るとあったが、午後四時現在、空は快晴だった。
「なんだろう。空が、いつもと違う気がする」
今日、何かが起こる。そう、確信した。
***
面会時間終了まで一時間。
私は受付で尋ねた病室の前にいる。〝三原拓真〟という名札が貼られている病室の前だ。
一つ息を吸い、そして吐く。それからノックをして仲に入っても大丈夫か合図を送る。しかし聞こえる音は何もなかった。
それから数秒おき、病院の壁と同じ白のスライドドアを滑らせた。
四角い病室の壁際にベッドがあり、彼が眠っていた。
夢に出てくる、あるいは脳裏に浮かぶどの拓真君よりも、目の前の拓真君は優しい顔をしている。
その時だった。
「もしかして、三原さんの……」
後ろから声がした。少年の声だ。数年前よりもどこか大人っぽい低い声だ。
振り向くとやはり、サッカーボールを持った少年が立っていた。
「あの、僕……」
「大丈夫」
「え?」
「大丈夫だから。拓真君と私はこの先も絶対大丈夫だから、もうそんな顔しないで」
今の私も、拓真君と同じくらい優しい顔を自然に出せているといいな。
「僕、絶対サッカー選手になります。お兄さんのおかげで助かった命を使って」
「うん。そうして。私はもう大丈夫だから」
少年の気持ちを許した瞬間、背後で人の動く音が聞こえた。
ベッドの方へ顔を戻すと、彼がゆっくりと笑っていた。
そこで私の夢は終わった。
エンディング
誰からの許しももらえないのはもちろんだが、許しを与える者も辛い。笑って耐えなければならないからだ。