愛が望む遠い約束
電車の中、真司は自分の進路について話している。別に良い格好しようとか、そういうわけではない。ただ単に真司は語っているだけだ。
「三原君は何を目指して大学受験するの?」
そして紫園は僕達に『友達』として接する。そこに恋愛感情なんて入る余地はなかった。でもそれが逆に僕には助かった。
以前真司は、僕に紫園のことが好きなんだろと指摘したが、僕が真司に言う言葉でもあった。
つまり三角関係で友情がひび割れることがない。それがありがたい。
「サッカーは続けないの?」
「まぁ、な。僕、下手だから。たぶん別の何かを探して、その何かに熱中してると思う。それがパチスロじゃなきゃいいんだけど」
「三原君がタバコくわえながらパチンコ? ぜんっぜん想像つかない。似合わないと思う」
僕も同感だ。というより、そんなつまらない学生生活は嫌だ。
「でも二人とも、大学に行ってからも一緒に遊んだりするんでしょ?」
僕と真司は揃って顔を見合わせる。
……。
「拓真。今度、絶交状送っていいか?」
「元払いで頼むよ」
僕達の冗談に紫園はクスクスと笑う。まるで頭の中で涼が転がるような感じだった。
こんなささいなことでも幸福だと思えてしまう僕は、仮に優衣さんが引っ越さなくても彼女と付き合うことはできないだろう。なぜなら、優衣さんは優衣さんで憧れている人がいるのだから。つまり臆病な僕では無理だということだ。
そうしてお喋りしていると、町田より一つ前の相模大野駅に到着するアナウンスが流れた。
「どうして楽しい時間ってすぐに過ぎ去るんだろうね。
私ね、今日二人と一緒に帰れて嬉しかった。じゃあ、また来週」
何か今、紫園から殺し文句を言われた気がした。
「調子乗るなよ、拓真」
「お前もな!」
それから僕達二人は無言のまま町田に到着した。
***
電車の中で、ストーカーとその友達が同じ学校の女子と話しているのを見かけた。
そう、確か名前は〝三原拓真〟。私の友達が教えてくれた。
良く晴れたある日、予備校の自習室で私の後ろに座っていた人だ。友達がメールで『後ろの人に背中見られてるよ』と教えてくれた。
ゲッ、キモイなと驚いて後ろを向いたら、整っているというわけではないけれど、それなりの顔立ちの人が席に座っていた。
別にその時初めて見た顔というわけではない。予備校からの帰り道、早歩きまたは走ってよく私を追い越す人だった。
最初は特に意識していなかったけれども、夏に入ってから頻繁に見かけるので、もしかして私に気があるのではないかと思うようになっていた。
そんな彼の顔が至近距離で目に入ったので、私はそのことにも驚いて慌ててノートに視線を戻した。彼も『やべ』って顔をして慌てて机に視線を落としたように、一瞬見えた。
でも、やはり私の勘違い……つまり自意識過剰だったのかもしれない。
彼は友達に向けるものとは違った笑みや困惑を女子生徒に送っていたのだ。どこか、諦めているような哀しい表情だった。
そしてたぶん彼女も、彼のことが好きなんだろうなと思った。だって彼の友達と話しているときでも、視線は彼に泳いでいたのだから。
それとももしかして女たらしの優柔不断男? どうだろう。少し試してみようと思った。
***
僕と真司はまず受付で自習室の席を取ってもらった。僕はその際、彼女がいるかどうかチラッと座席表の中から捜したが、まだいないようだ。
残念さを感じながらも、この後の英語の単語・熟語テストに備えようと自習室で勉強を始めた。途中、残念さが自然消滅したが、すぐに期待に胸が躍った。彼女が自習室に入ってきて僕の前の席に座ったからだ。
周りに空席はいくらでもある。僕と真司は自習室の一番奥の後ろに座っていたのだから。真司が一番後ろで、その前が僕。そしてさらにその前が彼女。
何かの偶然だろうか、それとも……。
「おい、拓真」と、真司が僕の背中をシャーペンの頭で突きながら小声で話しかけてきた。少し外に出ようという合図をする。
僕は頷いて答え、真司の後を追った。
「千石清美。何であんなところに? 俺達以外に自習室にいるの、たったの二人じゃねぇか」
「それは僕が知りたいよ」
真司は顎に手をやる。そしてこう言った。
「次の英単語テストのとき、わざと時間ぎりぎりに教室に入って、千石の隣に座るっての、どうだ?」
「僕らが座る前に誰かに取られたらどうするのさ?」
「俺が何とかするよ。任せとけ」
単語・熟語テストの時間になった。真司は誰よりも早く教室に入り、一番後ろの壁側の席を取る。そしてだんだんと他の予備校生も教室に入っていく。だがそこに清美の姿は見られなかった。
開始五分前になって真司からメールが来た。
『俺の隣の席、二つ取っておいた』
たぶん荷物を置いて占領したのだろう。普段の真司を思い出すと、その行為は真司らしくなかったが、友情のためだろうなんて馬鹿なことを考え、そして教室に入って真司の隣に座った。
「大丈夫かよ?」
周りに清美の姿は確認できない。
「俺には何の責任もない。あとは運しだいだって」
解答用紙が配られる。と、同時に教室のドアが慌ただしく開く。
「すみません! 遅れてしまいました!」
千石清美だった。
清美は講師に睨まれながら慌てて俺の隣の席に座った。他にも開いている席はチラホラとあるのに。わざわざ教室の一番後ろの壁側に座ったのだ。
そして清美は、俺が机に出している予備校のカードをジッと見つめ始めた。
ドキドキした。名前、チェックされてるだろうな。どういう想いでチェックされてるか、僕には二つの想像しかできなかった。
まず、期待しているチェック。
二つ目は嫌悪の想いによるチェック。
どっちだろう。
テストが終了し、他の予備校生達は解放感という新鮮な空気を味会う中で、僕はテストとは別の緊張を感じている。
ペン入れを学生鞄に詰め込んで教室を出ようとした瞬間「三原、拓真君」と、聞き慣れていないシルクを思わせるような声が背後からした。
千石清美だった。
「いつも私と同じくらい、最後まで自習室に残って勉強してるよね?」
「え? あ、ああ、うん。僕、今までの成績悪かったからさ。必死なんだ」
不意を突かれたような感じでしどろもどろになってしまった。
「ねぇ、この後は自習室?」
「うん。さっそく今日のテストの自己採点や間違えたところをおさえておきたいから」
清美の口と身体から甘い香りが漂う。思考回路がどこかへ飛んでいきそうだった。
「私もテストの復習をしようかな」
こんな近くで彼女と話しをしているこの状況に、僕はドキドキした。
甘い香りと、少し幼げな雰囲気が残っている凛とした顔と姿勢。そして豊な胸。改めて美しいと思った。
「あのさ、図書館で一緒に勉強しない? お互いに教え合いながら」
「え? 自習室は?」と言ってから、しまったと後悔した。
「自習室は私語も会話も禁止でしょ」
「ああ、そうだね。じゃあ図書館に行こうか」
僕は真司に図書館で清美と勉強することになったことを、嬉しさを交えて報告した。
「気負い過ぎて変なことするなよ」
「僕はそこまでガっついてねぇよ!」