小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

少女の初恋

INDEX|2ページ/2ページ|

前のページ
 

 高村はシャツを日の当たる小枝に干した。
「僕はあっちへ行くから、ズボンも干したらいい。このタオルでからだを拭いたいい」とタオルを投げた。ナナは胸を片方の手で覆いながら受け取ろうとしたが、うまくいかず、再び胸があらわになってしまった。
 ナナは胸を高村に見られたことで、何かしら高村に対する不思議な思いが起こった。誰にも見せたことのない大人になりけた乳房である。恥ずかしいようで、それでいて妙に嬉しくも感じた。秘密にしていたものを共有されたような気持ちかもしれなかった。ナナは十四になっていたが、恋というものを経験したことがなかった。恋に対する期待というものも欠落した。それは自由奔放に生きる母親の反面教師にしていたせいかもしれない。
 母親のキョウコは目鼻がはっきりしていて胸も大きく派手な服装が似合う美人だった。どこか華やかな薔薇の花を連想させる美しさがあった。その美しさは、娘のナナも認めた。ナナはどちらかというと、そういった華やいだ雰囲気というものが欠如していた。顔立ちも清楚で整っていたが、どこか物足りなさを自分でも感じていた。だから、母親がいろんなところで男友達を作るにも妙に納得した。美しすぎるのだ。美は太陽のように燦然と輝いていて、その悪徳もその強い光に焼かれてしまうのだ、とナナは思った。また、恋をするには、母のように胸が豊でなければならない。いつの頃かそんなふうに思っていた。だが、ナナの胸もまるで別の生き物のように大きくなっていった。
 
少女が女であることに目覚めるのは、おそらくナナくらいの年頃であろう。ナナは、高村の家にいくときは、必ず口紅を塗るようになった。ブラジャを身につけるようになった。鏡を頻繁に覗くようになった……数えるときりがないくらい変わっていた。それは、ナナが既におのれのうちにある女性を意識し始めていた証拠であろう。

 帰省して、一週間が過ぎた日の昼下がりのことだった。
 ナナは誰にも見せるわけでもないのに、赤いブラジャをつけなおした。そしてそのうえに赤いシャツを着た。鏡の前で少し母親の口紅をつけた。ブラジャのように赤い口紅をつけた。
 高村の家の前で高村の名を呼んだ。高村が出てきた。驚いたことに、その背後に母親が立った。
「高村さん。とても絵がうまいの。だから絵を描いてもっているのよ」
「ナナも上がりない」
「いいわ、帰る」と言ってナナは高村の家を飛び出した。
 後ろで「おかしな子」という母親の声がした。どうして走り出したのか、自分でもわからなかった。
 気づいたとき、彼女は砂浜にいた。どうしょうもないほど、涙が流れてきた。やがて涙は止まった。
 ナナはふと目の前の青い海が広がっていることに気づいた。波が穏やかに寄せては退いていく。青い海、まるで南のような海。でも、どこか違う。彼女はひとりでぶつぶつと呟いて、砂浜を行ったり来たり、しゃがんだり、ぼんやりと海をみたりしたが、いっこうに気持ちの整理がつかなかった。やがて日が沈みかけてきた。
「きれいな夕日だね」と背後から声がした。
びっくりして、ナナが振り向くとそこに高村がいた。
「夕日が好きかい?」
 分けもわからずナナはうなずいた。
「僕も好きだ。夕日を見ていると、心の中にある嫌なことがみんな離れていく。古代から太陽信仰があったのもうなずける。今日の君は綺麗な唇をしているね」
 ナナは黙って顔をそむけた。嬉しかったからである。嬉しい気持ちが素直に相手に表現できなかったのである。
「高村さん。お母さん、綺麗でしょう?」
「ああ、とても」
「私よりずっと綺麗でしょう?」
「そんなことはない。君もいつかはお母さんより美人になる」
 ナナは振り向いて、高村の眼を見た。嘘のついているような眼をしていなかった。
「お母さんの絵できた?」
「途中で止めたよ」
「どうして?」
「理由はない」
 ナナは笑った。ほっとしたのである。
「君は本当にミステリアス少女だ!」
「それは高村さんにだって言えることだわ、有名大学の法科をトップクラスで卒業しながら、片田舎の教師をしているじゃない」と言おうとしたが止めた。
「高村さん、一つ聞いていい?」とあらたまった顔してナナがたずねた。
「何を?」
「何でもないことだけど」
「だったら、聞かないで欲しい」
「だったら、止めるわ」
 ふい、恋というのは、こんなものかもしれない、と思ったとき口が勝手に噤んでしまった。恋とは、相手に関する何でもないことまで知りたくなること、といった友達の言葉をナナは思い出した。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
「どこも悪くない……悪くない」と呪文のように繰り返した。

 「この高村さんに返してほしいの」と母親が頼んだ。
「高村さんに?」
 ナナは少し嫌な顔した。が、内心は嬉しかったのである。というのも、この頃、高村と会っていなかったのである。会いたいという思いが、反対に彼女の足を重くした。
「そうなの、お母さん、これから街に行って友達に会うから」
 母親が渡したのは、モリエールの小説集だった。
 教師の家に勝手に上がりこんだ。
「何をしているの?」
「本を読んでいるのさ」
ナナはくすっと笑った。
「おかしいかい?」
「だって、そんなこと見ればわかるわ」
「じゃ、何が聞きたいんだ」
「何の本を読んでいるの?」
「パスカルの本だ」
「パスカルって、フランスの哲学者?
 高村は本を置いて、ナナの顔を見た。
「ナナちゃんは、意外と賢いだね」
「ナナちゃんは止めて、もう子供じゃないわ」
 高村は笑った。
「何がおかしいの!」
「ごめん、ごめん……確かに君はもう子供じゃないかもしれない。背も高いし……」
「君は何が好きなのかね?」
「何がって? 勉強のこと? 勉強なら、数学よ」
「あんな難しいのが?」
「簡単よ、公理、定理を知っていれば、どんな難しいことでもわかるもの。でも、歴史とか文学といった人に係わることは原則とかいったものがないもの。理解できないことが余りに多くて嫌になっちゃうの。だから嫌いよ。先生、一つ聞いていいですか?」
「何だい?」
「好きな人はいますか?」
 高村はじっと考えた。ナナの胸は高鳴った。
「いないよ」
「前はいると言ったよ!」
「レベルの問題だな。恋人という意味ではいないな」
と言ったとき、少女の顔は笑みがこぼれた。
「じゃ、私のことは?」とつい聞いてしまった。
なぜ聞いたのか自分でも分からなかった。
「好きだよ」と本を読みながら高村は答えた。
「私が大きくなるまで……待ってください」と小声で言った。が、ちょうど、そのとき、開けてあった窓に一陣の強い風が吹いてきて、部屋中の紙が舞い上がって、高村はそっちの方に注意がいった。
 帰り際に高村はナナに向かって、「人生にはいろんなことがある。今の君は全てが勉強だな」と呟くように言った。何を言っているのか、ナナにはよく分からなかったが、神妙な顔をうなずいた。




作品名:少女の初恋 作家名:楡井英夫