少女の初恋
『少女の初恋』
ある年の夏のことである。
海辺のある村の旧家である実家に、母親のキョウコと娘のナナがやって来た。キョウコは三十五歳で、華やいだ印象がした。娘は十四歳で、どこか大人びた感じがした。
キョウコがナナを伴って実家にきたのは、一つは、ここ数年間帰ってことがないので、たまにも帰ろうかなという気持ちになったためである。口うるさい兄嫁が死んだので、敷居も跨ぎやすくなったのと、つい最近若い男友達とホテルで一夜のアバンチュールを楽しんだことが夫にばれたので顔を合わせるのが辛かったためである。キョウコはナナに「夏休みの間、実家に泊まるから」と言って東京の家を出た。
実家はかつての地主で、広い庭と荘厳とした家で地元では有名である。
「大きな家、これが本当にお母さんの家?」
「お母さんのものじゃないけど、お母さんが育ったところよ」
「いいこと、静かにしていなさい。お祖母さんはとてもうるさい人だから」と玄関の前で忠告した。ナナは軽くうなずいた。
親子を出迎えた七十に手が届こう小柄な老婆であった。ナナの祖母にあたる人物である。背中が少し曲がっていたが、歩き方は矍鑠としていた。
広い庭に面した部屋に母と娘は通された。
祖母が母親と昔話をしていた。その間、娘は外を観ていた。ふと、老婆の方を見ると、その眼にうっすらと涙が浮かんでいた。それにつられるかのように、母親も涙ぐんできた。
二人が話をした後、「おばあちゃんは良い人?」とナナは母親の耳元で尋ねた。
「そうよ、でも、とても怖い人よ」と呟いた。
母親の生き方を見ればどんな優しい人も怒るに違いないと娘を思った。風のように気儘に生きる人だったので、節操というものがまるで欠けていたからである。
母と娘に一室があてがわれた。
ナナは部屋に荷物を置くと、古びた旧家を探検した。どこか、時間をタイムスリップして別の世界に紛れこんだように錯覚し、好奇心を刺激したからである。
その夜、雷がとどろいた。その度に家全体が揺れるようであった。ナナは古びた家に対する違和感と雷のせいでなかなか寝つかれなかった。
「お母さん」
「どうしたの、ナナ?」
「雷がうるさくて眠れないの」
「そうね」
「話をしていい?」
「もう遅いわ、明日、行くところがあるのよ」
「ほんの少しだけ」
「少しならいいわよ」
「お母さん、聞きたいことがあるの?」
「何?」
「お父さんのこと好き?」
「どうして、そんなことを聞くの?」
「別に何でもない」
「変な子」
ナナは黙りこみ、父のことを考えていた。不思議なことに、雷光に照らされた天井に父の顔が浮かんだ。びっくりして、思わず声を出してした。
「どうしたの? ナナ」
「何でもない」と言って頭から布団を被った。
「変な子」と繰り返して母親が言った。
「母さんの子だもの」と小声と言い返したが、その声は雷の音にかき消された。
翌日、キョウコはナナを伴って、高村の家を訪ねた。
高村は高校の教師をしている。キョウコと高村は共に同じ大学の出で、学校では歴史を教えている。
母親がナナに向かって、「ナナ、高村さんに勉強をみてもらいなさい」と言った。
「そんなの失礼よ、お母さん」
「なぜ?」とキョウコは言った。
「だって、先生だって夏休みだもの。それにナナは学校の成績は悪い方じゃないわ」とナナは不機嫌そうに呟いた。
高村と母親は顔を見合わせて笑った。
「キョウコさんの娘だったら優秀だね。旦那さんのタケシさんとともに伝説の秀才で有名でしたからね。その娘が悪いはずがない」
「誰も馬鹿だとは言っていないわよ。高村さん」とキョウコはわざと少し怒ったふりをした。
高村はしまったという苦笑いをした。
その後も高村とキョウコは親しそうに会話した。ナナは、母親と父親がこんなふうに親しげに話をしているところを見たことがなかった。母親は自由奔放に生きていた。風見鶏のように気が向けば、右にも左にも向いた。好きな相手が出来れば、すぐに惚れた。反対に父は典型的なインテリで、何事にもいつもクールに対応した。人付き合いも淡泊であった。キョウコにも、ナナにも、ある程度の距離をとっていた。
ナナはそれから、高村に勉強をみてもらうために通うようになった。
勉強をみてもらった後、少し話をした。
ナナが話すいろんな国の話は高村を驚かせた。タイ、シンガポール、マレシーア。ナナの父は商事会社の勤めていて、その父に連れられていろんな国を旅したのである。日本に帰国したのは、三年前のことである。
「君はいろんなことを知っているね」
ナナは少し得意気になってうなずいた。
「でも、あんまり知り過ぎるのも問題だな」と高村は呟いた。
ナナは感受性豊かな少女であった。ちょっとした何でもないことでも傷つく。何でもないことに心が掻き乱されてしまうのだ。
ナナは高村の書斎を見回した。部屋の中はやたら本が多くて殺風景であった。飾りらしいものは何一つなかった。ふと、高村を見ている自分にナナは気付いた。そのとき、胸が妙に高鳴っていた。
「先生には、好きな人がいないの?」
「いるさ」
「そう」と言いかけた時、少女が崩れそうになった。少し眩暈がしたのである。
「どうした?」
「何だか具合が悪いの」
「横になればいい。隣の部屋に僕のベッドがある」
高村はナナの肩を抱き、ベッドに運んだ。
ベッドは高村の匂いがした。その匂いは不思議な感じがした。
「明日、山の中にある沼に魚釣りに行くんだけど君も行く?」
村は海と山に挟まれていて、背後に五百メートルくらいの山が連なっていた。高村が言った沼はその山の中腹にあった。
翌日、高村は袖ない丸首のシャツと短パン姿で肩に釣り竿姿で、ナナを伴って沼に向かった。
「暑いだろ?」
少女はうなずいた。
すると、自分の首に巻き付けたタオルをナナの首にかけた。ナナの顔から汗が流れていた。ナナはタオルで汗を吹いた。その日は朝から夏の強い陽光が射していた。
「ここだ」
周りを深い木立を覆われた沼は濁っていた。
「蛇はいない?」
「蛇が怖いか?」
ナナは神妙な顔つきでうなずいた。
「いないよ、いても人畜無害の青大将くらいだ」
「いるの!」
「そんなにはいないけど」
少女は今にも泣き出しそうな顔をした。
高村は無頓着に腰を下ろし、やがて竿を沼に放り投げた。高村に寄り添うようにナナは座った。高村の少し汗ばんだ体の臭いがした。
一、二時間と経った。二人はずっと竿を睨んだままだった。
「なかなか釣れないね」
「こういう日もある」
ナナは立った。
「どうした?」
「お尻がいたいの」と尻の土を払いながら言った。
「ちょっと探検してきていい?」とかけ出した。
しばらくして、ドボンという音とともにナナの悲鳴が聞こえてきた。高村が急いで駆け寄ると、ナナが沼のなかで手をバタバタとさせていた。高村は飛び込んで、ナナを沼から引き上げた。
「大丈夫かい?」
少女は激しい息をしてうなずいた。
「服を脱いで乾かした方がいい」と高村はシャツを脱がした。
ナナはシャツの下は何もつけていなかった。既に膨らみ始めた胸があらわになった。少女は男の視線に気付き慌てて隠した。
ある年の夏のことである。
海辺のある村の旧家である実家に、母親のキョウコと娘のナナがやって来た。キョウコは三十五歳で、華やいだ印象がした。娘は十四歳で、どこか大人びた感じがした。
キョウコがナナを伴って実家にきたのは、一つは、ここ数年間帰ってことがないので、たまにも帰ろうかなという気持ちになったためである。口うるさい兄嫁が死んだので、敷居も跨ぎやすくなったのと、つい最近若い男友達とホテルで一夜のアバンチュールを楽しんだことが夫にばれたので顔を合わせるのが辛かったためである。キョウコはナナに「夏休みの間、実家に泊まるから」と言って東京の家を出た。
実家はかつての地主で、広い庭と荘厳とした家で地元では有名である。
「大きな家、これが本当にお母さんの家?」
「お母さんのものじゃないけど、お母さんが育ったところよ」
「いいこと、静かにしていなさい。お祖母さんはとてもうるさい人だから」と玄関の前で忠告した。ナナは軽くうなずいた。
親子を出迎えた七十に手が届こう小柄な老婆であった。ナナの祖母にあたる人物である。背中が少し曲がっていたが、歩き方は矍鑠としていた。
広い庭に面した部屋に母と娘は通された。
祖母が母親と昔話をしていた。その間、娘は外を観ていた。ふと、老婆の方を見ると、その眼にうっすらと涙が浮かんでいた。それにつられるかのように、母親も涙ぐんできた。
二人が話をした後、「おばあちゃんは良い人?」とナナは母親の耳元で尋ねた。
「そうよ、でも、とても怖い人よ」と呟いた。
母親の生き方を見ればどんな優しい人も怒るに違いないと娘を思った。風のように気儘に生きる人だったので、節操というものがまるで欠けていたからである。
母と娘に一室があてがわれた。
ナナは部屋に荷物を置くと、古びた旧家を探検した。どこか、時間をタイムスリップして別の世界に紛れこんだように錯覚し、好奇心を刺激したからである。
その夜、雷がとどろいた。その度に家全体が揺れるようであった。ナナは古びた家に対する違和感と雷のせいでなかなか寝つかれなかった。
「お母さん」
「どうしたの、ナナ?」
「雷がうるさくて眠れないの」
「そうね」
「話をしていい?」
「もう遅いわ、明日、行くところがあるのよ」
「ほんの少しだけ」
「少しならいいわよ」
「お母さん、聞きたいことがあるの?」
「何?」
「お父さんのこと好き?」
「どうして、そんなことを聞くの?」
「別に何でもない」
「変な子」
ナナは黙りこみ、父のことを考えていた。不思議なことに、雷光に照らされた天井に父の顔が浮かんだ。びっくりして、思わず声を出してした。
「どうしたの? ナナ」
「何でもない」と言って頭から布団を被った。
「変な子」と繰り返して母親が言った。
「母さんの子だもの」と小声と言い返したが、その声は雷の音にかき消された。
翌日、キョウコはナナを伴って、高村の家を訪ねた。
高村は高校の教師をしている。キョウコと高村は共に同じ大学の出で、学校では歴史を教えている。
母親がナナに向かって、「ナナ、高村さんに勉強をみてもらいなさい」と言った。
「そんなの失礼よ、お母さん」
「なぜ?」とキョウコは言った。
「だって、先生だって夏休みだもの。それにナナは学校の成績は悪い方じゃないわ」とナナは不機嫌そうに呟いた。
高村と母親は顔を見合わせて笑った。
「キョウコさんの娘だったら優秀だね。旦那さんのタケシさんとともに伝説の秀才で有名でしたからね。その娘が悪いはずがない」
「誰も馬鹿だとは言っていないわよ。高村さん」とキョウコはわざと少し怒ったふりをした。
高村はしまったという苦笑いをした。
その後も高村とキョウコは親しそうに会話した。ナナは、母親と父親がこんなふうに親しげに話をしているところを見たことがなかった。母親は自由奔放に生きていた。風見鶏のように気が向けば、右にも左にも向いた。好きな相手が出来れば、すぐに惚れた。反対に父は典型的なインテリで、何事にもいつもクールに対応した。人付き合いも淡泊であった。キョウコにも、ナナにも、ある程度の距離をとっていた。
ナナはそれから、高村に勉強をみてもらうために通うようになった。
勉強をみてもらった後、少し話をした。
ナナが話すいろんな国の話は高村を驚かせた。タイ、シンガポール、マレシーア。ナナの父は商事会社の勤めていて、その父に連れられていろんな国を旅したのである。日本に帰国したのは、三年前のことである。
「君はいろんなことを知っているね」
ナナは少し得意気になってうなずいた。
「でも、あんまり知り過ぎるのも問題だな」と高村は呟いた。
ナナは感受性豊かな少女であった。ちょっとした何でもないことでも傷つく。何でもないことに心が掻き乱されてしまうのだ。
ナナは高村の書斎を見回した。部屋の中はやたら本が多くて殺風景であった。飾りらしいものは何一つなかった。ふと、高村を見ている自分にナナは気付いた。そのとき、胸が妙に高鳴っていた。
「先生には、好きな人がいないの?」
「いるさ」
「そう」と言いかけた時、少女が崩れそうになった。少し眩暈がしたのである。
「どうした?」
「何だか具合が悪いの」
「横になればいい。隣の部屋に僕のベッドがある」
高村はナナの肩を抱き、ベッドに運んだ。
ベッドは高村の匂いがした。その匂いは不思議な感じがした。
「明日、山の中にある沼に魚釣りに行くんだけど君も行く?」
村は海と山に挟まれていて、背後に五百メートルくらいの山が連なっていた。高村が言った沼はその山の中腹にあった。
翌日、高村は袖ない丸首のシャツと短パン姿で肩に釣り竿姿で、ナナを伴って沼に向かった。
「暑いだろ?」
少女はうなずいた。
すると、自分の首に巻き付けたタオルをナナの首にかけた。ナナの顔から汗が流れていた。ナナはタオルで汗を吹いた。その日は朝から夏の強い陽光が射していた。
「ここだ」
周りを深い木立を覆われた沼は濁っていた。
「蛇はいない?」
「蛇が怖いか?」
ナナは神妙な顔つきでうなずいた。
「いないよ、いても人畜無害の青大将くらいだ」
「いるの!」
「そんなにはいないけど」
少女は今にも泣き出しそうな顔をした。
高村は無頓着に腰を下ろし、やがて竿を沼に放り投げた。高村に寄り添うようにナナは座った。高村の少し汗ばんだ体の臭いがした。
一、二時間と経った。二人はずっと竿を睨んだままだった。
「なかなか釣れないね」
「こういう日もある」
ナナは立った。
「どうした?」
「お尻がいたいの」と尻の土を払いながら言った。
「ちょっと探検してきていい?」とかけ出した。
しばらくして、ドボンという音とともにナナの悲鳴が聞こえてきた。高村が急いで駆け寄ると、ナナが沼のなかで手をバタバタとさせていた。高村は飛び込んで、ナナを沼から引き上げた。
「大丈夫かい?」
少女は激しい息をしてうなずいた。
「服を脱いで乾かした方がいい」と高村はシャツを脱がした。
ナナはシャツの下は何もつけていなかった。既に膨らみ始めた胸があらわになった。少女は男の視線に気付き慌てて隠した。