茅山道士 白い犬2
そう言った麟に、子夏も了承の意を唱えた。野宿なんて慣れた事、夜露をしのげる屋根もあるので、道観の軒を借りればいいさと返した。若い方の道士があくびをひとつして、「では、おやすみなさい。」と、ごろりと横になった。麟の寝付きはとてもよく、その後二言三言、子夏と話すとすぐに寝入ってしまった。白い犬はフンフンと麟のにおいを嗅いでみたが、相手は起きる気はないらしい。
「大胆と言うか無謀と言うか、わしが、おまえの喉笛を噛みちぎったらどうするね、道士さん。」
「・・・・あなたはそんなことしませんよ。」
若い道士は眼をつむったまま、そう答えた。それから、ひょこっと起き上がって犬に向かって、「あなたの骨は何処ですか。」と、尋ねた。
「いきなり、なんだ。」
「あなたの本体はここにはない。死んでいるはずのあなたがこうやって迷い出てくるということは、本体は手厚く葬られていないと言う事でしょう? 」
この犬も、ご主人が静かに冥界へ降りられたら連れて行ってもらえるといいと、麟は思ったのだが、その様子を不満そうに、白い犬は低く唸った。
「わしのことなんぞほおっておいてくれ。わしは山奥の滝の下に眠っている。そのうち骨は魚が砕いて無くなるから、わざわざ埋めてくれんでいい。」
「そうですか。では、無理には申しません。では、おやすみなさい。」
麟が本格的に寝入るまで、白い犬はずっと、その側に座っていた。子夏はあの忌々しい白い犬が、こんなに心穏やかなのを知って少々驚いた。自分たちは、志怪といえば倒すものと決めているのに、麟はなるべく穏やかに事態を収束させようとする。倒さねばならないことも多いが、そういう時も苦しめないように一番強力な術で消すのだ。
以前に麟は、「出来るなら、どんな相手も痛い思いや辛い思いをせずに冥界に送ってやりたい。」と、言った。それは、先代の師匠が麟に命じたことなのだそうだが、子夏には途方もないことだった。自分はとてもそこまで志怪に心を砕いてやれない。みつけたら、即、木剣をふるってしまう。それは、自分が、志怪に対して無力なだけに恐怖心が先に立つからなのだ。白い犬の側ですやすやと熟睡出来る麟が、子夏には信じられない。自分はとても眠れそうにない。白い犬は麟の方をみて、「ええ子だ。」と、ぽつりと言った。それから、子夏の方をみて、「今日は悪かったな、道士さん。」と、ぼそりと言った。
「どういたしまして。私くしのほうも話しを聞く態度ではありませんでしたからね。」
子夏は、持ってきた法衣を麟にふわりと掛けた。あれだけ気を発散すれば疲れもするだろうと、溜息をついた。旅から帰った時より、今のほうが幾分痩せている。術を維持するために厳しい修行をしているらしい。あまり、その姿をみせないのだが、2.3日ふらりと留守をして帰ってくると、ぐったりして、まる1日寝ていたりする。緑青に言わせると、術の鍛練はかなりハードなものらしく、緑青でも音を上げてしまったらしい。それだけではすまないらしく、武術の鍛練を戚と一緒にして、それに、子夏から薬草の知識を勉強して、毎日、そんなふうに道士の修行に明け暮れている。自分たちがやってきた修行と比べれば、その量の多さは恐ろしいほどである。もっとゆっくりやればいい、と皆が言うのだが、人より遅れているから少しでも追い付いて皆を助けたいと言う。こう言われては、反論出来ないので、仕方なく夜のお散歩だけでもやめてもらおうと、子夏は一服盛ったりしているのだ。
「この子は末恐ろしい道士になるだろう。このまま、この澄んだ気のままなら、わしらのようなものの心を楽にしてくれる。そうあってほしいもんだ。」
「大丈夫です。弟弟子は師匠の教えを頑なに守っています。これからもずっとあなた方のような方を助けますよ。」
傍らで、静かな寝息をたてている麟に、白い犬と子夏はあたたかいまなざしをむけた。