茅山道士 人間の皮事件2
道士達は程偉の街を出て次の街までのんびりと旅を続けていた。急ぐ旅ではないのであちらこちらの名勝地など見物しながら前を進む。麟は先日の程偉の女房の話を師匠に切り出すべきなのか迷っていた。尸解して仙人の籍に身を置くことは術のある者ならそう難しいことではない。例えば、青竹を寝台に置き術をかければ本人が死んでいるように見えるというものから、刃物で首を切られたと相手に錯覚させる術まで多種多様に揃っている。しかし、こんな話を緑青にしてよいのか判断がつかない。
「なあ、麟。あの奥方はおまえに何を話してくれたんだ。」
若い道士の心を知ってか知らずか、緑青は道々そんなことを言い出した。
「たいしたことではありません。薬草の話が主だったと記憶していますが、」
「そうか。」
ポツリと一言。師匠は吐いてまた風景に眼を移してしまった。本人は気付いていないが、ただ単に尋ねたことが麟の心を動揺させた。そして、尸解の話はいつか折りをみて話そうと、その問題を心の奥に降ろした。
「今日は、あの街で泊まりにしましょう。お師匠様。」
「ああ、いい道観(作者注*仏教でいうところの寺)があるといいな。」
緑青は古く大きな城壁を眺めながら、のんびりした口調でそう言った。そして、目の前に見える街に向かって、ゆっくりと歩を進めた。街に入る手前で麟は少し足を止めた。川岸に水鬼が見えたからである。水鬼とは水に溺れて死んだ者が未練が残って冥界へ行くことが出来ずに、志怪になってしまった者のことである。志怪になった水鬼は誰かをそこへ引き摺りこまなければ永遠に冥界へは行けないのである。哀れに思った若い道士は立ち止まって経をあげてやった。道士の仕事は志怪を退治するだけではない。最大の使命は魂を鎮めてやることなのである。水鬼は麟の心鏡を通して少し楽になったと礼を言って来た。そして自分の側には青い顔の妖怪がいて結構仲良くやっているのだと伝えてきた。麟の心鏡にも、その妖怪は現れた。鋭い鋸のような歯が口からはみ出してあまり気持ちの良い顔ではないが、さほど邪気を感じなかったので、そのまま放置しておくことにした。緑青は立ち止まった麟が、またぼんやりと景色に見とれているのだろうと少々呆れた様子で待っていた。
街に到着した道士二人はまず、常通り街ごとにある城隍廟(作者注*日本でいうところの土地神。)に礼拝した。街の規模と同様にこの廟もかなり大がかりな建物で街の者たちの供物がたくさん並び線香が絶えることなくあがっている。廟はひとりの神だけを奉っているわけではない。土地神の像を中心にして、その土地神を守護する将軍たちが周りに侍っており、別の場所には土地神よりも位の高い関帝(財産・賭博の神)や媽祖(航海守護女神)たちが奉られている。彼等は先に土地神城隍神の神台の前で平身抵頭の祈りをして自分達の旅の安全とこの街への滞在の挨拶とを祈った。それから、他の神々にも挨拶して廟をひとまわりして外へ出ると、『道士様。』と声を掛けられた。振り向くと、そこには程偉の女房津氏が笑顔で立っていた。
「おひさしぶりでございます。覚えておいででしょうか。以前、主人程偉がお世話になりました。」
その顔を見た緑青と麟の表情はまったく別の意味で驚いていた。緑青は、意外な人物との対面に驚いていた。そして麟は奥方の現れた真の意味を知っていて対面に当惑していた。あまりに早いと麟は思った。ふたりの表情を見ながら、奥方は笑みを絶やさずに話を続けた。
「用がありまして、こちらへ参りました。しばらくお仲間にお加え戴けますでしょうか。」
「あなたのような方が伴もつけずにご旅行ですか。」
緑青は驚いた表情をすでに止めている。
「はい、私事ですので、どうか行き先はお聞き下さいませんように。私の行き先と貴方様方の行き先が違った時にお別れいたします。」
おかしなことを言う、と年上の道士のほうは思ったが女性の一人旅は不憫だろうと優しい心が動いた。
「私どものほうはよろしいですが。なあ、麟。」
ええ、そうですね、と返しながら若い道士は彼女の顔を見て尸解して来たのかと眼で問うてみた。彼女のほうもわかっているらしく、眼でそうだと同意した。
「ええ、私くしも。」
と、若い道士も微笑みはしなかったが同意した。
麟たちが街はずれまでやって来ると、ひとりの男が前から歩いて来た。いかにも生気のない顔の男である。女と若い道士は、その男に何かを感じた。
「何かあったのですか。」
麟は前から来るその男に問うてみた。不審そうな顔をした男はあたりまえの答えを返してきた。
「え? 別に何も・・・・・一体なんですか。あなたは。」
「私くしは修行の旅の途中の道士で麟と申します。向こうは師匠の緑青です。一目見たところ、あなたの身体には邪気がまつわりついているのです。これだけ、ひどく邪気があるのだから何もなかった筈はないのですが。」
男は何か心当たりがあったらしく表情に陰を落としたが、一瞬のうちに立ち直りひどく憤慨した様子で、
「何もないのに失礼だ。」
と、吐いて立ち去ってしまった。
「麟。何か感じたのか? 」
奥方に聞かれぬように、師匠役の緑青が若い道士にそっと耳打ちした。師匠役の道士は見鬼の能力が劣っているので相手の男の生気のなさは感じるが邪気まで感じ取ることができない。そして、奥方が人物の観察眼に優れていることを知らないので、あくまで自分が師匠のように振る舞っているのである。若い道士は先程の男の生気が何者かによって吸い取られ、もしこのままなら、そう遠くない将来に男はその志怪に取り殺されてしまうだろうことを伝えた。そう話しながら、ふたりは男を追い駆けるように歩いていく。その背後の者たちに気付かぬ男は自分の館へと入って行った。館はそう大きなものではないが、相当古く威厳のある建物である。庭が広く奥深いようであった。
「どうしましょう。」
館までつけてきたものの、依頼されていないので男の志怪を倒してやることができない。志怪を倒すことは道士の勤めであるが、取憑かれている本人の協力がなければ志怪は取り除けないのである。師匠の緑青は裏へまわって今、外から戻ったのがここの主人かを下女に尋ねた。主人だと分かると、今度はここの夫婦仲など尋ねてから、麟たちの元へ戻って来た。
「奥方に話をしてみよう。それで、だめなら諦めて相手が死ぬようになるまで待つしかないだろう。」
再び、裏口に行き奥方に御主人のことで是非話したいことがあるので伝言してほしいと頼んだ。すると、すぐに奥から奥方ではなくて主人のほうが血相を変えて走って来た。
「先程は大変失礼を致しました。道士様。どうか助けてください。あれは、あれは恐ろしい妖怪です。」
「なあ、麟。あの奥方はおまえに何を話してくれたんだ。」
若い道士の心を知ってか知らずか、緑青は道々そんなことを言い出した。
「たいしたことではありません。薬草の話が主だったと記憶していますが、」
「そうか。」
ポツリと一言。師匠は吐いてまた風景に眼を移してしまった。本人は気付いていないが、ただ単に尋ねたことが麟の心を動揺させた。そして、尸解の話はいつか折りをみて話そうと、その問題を心の奥に降ろした。
「今日は、あの街で泊まりにしましょう。お師匠様。」
「ああ、いい道観(作者注*仏教でいうところの寺)があるといいな。」
緑青は古く大きな城壁を眺めながら、のんびりした口調でそう言った。そして、目の前に見える街に向かって、ゆっくりと歩を進めた。街に入る手前で麟は少し足を止めた。川岸に水鬼が見えたからである。水鬼とは水に溺れて死んだ者が未練が残って冥界へ行くことが出来ずに、志怪になってしまった者のことである。志怪になった水鬼は誰かをそこへ引き摺りこまなければ永遠に冥界へは行けないのである。哀れに思った若い道士は立ち止まって経をあげてやった。道士の仕事は志怪を退治するだけではない。最大の使命は魂を鎮めてやることなのである。水鬼は麟の心鏡を通して少し楽になったと礼を言って来た。そして自分の側には青い顔の妖怪がいて結構仲良くやっているのだと伝えてきた。麟の心鏡にも、その妖怪は現れた。鋭い鋸のような歯が口からはみ出してあまり気持ちの良い顔ではないが、さほど邪気を感じなかったので、そのまま放置しておくことにした。緑青は立ち止まった麟が、またぼんやりと景色に見とれているのだろうと少々呆れた様子で待っていた。
街に到着した道士二人はまず、常通り街ごとにある城隍廟(作者注*日本でいうところの土地神。)に礼拝した。街の規模と同様にこの廟もかなり大がかりな建物で街の者たちの供物がたくさん並び線香が絶えることなくあがっている。廟はひとりの神だけを奉っているわけではない。土地神の像を中心にして、その土地神を守護する将軍たちが周りに侍っており、別の場所には土地神よりも位の高い関帝(財産・賭博の神)や媽祖(航海守護女神)たちが奉られている。彼等は先に土地神城隍神の神台の前で平身抵頭の祈りをして自分達の旅の安全とこの街への滞在の挨拶とを祈った。それから、他の神々にも挨拶して廟をひとまわりして外へ出ると、『道士様。』と声を掛けられた。振り向くと、そこには程偉の女房津氏が笑顔で立っていた。
「おひさしぶりでございます。覚えておいででしょうか。以前、主人程偉がお世話になりました。」
その顔を見た緑青と麟の表情はまったく別の意味で驚いていた。緑青は、意外な人物との対面に驚いていた。そして麟は奥方の現れた真の意味を知っていて対面に当惑していた。あまりに早いと麟は思った。ふたりの表情を見ながら、奥方は笑みを絶やさずに話を続けた。
「用がありまして、こちらへ参りました。しばらくお仲間にお加え戴けますでしょうか。」
「あなたのような方が伴もつけずにご旅行ですか。」
緑青は驚いた表情をすでに止めている。
「はい、私事ですので、どうか行き先はお聞き下さいませんように。私の行き先と貴方様方の行き先が違った時にお別れいたします。」
おかしなことを言う、と年上の道士のほうは思ったが女性の一人旅は不憫だろうと優しい心が動いた。
「私どものほうはよろしいですが。なあ、麟。」
ええ、そうですね、と返しながら若い道士は彼女の顔を見て尸解して来たのかと眼で問うてみた。彼女のほうもわかっているらしく、眼でそうだと同意した。
「ええ、私くしも。」
と、若い道士も微笑みはしなかったが同意した。
麟たちが街はずれまでやって来ると、ひとりの男が前から歩いて来た。いかにも生気のない顔の男である。女と若い道士は、その男に何かを感じた。
「何かあったのですか。」
麟は前から来るその男に問うてみた。不審そうな顔をした男はあたりまえの答えを返してきた。
「え? 別に何も・・・・・一体なんですか。あなたは。」
「私くしは修行の旅の途中の道士で麟と申します。向こうは師匠の緑青です。一目見たところ、あなたの身体には邪気がまつわりついているのです。これだけ、ひどく邪気があるのだから何もなかった筈はないのですが。」
男は何か心当たりがあったらしく表情に陰を落としたが、一瞬のうちに立ち直りひどく憤慨した様子で、
「何もないのに失礼だ。」
と、吐いて立ち去ってしまった。
「麟。何か感じたのか? 」
奥方に聞かれぬように、師匠役の緑青が若い道士にそっと耳打ちした。師匠役の道士は見鬼の能力が劣っているので相手の男の生気のなさは感じるが邪気まで感じ取ることができない。そして、奥方が人物の観察眼に優れていることを知らないので、あくまで自分が師匠のように振る舞っているのである。若い道士は先程の男の生気が何者かによって吸い取られ、もしこのままなら、そう遠くない将来に男はその志怪に取り殺されてしまうだろうことを伝えた。そう話しながら、ふたりは男を追い駆けるように歩いていく。その背後の者たちに気付かぬ男は自分の館へと入って行った。館はそう大きなものではないが、相当古く威厳のある建物である。庭が広く奥深いようであった。
「どうしましょう。」
館までつけてきたものの、依頼されていないので男の志怪を倒してやることができない。志怪を倒すことは道士の勤めであるが、取憑かれている本人の協力がなければ志怪は取り除けないのである。師匠の緑青は裏へまわって今、外から戻ったのがここの主人かを下女に尋ねた。主人だと分かると、今度はここの夫婦仲など尋ねてから、麟たちの元へ戻って来た。
「奥方に話をしてみよう。それで、だめなら諦めて相手が死ぬようになるまで待つしかないだろう。」
再び、裏口に行き奥方に御主人のことで是非話したいことがあるので伝言してほしいと頼んだ。すると、すぐに奥から奥方ではなくて主人のほうが血相を変えて走って来た。
「先程は大変失礼を致しました。道士様。どうか助けてください。あれは、あれは恐ろしい妖怪です。」
作品名:茅山道士 人間の皮事件2 作家名:篠義