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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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厠の華子さん

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 ――そして、時間は現在に戻る。
 暗い闇に中。
 鼻をくすぐる芳しい花の香り。
 雅琥はゆっくりと目を覚ました。
「どこだ、ここ?」
 辺りを見回した。見覚えがあるような、ないような場所。女子厠だ。
 ――なぜ、自分がこんなところに?
 雅琥の目に風彦と茜の姿が映った。二人とも厠の個室の中を見ている。二人がなにをやっているのかさっぱりわからない。
 雅琥はゆっくりと立ち上がり、二人の後ろから個室の中を覗き込んだ。
 黒地に紅い蝶の舞う着物が揺れる。
 着物の裾はミニスカートのように短く、そこから覗く長い脚はとても美しく悩ましく、スレンダーな立ちポーズは、まるでファッションモデルのようだ。彼女と見たとたん、世界中のカメラマンたちは瞬時にシャッターを下ろすだろう。それほどまでに絶世の美女がそこにはいた。
 しかも、靴下は流行のルーズ白足袋だ。
 茜は厠の個室に現れた美女を目の当たりにして、頭が大混乱してしまっていた。
「なんでこんなところに人がいるの。あなた誰ですか?」
「わたくしが誰かですって? 人様を呼び出しておいてそれはないんじゃないかしら」
 濡れた唇が玲瓏たる声を響かせた。そして、その声はどこか殺気を孕んでいる。
「どうなってんだよ?」
 雅琥の呟きに気づき、風彦と茜が後ろを振り向いた。
「六道殿、目を覚ましたんござるね」
「あ、起きたんだ」
 茜の態度は素っ気無いものだった。それにたいして雅琥が食って掛かる。
「なんだよ、起きちゃいけなかったのかよ」
「別にぃ。ただ、怪物見てビビって失神しちゃうなんて、情けないなと思って」
「オレがビビって失神だと!? んなわけねーだろ!」
 ガタガタガタと厠の扉が揺れた。その音を聞いた雅琥は恐怖に顔を引きつらせて、茜の背中の後ろに身を潜めた。
 それを見た茜は呆れたように、
「情けないわね」
「ちげーよ、別にオレは……」
 それ以上、雅琥は反論できず、口を閉ざして茜の後ろに隠れたままだった。
 茜の中では恐怖心や不安感といったものが、だいぶ和らいでいた。それというのも、自分よりも弱い人間がこの場にいるからだろう。雅琥がいることによって、茜の気持ちはだいぶ楽になっていた。
 ガタガタガタと再び厠の扉が揺れた。
 雅琥は身を強張らせ、さすがに茜も恐怖に苛まれる。あんな戸などいつ壊せれてもおかしくない。この中に鬼が入って来たら、自分たちは逃げ場がないのだ。
 二人の恐怖を察したように、厠の個室に召喚された美女が個室の中から出てきた。その腰には一振りの刀が差してある。
「平気よ、この厠の中にいる限り、奴はあなたたちに手出しができないわ。それよりも、わたくしと『お遊び』をしたいのは誰かしら?」
「あ、あの、拙者があなた様を召喚したでござる」
 申し訳なさそうに風彦が手を上げた。
「そう、あなただったの。ところでお腹の具合はよくなったかしら?」
「へっ?」
 風彦は眼鏡の奥で目を丸くした。そして、すぐに気が付いたのだった。
「あ、えっと、拙者に紙をくれたのはあなた様だったんでござるか?」
「ええ、とても不憫に思ったから、トイレットペーパーを投げてあげたのよ」
「そうだったんでござるか。その節はお世話になったでござる」
「いいえ、困ったときはお互い様ですもの」
 日常会話レベルの話が進む中に、茜が割って入った。
「そんなことよりも、外にい――」
「そうね、そんなことよりも、わたくしたち、まだ自己紹介もしてなかったわね」
 茜の会話は途中で遮られ、完全にこの美女のペースに呑まれていた。
「わたくしの名は華やかの華と書いて華子。厠の華子さんと呼んで頂戴。では次、そこの眼鏡君?」
「せ、背者の名は蓮田風彦でござる」
「はい、次はそこの女子」
「え、えっと、あたしの名前は稲葉茜」
「はい、次」
「オレの名前は六道雅琥」
 完全に華子さんペースだった。
「さてと、自己紹介も終わったことだし、わたくしのことを召喚した風彦くん。いざ尋常に勝負なさい!」
 煌きを放ち華子さんの腰に差してあった鞘から刀が抜かれた。
「えっ? どういうことでござるか?」
 抜かれた刀の切っ先は風彦の鼻先に突きつけられていた。
「わたくしを召喚した者は、わたくしと一対一の果し合いをするのが掟なのよ」
「そ、そんなこと聞いてないでござる!」
 切っ先を向けられた風彦が一歩後ろに引いたと同時に、ガタガタガタと再び厠の扉が揺れ、外から野獣の鳴き声のような雄叫びが聞こえた。
 三人は自分たちの置かれている危機的状況を思いだし、茜が金切り声を上げた。
「勝負なんてどうでもいいのよ、そんなことより外にいる鬼をどうにかしないと!」
 取り乱しそうになっている茜をよそに、華子さんは平然と静かな笑みを浮かべていた。
「平気と申し上げているでしょう。奴はこの中には入って来れないわ。ここはわたくしの聖域なのよ」
「あ、あの、そういうことはもしかして、外にいる鬼よりも華子さんのほうが、力が上ということじゃござらぬか?」
 風彦の指摘を後押しして茜が華子さんに詰め寄った。
「だったら、外にいる鬼を倒して、お願い!」
「嫌よ」
 瞬時に華子さんはあっさり、きっぱり、断った。
「だってめんどくさいんですもの。それにこの愛刀胴太貫で、あんな怪物を斬るなんて耐え難いわ。刀が穢れる」
 なにかに気づいた茜の視線が泳いだ。
「六道くんは?」
「六道殿なら、奥の個室に入って行ったでござるよ。きっと用でも足しているのでござらぬか?」
 そう言いながら風彦は厠の奥を指差した。
 すぐさま茜は奥の個室に駆け寄る。すると、そこには厠の個室の隅でうずくまり、身体を震わせている雅琥の姿があった。
「なにやってんのあんた?」
「こっち来るなよ、ほっといてくれよ!」
「また、ビビってんの?」
 悪戯に茜が聞くと、雅琥は拳を振り上げて立ち上がったが、すぐにまたうずくまってしまった。
「うるせーよ、悪いかよ、オレは幽霊とかそういったもんが苦手なんだよ」
 震える雅琥に茜が止めの一撃と言わんばかりにあることを言った。
「そこにいる華子さんも人間じゃないわよ」
 ガタン! と雅琥は壁に後頭部を打ちつけながら後ろに退いた。
「く、来るなバケモノ!」
「あら、わたくしがバケモノですって?」
 恐怖に駆られる雅琥に華子さんがそっと詰め寄る。そして、雅琥の頬に軽く指先で触れ、自分の顔をすっと近づけて呟く。
「六道学園の白虎とまで言われた喧嘩の大将が、もののけが怖い? 教師たちの手を焼かせ、去年は教師の一人を病院送りにして落第したと噂に聞いたわ」
「うるせー黙れ、来るなバケモノ!」
「あなたがなぜもののけを怖がるかも知っているし、なぜ教師を病院送りしたかも知っているわ。稲を植えれば稲が育ち、恐れを植えれば恐れが育つ。もっと器用に生きなきゃだめよ。それから、この学園内でわたくしに知らないことはないわ……風彦くん、あなたのこともね」
 突然、話を振られた風彦は驚いて身体をビクつかせた。
「せ、拙者のことでござるか?」
「そうよ、それに茜ちゃんのこともね。厠は噂話の宝庫なのよ、うふふ」