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茅山道士 人間の皮事件1

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 ここまで言って麟はハッと我に戻った。女は、まだいたずらっぽく口もとを歪ませている。 
「私くしは、この近くの道士の娘で多少、人を見る眼も持っているつもりです。御心配には及びません。夜間、女中たちは別棟にてやすんでおりますから。」
「でもあなたは奥方で、夫婦は添い遂げるものでは・・・・・。」
 微笑んでいた涼しい眼は違う眼の色に変化した。
「まだ・・・・あなたはお若いから男女の仲をよく御存知ないでしょうね。確かに添い遂げることは大切ですが、人間それだけではないのですよ。」
 女の真剣な瞳がこわいほどなので若い道士は失言したことを知った。奥方の顔から眼をそらして別の方向に視線を移した。確かに奥方の言うことは正しい。どちらか一方だけが神仙の修業をしようと思えば真っ先に夫婦の仲を断たねばならない。そのことは列仙伝や抱朴子といった書物にのっていると緑青からきいたこともあるし、自分でも読んでみたことがある。わかっていながら、思わず失言した自分の若さが恥ずかしくなった。
「立ち入ったことでした。申し訳ありません。確かに私くしには測りかねる話でございます。」
 女はまた元の柔和な顔に戻って自分のほうこそ大人げない態度だったと詫びた。そして話題を変えて主人は錬金術の話をまだ続けているのかと尋ねた。
「はい、御主人様はたいへん熱心に質問なさっておいでです。けれど、私くしの師匠は、あまりその方面には詳しくないのでせっかく呼んでいただいたのに恐縮いたしておりました。」
「いいえ、かまいませんのよ。主人は金を作る術を知りたがっておりますけど、あれは本来 丹薬を作るための術。それなりの徳と術が必要ですから。」
 程偉の女房は丹薬のことを知っているらしく麟の話を聞いても残念がる様子もなく落ち着いたものだった。それから麟は彼女と薬草のことなどを雑談していた。
 しばらくして廊下をこちらへ歩む音がして主人が妻の居室に入って来た。麟はずいぶん夜が更けたことを知って早々に退出することにした。しかし、「まあ、あわてなくても、私と話していたと言えばお師匠は怒られないでしょう。さあこちらへ。」と、言った調子で退出の挨拶をしようとしている麟を引き止めて、師匠にしていたことと同様の質問を浴びせかけた。若い道士は奥方が自分のことを先程のように言って主人を焚き付けるのではないかと心配して、そのほうへ眼をやったが程偉の妻は口を固く閉じていた。
「・・・・どうですかな。道士様。あなたのお師匠にもお聞きしてきたのですが、同じ意見ですか。」
「いえ、本当に恥ずかしながら私くしは何ひとつ学んではいないのです。今さっきも奥様から薬草のことを教えて戴いていたのでございます。」
 その瞬間に主人の顔に怒りの表情が走ったが、一瞬のことだったので若い道士には読み取れなかった。奥から酒と肴を運んできた妻にはその表情がはっきりとわかったが、知らぬ振りでふたりに酒を注いだ。
「あなた、本当に夜も更けてまいりました。そろそろこの道士様をお師匠様のところへお返ししないと・・・・」
 妻が助け舟を出したので、それまで金の作り方を麟に向かって講義していた程偉はようやく解放した。若い道士が去ってから主人は妻に向かってあの男を気に入ったのかと尋ねた。女は微笑んでとても資質のある人だから将来きっと丹薬を作り出すだろうと告げた。
「もし、あの男が頼めば、おまえは金の作り方を教えてやるのか。いつかだったか、おまえは 『たとえ行きずりの者でも、術を与え得るにふさわしい者ならすっかり教えてしまうでしょう』 と、言ったぞ。」
 しばらく考え込むように伏し目がちにして女は『はい』と答えた。そして、主人に向かってあなたがその徳を積んで下されば慶んでお教えしますのに、と付け足した。しかし、主人は妻の言葉を無視して部屋から出て行った。男はただ金を作りたいだけで仙人になりたいのではなかった。
 翌朝、道士たちは主人に深く礼を告げて旅立っていった。奥方は外へ出て見送ることはしなかったが、昨夜麟が眺めていた庭に立って旅立つ者たちの安全を祈っていた。背後でこの家の主人はその姿を嫉妬した顔で見ていたが、何かを思い付いたらしく外へ出かけていった。
 夕刻になって主人がその友人たちを引き連れて帰宅した。酒と肴を出して皆で飲んでいたが、奥方はいっこうに現れない。程偉が呼びに行くと私室で剣を目前の机に置いて座っていた。その様子が異様なので主人は声をかけるのを一瞬とまどったが、意を決してなぜ剣を持ち出しているのかと尋ねた。
「あなたがお連れになった方々は、今夜、私くしを殴りつけて黄白の術を聞き出すために集められた方々。どうして私くしがそのような目に遭わなければならないのでしょう。それならば、いっそのこと、この剣であなたに一寸きざみでも五寸きざみにでもされたほうがましだと思い剣を持ってお待ちしておりました。」
 そこまで言うと妻は剣を主人の前に差し出した。沈黙した部屋を風が過ぎていった。



 その日から程偉は役所から戻ると毎日毎日術を教えてくれるようにせがんだ。食事の時も寝る時も決してやめなかった。そんな日が十日程過ぎたころから奥方の様子はおかしくなり、しまいには発狂して死んでしまった。
作品名:茅山道士 人間の皮事件1 作家名:篠義