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茅山道士 麒妃と麟舒

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諸国行脚中の道士ふたりは峠を越えて街の城壁近くまで降りて来ていた。一方は灰色の髪をした温和な男、そしてもう一方はザンバラ髪の少年の面影を残したような青年である。ふたりの力関係は見た目とは逆で、隔たりはかなりのものだ。片方は茅山道士という称号を譲渡によって与えられた道士で、片方は修行によってのみ身につけた能力や経験しか持たない。茅山道士は中国道士法の最高峰とされている茅山秘術を取得した者に対して与えられる称号である。一般の道士以上に厳しい仕事をこなすことになる。

 歩き疲れた二人が木の下で小休止していると、そこへ役人の列が通りかかり、同じ様に木陰に休んだ。道士のふたりが先に腰を上げ、緑青が麟に声をかけ、立ち退こうとしたところ、一番位の高そうな役人が止め立てた。そして麟の名前を聞いて、その文字を尋ねた。おかしなことを尋ねる役人だな、と思いながらも麒麟の麟だと答えた。すると、役人は自分は沛の判官、王彦思という者で今から沛の街へ戻るところだが、急ぎの旅でなければ是非、自分の家に寄っていっては貰えないだろうか、と丁寧に麟を誘った。麟は不審に思い、緑青のほうを見て私の師匠が許してくれれば、と判断を緑青に任せた。いきなり自分に振って来た麟に、『このばか野郎! 』と思いながら何か私どもに御用がおありでしょうか、と、彦思に尋ねた。
「はい、こちらの方のお名前が麒麟とのこと。詳しいことはここではお話し出来ませんが、私には麒妃と申す麒麟の片割れがございます。この様なところでお逢いするとは何かの縁でございましょう。ですから、是非 私の家にお呼びしたいと思った次第です。」
別に男に不審な点も感じられないし、急ぎの旅でもないので彦思の招待を受けることにして沛の街へ共に行くことになった。道の途中、彦思は麟に『あなたの麒妃はどちらでお待ちなのですか。』と尋ねて来た。緑青にはなんのことか判らず、麟の顔を見た。麟には尋ねられた意味が解っているらしく彦思に少し微笑みながらこう言って緑青にも微笑みかけた。しかし、麟の瞳は完全に微笑みなど表わしておらず、むしろ何かを思い出しているような、あるいは遠くを茫然と眺めているような印象を受ける眼をしていた。
「いいえ、待ってはおりません。私はすでに麒麟には成れない者です。」
 彦思はそれを聞いてそれから沛の街まで一言も言葉を交わさず歩いた。その彦思の態度に麟の先程の言葉が何か彦思の立腹を誘うようなものだったのか、と緑青は心配した。だが、実際はそうではなく彦思は、まったく別のことを考えており、今度は緑青に話しかけてきた。緑青は軽く旅の話などしていたが、自分と麟が道士であることは避けて話していた。彦思が「では職業はなんですか」と尋ねたので例のごとく緑青が師匠で麟は見習いの道士であることを告げた。一瞬、彦思は黙りこんだが、それから何事もなかったかのように旅の話など始めた。

 沛の街に着くと彦思の部下達が城門まで迎えに来ていた。彦思は、その部下のひとりに「『麒麟を連れて戻った。』と王家に行って伝えて来い。」と命令した。命令を受けた男は急いで馬に乗って走り去った。彦思はその後を見送ってから麟に向かってニコリと笑いかけた。先程まで一言も話そうとしなかった彦思とは思えぬ程上機嫌である。緑青は理由が解らず、麟に、なぜ彦思は嬉しそうなのか、と小声で尋ねた。麒麟とは吉祥の神獣で雄と雌が揃って現れるものとされている。その故事から幾つかの地方では生まれた時から許嫁を決める場合には、その吉祥の麒麟に倣って麒と麟の文字を許嫁の両者に字として名付ける風習があると麟は静かな声で緑青に教えた。
「では麒妃とは彦思殿の娘のことか、では麒麟とは? 」
「そうお察し通り私のことです。」
「まだ、よく解らないな。一体何だって言うんだ。簡単に説明してくれ! 」
「・・・・・簡単に言えば、私の娘 麒妃とこの麟さんを結婚させたいと言うことです。 ハハハハ・・・いきなりお話に入り込んでしまいましたね。」
 彦思がいつの間にか馬上からふたりの側に来て話を聞いていた。緑青はその話に驚いて言葉が出てこない。麟という、たったそれだけの言葉で大事な娘の婿にしようなどと決定してしまうのに驚いたのである。その様子に彦思は説明をしなければならないことを感じ取って話しはじめた。彼の家は名士の一族で娘は生まれた時に許嫁を決めさせてあった。しかし、その許嫁の麟舒は突如死亡して呆気なく冥府に旅立ってしまった。残った娘に別の男を婿に迎えようと考えたが、彦思が考えて話を切り出そうとする者は病にかかったり、死んでしまったりした。それで街の道士に娘を占なわせると、麟という名を持つ者しか婿にはできないし、また別の者を迎えても一族に災いがふりかかると言うのだった。
「どうやら私が細々と説明せずとも事情は飲み込んでおられるので助かります。どうでしょうかな、私の娘と結婚していただくというのは・・・・?」
「大変良いお話なのに恐縮ですが、私はすでに道士の戒律に於いて生活しております。戒律で女色は禁じられていますので。」
 麟の丁重な断わりにもかかわらず、彦思はふたりを無理やりに家へ連れ帰った。そして、盛大な歓迎の宴を催して迎えた。とにかく婿入りの件は早急に断わらず、しばらく考えて欲しいと彦思は言って、家人にふたりが当分この家に滞在するのでと離れに案内しなさい、と命令した。まったく辞退する間も与えず、その夜、離れに入って一息ついたふたりは顔を見合わせてどちらからともなく、明日ここから出ようと言った。道士はその生活を道士法に定められたる戒律に従って行わなければならない。その中に道士は女色を禁ずる項目がある、すなわち結婚することは認められないのだ。本来、仙人などの神仙となる為に修業しているのが目的であるから愛欲に溺れることなどご法度である。ましてや、無差別譲渡道士の麟は現在経験修業の真っ最中で戒律を特に厳しく守らなければならない。明日、朝から挨拶をして出発しようということになり、ふたりは床に就いた。灯りを消してから緑青が今夜あたりお迎えが来るかもしれないと言い出して、麟にけっして眼の覚めぬように香木を嗅がせて眠らせた。その香木を嗅いで眠ると、その者を起こすには同じ香木を嗅がせなければならないという代物なのだ。
 その夜 ふたりがぐっすりと眠ってしまうと、外から足音が近付いて来て道士の居る離れの前に止まった。緑青はその音に気づきはしたが足音の主から何の邪気も感じられないので、そのまま動かずに眠ったふりをしていた。足音は麟の前で止まり、小声で麟を呼んだ。完全に寝ぼけ虫と化した麟が、そんなことぐらいで起きることはないな、と緑青は笑いそうになりながら必死でこらえていた。案の定、まったく反応がない。足音の主は麟を揺すり起こそうと試してみたが、それも効果がなかった。助け船のつもりで緑青が布団を動かした。その音に驚いて足音は部屋を出て遠ざかっていった。
作品名:茅山道士 麒妃と麟舒 作家名:篠義