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circulation【2話】橙色の夕日

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 そこまで考えて、ふと、さっきから静かだ静かだと、繰り返し感じていたその理由が分かった。

 精霊達が、居ないからだ。

 なんとなく、地下で、風もないからだろうと思っていたが、そうじゃなかった。
 私は、姿は見えなくても、いつもそこかしこに飛び回る彼らの気配を感じていたのだ。
 毎日の生活に、彼らはささやかなざわめきとしていつも存在していたのか……。
「あら、何か思い当たった?」
 私の顔を覗き込んで、デュナがまた苦笑する。
 メガネの奥、ラベンダー色の瞳が光球に照らされて優しい色に輝いていた。
「占いっていうのは、とても精霊の影響を受けやすいんですって。その形式が魔法に近いからかしらね。図らずも精霊が寄って来てしまうんだと聞いた事があるわ」
「あー、それで町で見かける占いハウスに精霊避けの札が貼ってあったりするんだな」
 隣でスカイが、納得とばかりに頷いている。

 精霊避けの札?どんなものだろうか。
 占いなど受けたことも無かったし、そんなにまじまじとそういった出店を見たことも無かった事に気付く。
「それに、ちょうどこの部屋は、遺跡の力の通り道上にあるみたいなのよ。
 フィーメリアさんは、占いの精度を上げるのに、この遺跡の力を借りていたのね」
「遺跡の力?」
 この遺跡は、ただのお墓ではなかったのだろうか。
「竜脈とか、地脈とかそういう大地の気の流れみたいなものかしら。
 私達の使う魔法とは、また違った技術ね」
「ふーん……」
 相変わらず、デュナは専門外の知識まで色々と詳しいなぁと感心しつつ、なんとなく分かった事にして、話を元に戻す。

「まずこの部屋から見に行くんだよね?」
「そうね、この四つの部屋と……こことここの突き当たりも見てみましょう。
 トイレとして使っていた部屋があるかも知れないわ」
 私達の話を黙って聞いていたフォルテが、鈴を鳴らすような声で尋ねる。
「トイレを探すの?」
「う、うん。まあね……。って、あれ?」
 フォルテがどこかそわそわしているような気がする。
「フォルテ、トイレ行きたい?」
 ふわふわのプラチナブロンドがこくんと頷いた。

 ……これは一大事だ。

「さあっ、張り切って探すわよー!」
 ほんの少し焦りの色が見えるデュナの声に、皆で力強く答えて、私達は部屋を出た。


 近い順に、一つ目、二つ目の部屋を確認する。
 そのどちらも、狭い室内には家具もなく、使用の痕跡もなかった。

 三つ目の部屋にスカイが足を踏み入れた途端、天井の隅にへばりついていた黒い塊が甲高い声と共に飛び掛ってきた。
 コウモリだ。
 それも、一匹二匹ではない、膨大な数の。

「屈め!!」
 皆で一斉に姿勢を落とす。
 振り返れば、デュナがフォルテを抱えるようにしゃがんでいた。
 フォルテの大きな瞳は若干潤んでいたが、もしかしたらデュナも同じような事になっているのかもしれない。
 メガネで見えないだけで。

 その上から、大群で飛んだためかあちこちにぶつかったコウモリが落下してくる。

 目の前、すぐ手が届きそうな場所にも、一匹ぽとりと落ちてきた。
 力なくのびた姿は可愛らしくすらあったが、豚のように大きく反った鼻に、開いた口元から見える鋭利な歯、その姿には見覚えがあった。
「これ、吸血コウモリだ」
「「ええ!?」」
 私の発言に、デュナとスカイがハモる。
「じっとしてたら、体温に反応して襲ってくるよ!」
 と、顔を上げた時には、もう飛び掛ってきた一群はぐるりと反転して目前まで迫っていた。

 スカイが素早くデュナとフォルテの側に回り込み、太腿と一体化している鞘から2本の短剣を引き抜く。
 コウモリ達を叩き切るつもりなんだろうか。
「う、動いてる人間まで襲ったりはしないと思う……んだけど」
「分かった」
 スカイが頷く。
 しかし、この狭い場所で向こうは大群だ。
 絶対にそうだとは言い切れない気もする。
「下がるわよ!」
 デュナがフォルテを連れて小部屋へと駆け込む。
 私もそれに従った。
 先ほどまでコウモリがいっぱいだった部屋には、古びた天蓋つきの大きなベッドの残骸が1つ。あとはがらんとしている。
 かび臭さとはまた違う、動物特有の臭いが充満した部屋に入ると、デュナが白衣から試験管を二本取り出していた。

「スカイ!」
「おうよ!」
 デュナが呼ぶと同時に、コウモリ達に取り囲まれた真っ黒な塊が、それらを振りほどきながら全力で飛び込んでくる。
 やっと青い髪が見えてきたスカイと入れ替わるようにして、通路へと試験管が投げ込まれる。
「伏せて!」
 フォルテを白衣で包むようにして屈むデュナ。
 耳元で響く爆音。
 そうだ。今回、デュナは障壁を張れないんだった。
 一瞬反応が遅れた鼻先に、炎と熱気が迫る。途端、目の前が真っ暗になった。
 スカイに頭を抱えられる形で、私は部屋の奥へと滑り込んだ。らしかった。
 舞い上がる埃で息ができない。

 炎はひとまず落ち着いたのか、デュナがパタパタと白衣に付いた汚れを落としながらこちらに向き直る。
「スカイ。あんまり塵やら埃やら舞い上げると粉塵爆発するわよ」
「そんな大人しく全力疾走が……っ!! ぐっ! ごほごほげほっ!!」
 埃を吸ったのか、スカイの口答えは咳へと変わってしまう。
 衝撃の際に落としてしまったロッドを拾い上げてスカイを見れば、そのあちこちが切り傷だらけだった。
 肘上まであるロンググローブや、ズボンまでがすっぱりと裂かれている。
「うわ。相当咬まれたね……」
 すぐに祝詞の詠唱を始める。
「おう。でもあんま痛くないな」
 剃刀のような切れ味を持つコウモリの歯のおかげで、綺麗に切られた切り口に、引き裂かれるような痛みはないようだ。
 ただ静かに、細く赤い雫がこぼれていた。

「吸血コウモリの唾液は血液の凝固を妨げるって聞いたけど、なるほどね」
 なんだか興味深げにデュナがスカイの傷口をあちこち覗き込んでいる。
「あっ、じゃなくて、危なかったぞ、ラズ。気をつけろよ」
 スカイが忘れないうちにと注意する。
 先ほど、反応が遅れたことに対してだろう。

 私の中で、デュナが障壁を張ってくれるのがいつの間にか当たり前になっていた。
 けれど、デュナだって毎回確実に成功すると言うわけではないだろうし……。
 いや、私はデュナの魔法が失敗したところを一度も見たことが無いけれど、
 それでも、魔法使いの養成所では、魔法に絶対は無いと繰り返し教わってきた。

 今後、大事な瞬間にデュナが魔法を使えない事だっていくらでもあり得るのだ。
 気をつけなくてはいけないな、と、気を引き締める。
 祝詞が中断できず、こっくり頷いた私の頭……というか、正確には帽子を、スカイがポンポンと撫でる。
「……その聖なる御手を翳し、傷つきし者に救いと安らぎを」
 スカイの傷はどれもが浅く、一度の詠唱で治すことが出来た。
 思ったとおり、精霊を媒介としない回復術は神に祝詞が届く限り有効なようだ。

「サンキュ」
 にこっと人懐こい笑顔を見せるスカイに
「こっちこそ、ありがと」
 と答える。