circulation【2話】橙色の夕日
6.図書塔と橙色
その記事を、私が目にしたのは本当に偶然だった。
フォルテを子供向けのお話が並ぶフロアに残して、私達は、植物に関する書物がギッシリ詰め込まれた部屋にいた。
そう広くはない、中央の塔から二つ離れた小さな塔の一室。
集合場所を決めずとも、合流は難しく無さそうな部屋で、三人は手分けして、ブラックブルーについて詳しく書かれた本を探していた。
ここで目当ての情報が得られなければ、次は毒などの状態異常について詳しい資料が揃っているフロアがあるようなので、そちらを当たってみようかという話をしてある。
私は、収穫の季節ごとに果実についての書物が並べられた棚の、冬あたりに収められたタイトルを端から順に目で追っていた。
と、左肩にどすんと何かがぶつかり、同時にバラバラと紙束のような物が落ちる音が聞こえる。
不意の衝撃にバランスを崩しかけるも、とっさに目の前の棚にしがみついて体勢を立て直す。
さすがに本がぎっしり詰まった大きな棚だけあってか、私が体重をかけてもグラリともしない。
その事に何となく感心しながら振り返ると、私にぶつかってきたであろう初老の男性が、紙束……新聞だったが、に埋もれて尻餅をついていた。
「大丈夫ですか?」
私の声に、らくだ色のスーツを着た初老の男性は、驚きが張り付いたままの表情から、苦笑を浮かべた顔になった。
「すまないね、お嬢さん。ぶつかってしまったよ。大丈夫だったかい?」
「あ、はい。私は全然……」
よいしょと慎重に立ち上がると、男性は床の上に散乱した新聞を拾い集め始める。
つられて私も一緒にそれらを拾う。
どうやら、一年、二年ほど前の新聞ばかり、各社の物を集めてあったようだ。
「抱え過ぎだったかな、前が見えていなくてね。申し訳ないことをしたね」
その落ち着いた雰囲気からして、この男性はもしかすると、先生と呼ばれる立場の人なのかも知れないな、などと思ったりする。
この町には、学生も多かったが、その分教師も多かった。
少し離れた場所に飛んでしまった最後の一部を拾い上げようとしたとき、そこに描かれた図に目が釘付けになる。
それは、とある森に住む一族が、山火事で絶滅してしまった事が書かれた記事だった。
記事には、そこにしか住んでいない一族だったという事で、その民族の簡単な特徴が描かれた図が添えてある。
髪は、プラチナからプラチナブロンド。
先が上下にわかれた耳。
珍しいのは、そのラズベリー色をした瞳だという記述。
脳裏にフォルテの姿が鮮明に浮かぶ。
その記事から目が離せずにいる私に、男性は
「何か興味を引かれることが書かれていたかね?
これらは今から返却するところだったんだ。それはお嬢さんに渡しておこう。
一階に新聞のコーナーがある。そちらに戻しておいておくれ」
と告げると、そのまま立ち去ってしまった。ようだった。
私は、半分以上うわの空で、とにかくその記事のその図を穴が開くほどに見つめていた。
色白で小柄な種族であることなど、その全てがフォルテと一致する。
その一族が暮らしていたのは、遥か東の森だったらしい。
トランドで民俗学研究者のお爺さんに聞いた言葉が耳に蘇る。
絶滅……?
もう一度、記事の見出しに目をやる。
それは、全てが残らず絶やされたという意味の言葉だった。
新聞の日付は、フォルテと出会ってひと月ほど後のもので、火災の起こった日は、フォルテと出会う一日前の日だと書かれている。
山火事は五日間続いて、麓の村にもいくらか被害が出たらしい。
山の中腹にあった、フォルテに似た一族の村は完全に炎に巻かれ、全てが消し炭になったと、その記事には書き記されていた。
私は、いつの日か、フォルテの家族を見つけて、フォルテを彼らに返すつもりだった。
フォルテを見つけた当初、彼女が一人きり森にいた理由を、デュナは「転移魔法の失敗じゃないかしら」と言っていた。
長距離を歩いてきたような形跡も無く、持ち合わせも、旅の道具も無く、かといって攫われてきたような形跡も無く、周囲に彼女を知る人が一切いなかったからだ。
なので、根拠こそ無かったが、漠然と、フォルテの家族が今もフォルテを探しているのではないかと思っていた。
しかし、目の前の新聞はそうでない事を告げていた。
フォルテは、転移魔法によってあの森へ飛ばされてきた。これは間違いないだろう。
ただ、私が思い描いていたような、家族で旅行にでも行くつもりが、うっかり転移に失敗してしまった。というような物ではなく、炎に巻かれた村から、脱出する最後の手段として、目的地もろくに指定できないまま送り出されたのだ。
転移魔法は、よっぽど大きな設備を用意しない限り、1人ずつしか飛ばすことが出来ないし
場所を指定するのにも、時間を要した。
しかし、きちんと時間をかけて手順さえ踏めば、滅多なことでは失敗しない。
転移失敗だなんて、フォルテは運が悪かったのだろう。そう思っていたが、逆だった。
場所を指定しないまま飛ぶという事は、どこに出るか分からないという事だ。
それはたとえば、水中だったり、空中だったり、獣の群れの中だったりするわけで、安全な場所に出た上に、私達にすぐ保護されたフォルテは相当運が良かったのだろう。
転移魔法には多大な精神力が必要になる。
そのため、魔方陣とアイテムを使って、魔力を溜めてから実行するのが一般的だったが、火に囲まれ、煙に包まれた村で、陣を描いている余裕はなかっただろう。
たとえ、命を削って術を使ったとしても、村から転移された人数は、そう沢山ではないはずだった。
……そのうち、どのくらいの人数が生き残ったのだろう……。
村でも、沢山の焼死体が発見されている。
記事には、その数からして絶滅だと推測した一文があった。
フォルテを待つ人は、フォルテを知る人は、もうこの世に誰一人いないのかもしれない。
森で一人きりだと泣いていた少女は
本当に、この世界に一人きりで取り残されてしまった子だった…………。
ふらついた拍子に、右肩が本棚に触れる。
体中から力が抜けていくようだった。
新聞を両手で握りしめたまま、ずるずると膝を付く。
午後の日差しがうっすらと差し込む図書館は、とても、静かだった。
図書館に来る途中、フォルテはまた、昨日の露店の前で足を止めていた。
透き通った青い液体の中の、小さな仕掛けを見つめるフォルテの瞳は、どこか遠いところを見ているようだった。
デュナに移動を促され、クエストが無事に終わったら見に来ようね、と約束する。
フォルテの手を引き歩きながら
「よっぽど気に入ったんだね」
と声をかけると、
フォルテは俯きながらも、どこか嬉しそうに呟いた。
「うん……なんだか、懐かしいの……」
「もしかしたら、フォルテの家にもあったのかもしれないね。その置物が」
「そっか……そうかも……」
はにかむように微笑む横顔に、フォルテが必死で見つめていた物が、本当は置物自体ではなくて、置物のさらに向こうに見え隠れする懐かしい何かだった事を気付かされる。
作品名:circulation【2話】橙色の夕日 作家名:弓屋 晶都