誘拐犯とパンケーキ
* * *
「動かないで」
意識して低い声を作り、背後を取る。長身がピクリと伸び、そろそろと両手が上がった。
「クロカシ・オブね」
三年前にマヤ家に吸収された家財道具屋のオブ商店。その次男坊だろう男の背にナイフに見立てた人差し指と中指、薬指の三本を突きつけて問うた。
返事はない。実は自分の名前も覚えられないのだろうか。それでも構わず私は続ける。
「あなたに恨みはないけど、用があるの」
ついてきて。
場所は警察へ行く一つ前の曲がり角。お人好しだろうから自首するだろうと待ち伏せていたら本当に現れたときた。
クロは黙ったままだ。私は返事をしやすいようにと、言葉を選ぶ。
「あの人は?」
あれから気になっていたことでもある。今度もボケるだろうと身構えると、高い位置にある肩がちょっと上がった。
「オレの兄貴じゃない」
「……」
その真意はわからない。死んだのか逃げたのか捕まったのか。でも、兄弟の縁を切った、もしくは切られたのだということはわかった。
私はそれ以上聞かず、突き立てる指はそのままに、一枚の紙をクロへと見せる。
「読める?」
「……契約状?」
クロの後ろで頷き、私は内容を要約する。
「両親含め、もうタキ家に関わらないと約束させたの」
「あのマヤ家に、か?」
「そうよ。サインもあるでしょう?」
すげぇなお前、と呟くクロに私は続ける。
「これを両親に見せたいから、それまで護衛してちょうだい」
女の一人旅、変な男にかどわかされても堪らない。人攫い避けるには人攫いの手を、というわけだ。
「……オレに利益は?」
私はナイフ代わりの指の力を抜き、腰を平手で叩いた。黒髪が振り向く。
「今度こそ私のパンケーキ、食べたくない?」