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こがみ ももか
こがみ ももか
novelistID. 2182
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ふたりの世界

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まだ言い訳を続けそうなのを、ぴしゃんと遮った。寝返りを打ってようやく町田と差し向かう。中規模とも言えないくらいの小さな劇団だった。劇団自体売れていないのは百も承知で、その中で役以上の役を演じていたのが目に止まった。演劇には蒙いが、舞台上ではこの気弱さはなりをひそめていたのだ。向いていないはずはない。
町田がため息をついた。代役。あのときと、同じ笑み。やる瀬なさに胸を圧される。
「はい。だから辞めようと思ってます。もう三十二ですし。……もともと向いてなかったんです」
疲労も眠気もだるさも忘れて飛び起きた。辞める。びくっと肩を跳ね上げた町田に容赦せず詰め寄った。辞めるなど、とんでもなかった。まだ一度しか格好いい彼を知らない。
「そこに居直れ!」
「え? はっ、はい!」
傍のパイプ椅子に無造作に投げ出されていた鞄から携帯電話を引っぱり出した。味気ない仮眠室は、あれだけ嫌った保健室と同じ雰囲気があって腹の虫がますます収まらない。自分の価値を知らない相手はすぐに是正してやりたくなる。
壁際に立たせた町田に向かって指を差し、携帯のカメラを構えた。
「舞台上だと思っておまえの一番いい顔をしろ」
「一番いい……」
「ぼけっとしてないで早くしろ」
「……はい」
背筋を伸ばし、すっと斜に構えた町田から繕った笑みが消えた。引き締まった唇に眉と、甘いたれ目のアンバランスさは変わらないがそれが完璧な色気に変わる。
寿晶だけを見据えてきた町田はゆっくり目を細めると呼吸を忘れるような微笑を唇に引いた。組んだ腕は指先まで神経のいき届いているのが一瞬でわかる。
寿晶をあの日釘づけにした男が目の前にいた。息を詰め、見惚れて、シャッターを切った。
「もう……いいですか」
「んっ、ああ、いい」
声をかけられるまで、思考がフィクションの世界に飛んでいた。我に返って町田をベッドの隣に座らせ、携帯を突きつける。
「おまえはこんな男前なんだぞ。簡単に辞めてどうするんだ? 年齢であきらめるのか? 棺桶に入って焼かれながらおまえ後悔しても知らないぞ」
「でももう潮時……」
硬いベッドより時間の無駄づかいより、寿晶は優柔不断が大嫌いだった。宙をさまよう町田の目線が答えを濁しているようで癇に障る。本音を殺さなければならないときがあるのはわかる。けれども、町田にとって今がそのときだろうか。誰も彼を見ていないわけではないのだ。
「男ならでもとかだってとか言うな! 続けたいのか続けたくないのかはっきりしろ!」
「い、って……! はっきり……」
携帯を放り出し、ばしんと町田の胸を平手で打った。ぽかんとする町田にそうだ、と深く頷くと、じわじわ彼の視線が定まってくる。
「市川さんありがとうございます!」
「おい、こらっ! なんで抱きつく! 放せ!」
わりあい体躯のいい男に全力で抱きしめられ、思わず悲鳴を上げる。背中を力任せに叩いて訴えたが、まったく聞き入れられる気配がなかった。弾んだ声色は耳に心地よかったが、身体がぎしぎし軋む恐怖感にあえなくかき消されてしまう。町田はじゃれつく犬のように頬ずりしてきた。
「市川さんにまた観てもらえるように頑張ります」
「やめっ、ろ……そういう、ことは! もっとはやくそう言えばいいんだ」
宣言して、ようやくゆるんだ腕も結局放してはもらえずに、寿晶も寿晶でだんだん抵抗が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
背中をさすられるのも、すりすり懐かれるのも、好きなようにさせた。しょぼくれた町田よりもこっちの調子のよさそうな態度のほうがいいし、気分もなかなか悪くない。舞台で見た凛々しさも、なんとなく頼りなげなところも、どちらも町田実尋なのだと思った。
「市川さんってなんだか甘い匂いします」
「ああ、煙草だ。吸うか?」
襟元を鼻先で探られて首をよじった。傍に寄せていた鞄に手を入れようとしたのと同時に、遠慮がちに町田が離れていった。忍びなさそうな、しかし少し前よりぐっと晴れやかに町田が相好を崩す。
「あっ、いえ結構です。というか、あの、俺仕事放り出してきちゃったんで戻ります」
「は? 俺はどうしたらいいんだ。もう終電もバスも」
「ここ使っていいって言ってました! じゃあ、ありがとうございました!」
追う暇もなく、町田は足早に仮眠室を出て行った。理不尽だと愚痴をこぼしたけたが、仕事の放棄させてしまったようだし、ここまで運んでくれたのは町田だろう、文句を言うのはお門違いだ。それに、彼の現状も知れた。じゅうぶんだろう。
「……始発までここで寝るか」
硬いベッドは大嫌いだった。けれども、町田がほんの少しの間でも傍についていてくれた寝床だと思うと数時間くらいはいいか、という気に寿晶はなっていた。




期待はまったくしていなかった。知り合いが出ているからと、兄妹に無理矢理連れて行かれたのだ。寝るのもなんとなく癪だった。演目もまったくわからなければ興味もなく、早く終われと胸の内で延々唱えていたし、休日を否応なくふいにされ、半ば意地になっていたかもしれない。
舞台を独占するシーンがあったわけでも、見せ場らしい見せ場があてられていたわけでもない。何人もの役者が立つ中で、次第に背が高く、きりりとした町田の立ち姿以外が視界から消えてしまった。世界じゅうに二人きりのような錯覚に陥る。目を奪われるとはまさにあれのことに違いない。証拠に、話の内容をまったく覚えていなかった。笑み、後悔、不安、動揺、悲哀、怒。町田の表情だけを見ていた。
「これで売れないのか……」
部屋のソファに寝転がり、携帯に写した町田にため息をつく。幸い熱はすぐに下がり、仕事を休まずに済んだ。二度と使いたくないが、硬くて安いベッドを見直してやってもいい。倒れなければ写真も撮れなかった。
あれから劇場に通うのはやめてしまった。素の町田とは百八十度違い、精悍な表情をして画面に収まる町田はたぶん、この毅然とした態度を普段も保てればもっと露出が増えるはずだと思う。詳しくはないが、役を取るのだって結局は競争だろう。町田の口ぶりからしてそこで落とされているのは明白だった。強く出られなければ落ちていく。町田にはそれに耐えて、もっと活躍してほしかった。
携帯の小さな画面の中から寿晶を見つめてくる町田はほかの誰よりも男前だった。
「はあ……好きだ」
町田の「一番いい顔」に引き出され、しみじみとつぶやく。顔のつくりといい、体格のいいわりにすらりとした見目といい、消極的な性格を補ってあり余るくらいど真ん中だ。
「……ん? 好き?」
思考が完全に停止した。自分の言葉を自分のものとして受け取れず、携帯を掲げて町田と見つめ合ったまま瞬きを繰り返し、反対の方向に首を傾け、好きだ好きだと淡々と口の中で反芻してみる。なにに対しての、どの類、どのくらいの深さの好き、だったか。町田の甘い瞳。逸らせず、寿晶は硬直した。
好き。がばっと携帯を落とす勢いで半身を起こしたせいで、寿晶はあえなく床に転げ落ちた。
「そう……だったのか……」
作品名:ふたりの世界 作家名:こがみ ももか