血竜
「どうして冥王なんだ?」
「お前の、小さそうだから」
何のことかと一瞬思考が止まったが、すぐに理解して〈812〉は苦笑いを浮かべた。
「おいおい、よしてくれよ。勝手な思い込みはしないでくれ」
「知ってるか? 最近冥王星は、太陽系の仲間から外されたんだぜ。今は準惑星って呼ばれてる」
「ますますひどいじゃないか」
心底楽しそうな、〈811〉の笑い声が響いた。
「ああ、あとな、お前本当に冥王に見えるから」
「本当の?」
「大人しそうに見えるやつは、大抵おっかねえ。だからさ」
「それを言うなら自分のことだろ、〈811〉」
「ははっ、そりゃそうだな」
ひとしきり笑った後、ため息と共に壁が鳴った。〈811〉が寄りかかったらしい。
「そろそろか……。ここの死神も年貢の納め時らしい」
「怖いのか?」
「いいや。つまんねえなあ、と思ってよ。一回ぐらい、娑婆に出てみたかったよ」
〈811〉にしては珍しい、静かな声だった。
「どうやら俺の死神能力は、お前には効かなかったらしいな。跳ね返されて自分に戻ってきたみたいだ」
声が大きくなった。薄い壁のすぐそばから、こちらに向かって話しているのだろう。
「すまないな」
「いいんだよ。でもよお、あだ名がつかなかったことだけ、心残りだな」
――よく笑っていられるな。〈812〉は怖かった。自業自得とはいえ、己の寿命を待たずに人生を終わらせられるのだ。法という文章に操られた、全くの赤の他人の手によって。
――俺の友人は誰もいない。自分が一番初めに、この世界から旅立つんだ。死んだら、一人なのではないかと。その孤独感が、〈812〉を死の恐怖へといざなっていた。
「〈811〉、時間だぞ」
「はいよ」
久しく聞かれなかった、牢が開く音。外を見ると、数人の看守らしき男たちが、隣の独房の前に固まっていた。
「死神も、とうとうここから消えるか」
「そんなに嬉しいかよ」
嫌味のように、〈811〉は言った。ぼさぼさの頭が、かすかに見えた。
再び扉が閉められたとき、看守の一人が冥王を見た。
「〈811〉、お隣さんがお見送りだぞ」
横顔が、冥王の目に映った。しかし伸びきった髪のおかげで、表情はうかがえない。
「義理堅いな、冥王。でもまあ、嬉しいぜ」
口元が、笑った。冥王を見た看守は、なぜ冥王なのか、不思議がっているようだった。
「さあ、行くぞ」
看守も〈811〉も、冥王に背を向けたその瞬間、冥王は叫んだ。
「血竜!」
訝しげに振り向く看守たちに遅れて、〈811〉もそれにならった。横顔ではなく、はっきりと真正面から冥王を見て。
「血の、竜……。血竜。あんたは血竜だ。あんたのあだ名だよ。血竜」
廊下は、しばし静寂に包まれた。それを破ったのは、先ほどよりも大きな笑みからこぼれた、血竜の声だった。
「それを待ってたよ、冥王。あんたは義理堅いからな。いつか言ってくれると思ってた。血にまみれた竜。最高じゃねえか」
看守に促され、血竜は再び歩き出した。しかし数歩と進まないうちに、血竜は半分冥王に顔を見せる形で、声を張り上げた。
「先に行くよ、冥王! 血竜はあの世で待ってるぜ!」
この建物の扉が閉まる音は、普通なら悲しみを誘うだろう。だが、冥王はそうはならなかった。むしろ、彼を後押ししてくれるエールにさえ聞こえた。
――あいつが、待っている。冥王の中に、もう孤独も、そこから来る恐怖もなかった。
血竜がいるなら、退屈はしないだろう。