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淋しい花束

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 店を早く閉め、久し振りに妻の墓を詣でた。

 これまでは、何かと理由をつけては行かなかった――いや、行けなかった場所だ。

 墓に行けば、妻の死に、否が応でも向かい合わなければならなくなる。そのことが、
怖かった。

 ――でも、もう大丈夫だ、と。

 心の内で妻にそう語りかけ、帰ろうかと首をめぐらした時。

 視界の隅に、薄黒の制服が、一瞬、小さく映った。

 ――まさか――。

 薄黒の制服を着た軍人など、珍しくもない。なのに。なのに――。

 足が、自然、かの人物が去っていった方向へと向く。

 一体何をしているのかと、内心で自分に舌打ちしつつも、一定の距離を保ちつつ、その
姿を追いかけていた。

 茂みの隙間越しに横顔が、少しだけ、見えた。

 ――足が、止まる。声が出そうになるのを抑えられたことが、自分でも不思議だった。

 あの顔は。

 間違いなく、あの青年だった。

 ――どうして。

 去っていく後姿を呆然と見送りながら、その言葉だけが頭の中を反芻する。

 どうして、彼が墓地(ここ)に。

 何故か、嫌な予感が、した。

 再び、足が動き始める。

 青年がいた付近へと。

 心臓の音がドクドクと喧しい。

 口の中がからからに乾いている。

 ――関係のないことではないか。彼が、此処にいた理由など。余計な詮索など、しない
方がいい。野次馬根性というものだ。

 ――わかっている。十分に。

 なのに、一体自分は、何を――。

「――……ああ……――」

 茂みの先にあった光景に、絶句する。

 其処は妻が眠る場所の相似形。墓石の群れが、痛いほどの沈黙で生者を迎える空間。

 その中で、見つけてしまった。

 一つの墓前に供えられた、かすみ草の花束を。

 共に渡した、百合の花を。

 驚きと、絶望に似た思いが去来する。

 眩暈を起こしそうになるのを必死で堪えながら、よろよろと近付く。

 間違いはなかった。

 紛れもなくこれは、青年が買い求めた――そして自分が渡した花たち。

 墓石に目をやる。まだ新しいらしく、風雨に曝された形跡は見られない。 

 その表面に刻まれていたのは、女性の名前。

『えぇ、妻に』

『きっと妻も喜ぶでしょう』

 そう答えた青年の声が、花束を見る表情が、甦る。


 ――ああ。

 だからあんなにもいとおしげだったのか。

 失くしてしまった大切な何かを、其処に見出すから。

 手にしていたであろう幸福なひと時を、束の間垣間見るから。

 彼がやって来るあの日は、愛した女性の命日なのかもしれない。

 おそらく彼は、彼女が好きだった花を、これからも手向け続けるのだろう。

 その疵痕が癒えるまで。

 温かなぬくもりを、再び思い起こせる、その日まで。


 風が強く吹いた。

 かすみ草たちは、物言わぬまま、ただ静かに、揺れていた。
作品名:淋しい花束 作家名:蓮(れん)