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淋しい花束

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=淋しい花束=





 その風変わりな客は、ある日ふらりとやって来た。

「かすみ草の花束を」

 薄黒の制服と帽子から、すぐに軍人なのだと分かった。まだ若い。20代後半くらいだろう
か。どこか憂いを含んだ涼しげな切れ長の目元が印象深い、なかなかの美青年だ。女性
たちからもてはやされるのだろうな、と、下世話ながら思う。

 他には?と訊ねる。当然、主となる花がいるだろうと。そう、単純に思ったのだ。

 だが青年は、一瞬、虚を付かれたような表情を浮かべた。考えもしなかったというように。
そしてゆっくり首を振り、「かすみ草だけで」と答えた。

 店にあった、ありったけのかすみ草を集めてできた花束は、軽く、いかにも淋しげだった。
薄いレースを重ねただけのように。一瞬目を離したら、次の瞬間には解けて消えてしまって
いるのではないかと。そう思ったほどに。

 本当に他の花を入れなくて良いのかと訊ねたが、青年は黙って首を横に振っただけだっ
た。そうして、ありがとう、と、代金と引き換えに花束を受け取ると、雑踏へと消えて
いった。





 再び客が姿を見せたのは、こちらの記憶が少し薄れてきていた頃だった。しばらくぶりに
現れた青年は、静かな声でかすみ草の花束を所望した。他の花はいらない、かすみ草だ
けでいい、と。

 ただ束ねただけではあまりに淋しかろうと、包みにリボンをかけようか、と提案した。
青年はちょっと考えてから、お願いします、と頷いた。何色が良い、と重ねて問うと、
何色がある、と逆に問う。淡いものから濃いものまで色々だと答えると、青年はしばらく
口を閉ざしていたが、ややあって、「では淡い桜色を」と言った。

 淡い色を重ねては、いっそう儚くなるのでは。よぎった予感は的中し、可憐ではあるが、
ひときわ淋しげな花束がひとつ、出来上がった。

 余計なお世話と知りつつも、他の色に変えることを勧めようとして――口を閉ざす。
花束を見る青年の瞳に差しこんだ、いとおしげな光に押されて。

 その表情を見てしまっては、何も言えなかった。言っても、きっと野暮なだけだろう。

 花束を受け取ると、青年は心なしか口元をほころばせ、律儀に一礼をして去っていった。





 三度(みたび)、青年は現れた。やはり、かすみ草の花束を所望して。

 手渡し際、どなたかへの贈り物ですか、と声をかける。三度目ということもあり、
こちらにも幾分か気安さが生まれていた。あるいは前回、青年の微笑を目にしていた
せいかもしれない。

 青年の目元が少しだけ緩む。短く簡潔な答えが返ってきた。

「えぇ、妻に」

 ああ、それでなのか、と、得心する。花束を見る青年の瞳が、あれほどまでにいとおし
そうなのは。きっとその向こうに、愛する女性の微笑を見ているのだろう。

 会釈を残し去っていく青年の背を見送りながら、ふと思う。そういえば、前回青年が
やって来たのも、ちょうどひと月前の、同じ日ではなかったか。

 帳簿を確認する。はたしてそうだった。もしやと思い更にページを繰る。

 やはり――同じ日だった。青年が初めてここに来て、かすみ草の花束を買い求めたの
は、ちょうどふた月前の同じ日――。

 …おそらくこの日は彼に、いや、『彼ら』にとって、特別な意味を持つのだろう。
かすみ草の花束は、ささやかな祝いの証なのかもしれない。

 そんなことを考えていると、自然と笑みが零れていた。なんとも言えぬ温かさと共に。
それは自身にとっても、久し振りの感覚のような気がした。

(…ああ、そうだった)

 忘れていた。こんなにも優しい温もりは。妻を亡くしてから――。

 花束を抱えて微笑み合う、若い夫婦の姿が浮かぶ。それは何十年も昔、自分たちにも当
てはまった光景。

 ――きっと青年は、来月の同じ日、またやって来るだろう。かすみ草の花束を買うために。

 その時のために、とっておきのものを用意しておこう。そう、思った。





 薄黒の制服を目にした途端、何も訊かずにかすみ草を束ね始めた姿を見て、青年は小さ
く苦笑したようだった。

 いつもより多めに仕入れておいたかすみ草を手際よく束ね、包みの上から淡い色のリボ
ンをかける。淡くまとめられた花束を見ても、もう淋しげだとは思わなかった。

 いつもの通り花束を受け取り、踵を返そうとする青年を慌てて引き止め、用意しておいた
百合の花を渡す。驚きと不審が綯い交ぜになった空気を、一瞬、眉間の辺りに漂わせた青
年に、いつも贔屓にしてもらっている礼だ、と笑った。

 今度ははっきりと、青年の顔に驚きと戸惑いが広がる。それは駄目だ、受け取れない、と
言う青年の手に、半ば押し付けるようにして百合の花を握らせる。貴方と奥様への、自分
からの感謝の気持ちだから、と。

 しばらく押し問答が続いたが、頑固な態度に根負けしたのか。青年は一つ息を吐くと、
本当にありがとうございます、と頭を下げた。

「きっと妻も喜ぶでしょう」

 再三礼を繰り返してから、青年は店を後にした。

 少し強引過ぎたか、とも思ったが、いかにも真面目そうなあの青年のこと。あれぐらいで
なければ受け取ってもらえなかっただろう、と、一人頷く。

 何より、青年に語った言葉は、間違いなく本心だった。自分は彼らに感謝している。
ただ贔屓にしてもらっているというだけではなく、穏やかな温もりの感覚を思い出させて
くれた存在として――。

 あの青年は、どんな表情で細君に今日のことを話すのだろう。また細君は、どんな表情で
それに応じるのだろう。

 願わくば、自分の勝手な想像通り、笑い合っていてほしかった。

 幸せな姿が、あの青年にもその妻にも、似合っていると信じていたから。

作品名:淋しい花束 作家名:蓮(れん)