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禁断の立ち食い蕎麦

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立ち食い蕎麦屋で立って蕎麦を食っている人間を不思議に思ったことはないだろうか。
 小生はある。
 小生は立ち食い蕎麦屋に入るたびに、みなが立って蕎麦を食っていることに疑問を抱いていた。いや、これは疑問というべきか。それよりも「衝動」というべきではないだろうか。
 クラッシックコンサートでは、演奏が静かに流れる。静かに静かに流れていく。そんな時に思うこと。
 それは「大声で叫びたい」という誰しもが抱く思いだ。
立ち食い蕎麦屋もこれと同じだ。立ち食い蕎麦屋には、禁断症状を起こさせる雰囲気が漂っている。
 そう。
 それは、「座って食ってみたい」という衝動である。
 小生はこれに挑戦してみたい。挑戦してみたいのである。
 というわけで、本日十二時昼真っ盛りの時間帯に、小生はいつも通っている立ち食い蕎麦屋に突入することにした。
春になろうかとするうららかな日々が過ぎてゆく。こういう季節は「平穏」という言葉がよく似合う。
 小生は立つ。その季節に反し、非常に穏やかでない心を胸に抱えながら、立ち食い蕎麦屋の前で腕組みをするのである。
 一応、ここでは立っている。早くも欲求不満が立ち上ってくる。しかしここはまだ座るところではない。立たなければならぬ場所、すなわち店内にて座りたいのである。
 表に書かれてあるメニューを一読する。上から、
「かけうどん220円、かけそば220円、きつねうどん250円、たぬきそば250円……」と並んでいる。
「さて、何にするか」
 頭を練るように考えた。座って食う。それにふさわしい食べ物は何か。しばし迷う。ここはきつねあたりにするべきか、それとも豪華に天ぷらにするべきか。小生は迷った。しかしいつものように、あるものが目に飛び込んできた。
「鴨南そば 480円」
 鴨南蛮を頼む人は偏屈である。鴨南蛮を頼む人は現状に満足していない。なぜか。
 数あるメニューの中で、よりによって一風変わった蕎麦を選ぶ。それはやはり人間が一風変わっているからである。
 一風変わっている人間は社会に馴染めない。ゆえに鬱憤が溜まる。そして最後に鴨南蛮に逃げるのだ。小生はそう思う。
 小生は今、公務員として日々奮闘しているのだが、この「鴨南蛮の法則」にしたがって生きている人間である。時として「鴨南蛮の鴨がチャーシュー麺のように何枚も並んでいたら……」と悔やんだりもする。
 小生は頼む品を決め、緑ののれんと静かに開いた自動ドアをくぐって店内に進入した。

「いらっしゃいませ」
 年かさの女性店員二人の声が並んだ。客の入りは八割方。見慣れたカウンターはL字型をしており、入口付近に少し空きがあった。そこに滑り込むようにして場所を確保する。
「ご注文は」
 お太りぎみの店員が聞いてくる。小生は「鴨南そば」と注文した。そしてお冷を取ってくる。
 店員の所作を確認する。立ち食い蕎麦屋の動作は速い。あ。と言う間に出てくるのだ。その一流芸は一見に値するものであり、小生はいつも見逃さずその技を拝見させてもらっている。
 まず麺、茹でる。三秒で出来る。つゆ、入れる。これが二秒。鴨、乗せる、ネギ、乗せる、が一秒ずつ。合計七秒の達人芸。相変わらず美しい。

 鴨南そばがカウンターに到着する。小生はいつも財布に小銭をたくさん入れており、こういうところで店員方に迷惑をかけないようにしている。
 鴨南そば代480円をきっかり払う。うむ。我ながら手際がよい。
「では」
 小生は深く一呼吸した。始まりだ!ようやく小生の願いが叶う時が来たのだ。丼鉢を持つ。そしてためらいなく座ろうとした。しかしその時であった。
 動かない……!
 頭に動揺が走る。この足が。動かないのである。折り曲がらないのである。
 なぜだ……!どういうことだっ……!
 体がいうことを聞かないとはまさにこのこと!心は混乱に支配され、手足はガタガタと震え始めた。
 小生はただ「立ち食い蕎麦屋で座って食ってみたい」というささやかな願いがあるだけなのに。なぜこの体はそれを拒もうとする!
 小生はそんな焦りの中、ふと昔を思い出した。

 それは小生が小学校三年の頃のことだった。休み時間の間中、教室では紙飛行機が飛び交っていた。男子らは遊び盛り真っ最中である。女子らはそれを見て笑っていた。穏やかな午後だった。
 チャイムが鳴った。しばらくして先生が入ってきた。ひょろりと細い男の先生だった。生徒は紙飛行機を飛ばすのをやめたが、ただ一人やめなかった生徒がいて、先生がいる前だというのに紙飛行機を飛ばし続けていた。
先生は怒った。しかし見た目が弱そうな先生なので、その生徒は言うことを聞かなかった。先生は何度も怒った。また聞かなかった。そして。
「ゴン……!」
 怒りの鉄拳であった。思いっきり殴られた音がした。生徒は泣き始めた。大声で泣いた。先生は怒鳴った。
「廊下でバケツに水を入れて立ってなさい!」
 生徒は言う通りにした。小生はすりガラスの窓から見える生徒を見ていた。彼はずっと立っていた。そんな悪ガキのことだ。座ってもよかったはずだ。しかし彼は真面目に立っていた。ずっと立っていた。
 今この状況も、それと同じではないか……?

 どうでもいいが、全然違うことに気づいた。すぐに気づいた。ふと思い出しただけだった。今の小生はほんとに全然違う。
 さあ、どうでもいいことは置いといて、これは一体どうすればいいのだ!どうしたらいうことを聞いてくれるのだ!
 そして小生はある疑問を抱くことになった。
「本当は座りたくないのではないか?」
 青天の霹靂であった。まさかの思いであった。
 小生が座りたくない?立ち食い蕎麦屋で座りたくない?そんな……、馬鹿な……!
 頭が渦を巻く中、小生は考え始めた。
 そもそもなぜ、立ち食い蕎麦屋で座りたいのか。答えはすぐに出た。
「衝動」。それはどこから来るのか。そう。その衝動は「鴨南蛮の法則」と同じなのである。鴨南蛮を選んだ小生。それは一人の人間の社会との葛藤であった。
「社会に適応したい。しかしそれがどうしても自分には出来ない」
その鬱憤が徐々に溜まって膨らんでゆく。そしてその逃げ場は……。
 不良を思い出した。学生時代の不良である。彼らは学校生活に適応出来なかった。だからグレてゆく。
「立ち食い蕎麦屋で座り食い」。これはつまり、社会に適応出来なかった人間の鬱憤晴らしなのである。

 小生は思った。
 やっぱ、なんか違う気がする。なんか違う気がする。そんなにシリアスじゃない気がする。
 小生は気づいた。
 単に勇気がないだけか――!結局そういうことであった。小生は所詮小物であった。破天荒な公務員ではなかった。いたって普通の枠から出ない人間であった。
 気づいてしまった。おのれの心に気づいてしまった。小生は壁を破れなかった。そして思った。
 立って食おう。
 普通に食おう。それが一番いい。ような気がする。
 小生は冷めかけた鴨南そばをすすった。鴨も噛んだ。ほどよく弾力があった。ネギとつゆもうまかった。
 ごちそうさま、と言った小生は仕方なく自分を納得させ、しかし敗北を味わいながら出て行こうとした。その時。
作品名:禁断の立ち食い蕎麦 作家名:ひまわり