ハエたたきで死す
主婦は混乱した。まさかヨン様は叩けまい。そう敵が言っているようであった。ベランダへ続く窓は開きっぱなしである。軽く払えばそこへ移動させられない距離ではない。
主婦の心は揺らいだ。
そっと逃がしてやったらどうか。
ヨン様をじっと見つめる。敵はその写真の上に留まっている。
愛とは。
愛とは何か。
それについて考えたことはないだろうか。
愛。それは海よりも深く、解き放てばどんな遠いところまでも飛んでいきそうな感情。主婦はベランダ越しに空を見上げた。そこには真っ青な青空があった。
愛。それは人々の思考など届かない壮大なものであるのかもしれない。
パタン。
主婦は窓を閉めた。そして襖も閉めた。主婦は愛の行く先を決めた。
写真の前に立つ。ゆっくりと振り上げられたハエたたき。主婦は裂けんばかりの大声で叫んだ。
「死ねえーーー、ペ・ヨンジュンーーーーー!!!」
バチーーーン!!!
そこから先の記憶がこの主婦にはなかった。
「で?なんだって?私が『ハエたたきで過労死した女』って、噂で広がってるんだって?」
主婦はぐつぐつと味噌汁を炊いている。
「お母さん、味噌汁って沸騰させたら駄目なんだよ」
飴をなめていた中学生の娘が椅子に反対向きに座りながら言った。
「こら!ごはんの前でしょ!」
「はーい」
娘は反省の色はなかったが、口から飴を出してティッシュにくるんで捨てた。
「だいたいあんたが悪いのよ、『死んだ』なんて言いふらすから」
娘は矛先を同じく中学生の息子に向ける。息子は冷や汗を流しながら苦笑いをした。
「いやあ、ごめんごめん。だって友達が信じるって思ってなかったからさ。それに実際に救急車呼んだじゃん。うつ伏せにぶっ倒れてたんだから」
「まあね……」
主婦はカチリと味噌汁の火を消した。
「ま、あんたたちのおかげだったわよ。あれ以上時間が経ってたら私の命も尽きていたかもしれないわ」
「じゃ、あながち過労死も間違ってないじゃん」
「間違ってるの!!」
主婦は息子を一喝した。
「でも結局、どうなったか分からないんだよね、あのハエ……」
娘は名残惜しそうにゴミ箱を見つめる。
「死体はなかったんだろ?」
「死体っていう言い方はどうかな」
息子の言葉に娘はすばやく突っ込む。
「まあでも大変な一日だったわね。でももういいわ。お父さんもすぐ帰ってくるから晩ごはんにしましょ。さ、運んで」
「はーい」
カチャカチャと食器を並べる音。ごはんをよそう湯気。ちょうどそこに旦那が帰ってきた。
「ぴったりね」
旦那はすぐに笑顔になった。
「お、うまそうだな~」
主婦は得意げに言った。
「今日はステーキよ。百グラムいくらだと思う?高かったんだから」
着替えた旦那を待って、全員が席に着いた。
「いただきまーす」
「いただき……あ、母さん……」
「何?」
息子は空中を指差した。全員が口を揃えた。
「ハエ……」