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Under the Rose

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20.Cry for the Moon(1/2)



古めかしい建物の中。
殺風景な広い空間に、沙耶はただ一人で立っていた。
刀と顔に多少の血を浴びて、薄暗い中――静かに、立ち尽くしていた。
「姉さん!」
その姿を姉だと認識するなり、安堵したように駆け寄る桂。
直後、光景を少し離れた位置から見ていた真に、理解が追いつかないような状況が見えた。
『……えっ』
細かなニュアンスこそ違うが、真と桂の声は見事に重なった。
驚き固まっている桂の前髪の何本かがはらはらと落ち、こめかみの辺りから頬にかけて走るのは鋭い切り傷。
軽く触れた程度だったためたいしたことはなかったが、その傷が出来た理由が問題だった。
目の前にいる沙耶が、手にした刀で桂の眼前の空を切ったのだ。
「姉さん、一体ど――っ!?」
桂の言葉にも聞き耳を持たず、続く第二撃。今度は本気らしく、身体の急所を狙った動きだった。
姉の行動が冗談ではなく本気だということに桂もようやく気付き、素早く背後へ下がり回避する。
「桂っ! 無駄よ、ナイフを抜きなさいッ!」
「理由がわからないわッ!」
「……こういう、ことよッ!!」
その声に反応し、真の方を見やる桂。視線の先で、真は何者かと刃を交えていた。
真よりずっと小さいそのシルエット――思い当たるのは一人しかいない。
「レンフィールド……」
「あははっ! なぁ、半端者」
「……嫌な呼び方」
「まったく、君の姉は血だけでなく心も醜く愚かだな……少し心を揺さぶってやっただけでこれだ!」
「姑息な手を……っ!」
ろくに理解もできないままに、沙耶の攻撃を受け流しつづける。だが、正面から対等にぶつかった際の二人の実力差はかなりのもの。
姉を傷つけることにためらいを感じていることもあり、桂は反撃のチャンス一つないまま後退していく。
真も真でレンフィールドと対峙しているために、桂を援護することができない。
「ねぇ、私がわからないの!?」
返事はなかった。
言葉の代わりに、不気味な輝きを見せる刃だけが途切れることなく桂へと向けられる。
『やらなければやられる』とわかってはいても、相手は姉。
何の前触れもなくこのような状況に追いやられ、頭で理解できても身体が追いつかず、命令を拒む。
その時。
沙耶の一撃が、桂の左腕を切り裂いた。
「――――」
赤い血。
半端者が流す、穢れた血。
「あ……」
目前に迫る、他の誰でもない自分に向けられた姉の殺気。そこからくる恐怖が桂の心を覆うものと混ざりあい、果てには心の内部までをも侵食していく。
桂の心臓が、一段と強く脈打った。身体中をめぐる鼓動が崩れていく。保身のための盾が、一つ一つはがれ落ちていく。
「い、嫌……」
考える時間すら与えてくれない現実を目の前にして、桂の思考は凍りついた。



「桂、しっかりなさいっ!!」
隙を見ては桂が無事かを確認しながら、見えた状況に声を荒げる真。
壁際に追いやられている桂の姿がそこにはあるのだが、なにやら様子がおかしい。目の焦点は合っておらず、足取りもおぼつかない。
真は、すぐに彼女が今どうなっているかを察することができた。こういった状態ははじめてではなかったからだ。
「(こんな時に……!)」
自らのコンプレックスを抱えきれなくなり、錯乱を引き起こす一歩手前の状態。
何とか援護してやりたい気持ちでいっぱいだが、気持ちだけでは何も手助けにならない。真は動きようがなかった。
下手に動けば沙耶とレンとではさみうちに遭う可能性もある。
こちらも桂と同様に、受け止めることで精一杯だった。
「桂! 桂っ!!」
せめてもと名前を連呼するが、それは桂の耳には届いていないようで、まったく状況は変わらない。
「嫌、嫌、い、嫌……」
うつろに同じ言葉を繰り返し、合わない呼吸のリズムに咳き込む。
再び、強く脈が波打つ。
「嫌、嫌ぁっ!!」
それは、まばたきすら許されないほどのスキのない動きだった。
後退し続けていた足を止め、突如前へと駆け出し――沙耶が構えるより早く、その頬を勢いよく殴りつけた。
後ずさり、口内が切れたのか頬の上から歯列をなぞる沙耶。そんな沙耶へ力任せに掴みかかり、その手首を思い切り掴んだ。
今の桂に、加減という言葉はない。ただ、自分が出せる力の全てを手に込める。
「……っ」
さすがの沙耶も、手首を締め上げられる痛みに顔をゆがめた。みるみるうちに手首から先の血の巡りが悪くなってゆき、力が入らなくなっていく。
手に握った刀こそ離さなかったが、一気に優勢劣勢が切り替わったことは明らかだった。
桂の状態に波がなければ、間違いなく押し切れていた。
「あ、う……っ」
虚勢をまじらせた沙耶の表情を見て、詰まるような声をあげる。その瞬間、桂を覆っていた強気な色が反転した。
喉が枯れるほどの無茶な発声で叫びながら、強い力で沙耶を突き飛ばす。
振りほどくようなその動きは、受け身をとった上からでも転倒するほどの勢いだった。
いってしまえば今の桂は、人間からは大きく外れるほどの力を出している。
本人が意識して――ではないのが問題だが、彼女は特別劣っているわけでも何でもない。
「い、嫌……!!」
頭を両手で抱え込み、苦しげにうめきはじめた桂は、力なくその場にしゃがみこんでしまった。
限界だった。
そんな中、突き飛ばされ立ち上がった沙耶は、これ以上ないチャンスだというのに桂に追い討ちをかけることはせず
真のほうへとまっすぐ刃を突きたてた。それを見るなり、真っ青になる真。
「いや、ちょっと……一度に二人はさすがに……ね?」
「では、一対一でなら構わないかな?」
「なぁに、やけに余裕じゃない」
「そこの半端者は無様な姿を見せているし……気が変わった」
「それはどうも」
言うなり、真は振り返り迫っていた沙耶の一撃を受け流した。
レンの言葉を完全に信用していたわけではない。だが、信じて沙耶と対峙しなければどちらにせよやられてしまう。
桂のことは心配に変わりないものの、沙耶を相手にしている時にそちらに気をまわすような余裕はありはしない。
「真ちゃんって正面からだと駄目なのよねー、ねーって……あわわっ」
「消えろっ!!」
少しでも相手を油断させようとおちゃらけてみせるが、相手は元々真面目一辺倒な沙耶。
その上今はレンの暗示にかかっているのかこちらの声を聞いてすらいない。
真の発言通り、正面からやりあった場合、沙耶のほうが強さとしては数段上にあった。
おまけに迷いのない沙耶と多少のためらいを消せない真、元々ある差がより広がってしまう。
「あぁ、もおっ!!」
策という策もなく、だんだん劣勢に追い込まれていく真は気がつかなかった。
自分がだんだんと隅に追いやられ、逃げ場をふさがれている事に。

「消えろ! ……私の前から、消えろッッ!!」
その瞬間、真の黒い髪が空を滑る刃に巻き込まれ、切れ飛んだ。
真の視界に見えたのは、殺意を秘めた沙耶の鋭い視線。
そして、自らの身体を離れ出たあとに空気に舞う赤い血。
痛みはなかった。
作品名:Under the Rose 作家名:桜沢 小鈴