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Under the Rose

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19.夜想



夢を見ている。
限りなく現実に近い、それでいて掴みどころのない――夢を見ている。

「――!」
聞き慣れた声が呼ぶのは、人の名前。
聞き取れないわけではなかったが、はっきり何といったかまでは分からない。
声の主を見る。髪の長さこそ全然違うものの、その顔立ちには見覚えがあった。
自らの記憶に新しいものと比べてずいぶんあどけないが、間違いない。
「(姉さんだ……)」
それは、誰より本人――桂がよく知っている、姉の姿だった。
そして、その姉に近づく一つの人影。長く伸ばした髪を下ろし、無感情に口を閉じたままの少女。
「(私……)」
夢という名の、昔の記憶を見ている。
桂が立っている位置からは、姉がふっと口元を緩め微笑んだのをはっきりと見ることができた。
当時は気付くはずもなかったが、今思い返すようにして見ると、それはひどく暖かみのないものだった。
形だけの笑み。そして、どこか遠慮するような刺々しい声。

次々に場面が切り変わる。
それでも共通しているものは、『姉の笑顔』。今まで渡り歩いてきた数知れない異国の地で、いつも桂を導いていた穏やかな微笑み。
そして。
そして、やがて夢と現実がかち合う瞬間が近づいてくる。

「桂ちゃん」
記憶に新しい名前。今度ははっきりと聞き取ることができる。姿も、今の沙耶のものとなんら変わりなかった。
「姉さん……」
記憶の底に沈んでいた、昔の姉の姿に意識をさらわれていたせいだろうか。
なぜか不思議な懐かしさを感じてしまい、桂は自然と姉へ向かって早足で駆け出していた。
だが、直後にその足は止まる。
「……」
姉の手に握られているのは、桂がいつも使っているナイフ。
その意味が理解できず、立ち尽くしている桂の前で、
「ごめんね」
ナイフの刃を自らの首の後ろへやり、沙耶はぶちぶちと千切るようにしてその長い髪を乱暴に切った。



「……ん」
ぼんやりとした余韻を残したままで、夢と現実が切り替わる。
目を覚ました桂は、自分が姉の眠っているベッドに寄りかかる形で眠ってしまっていたことに気付いた。
「姉さん……?」
目をこすりながら沙耶の方を見る桂だが、沙耶の状況は自らが眠ってしまう前となんら変わりなかった。
しっかりと目を閉じ、呼吸もろくに感じられない。寝息もなければ寝返りをうつこともなく、ぴくりとも動かない。
触れた肌にも温かみはほどんとなく、死んでいるといっても違和感ひとつなかった。
「……」
今の桂に残された選択は、ただひたすら待ちつづけることだけ。
知らない間に、刀の持つ力に身体を蝕まれつづけていた姉。
目で見える箇所にその症状は出ないため、どれだけ進行しているのかもわからない。
だが、桂であれば少し触れるだけで腕が焼け焦げてしまうほどの大きな力を、沙耶は十年近くも受け続けていたのだ。
彼女がそれを口にしなかっただけで、とっくに限界を迎えていたということも有り得る。
もし。
もし、このまま姉が目覚めなかったとしたら――
「……姉さん、待ってて。すぐ戻るから」
こうして姉の物言わぬ姿を見ていても、必要以上に不安を煽られるだけだ。そう考えた桂は、悪循環する考えから逃げるようにして部屋を出た。



結局あてもなく辺りを徘徊したのち、夕暮れが訪れはじめた頃に桂は部屋へ戻って来た。
夜になれば危険はぐっと増す。そんな中を一人で歩いていればどうなるか分かったものではない上、桂は何より姉の状態が心配でならなかった。
「え?」
不安と期待をまじらせながら見た先――ベッドは空だった。
ただ直前まで誰かが寝ていたという証拠である皺を残すだけで、そこに姉の姿はない。
目覚めたのだ。
心配のあまり重くなっていた桂の身体が、その瞬間嘘のように軽くなる。
「(部屋にいないってことは、きっと辺りを出歩いてるんだわ。私を探してるのかもしれない)」
バルコニーから洗面所に至るまで、姉の姿がないことを確認するなり桂は慌ただしい様子で外へと再び飛び出した。
病み上がりの身体ならそう遠くにはいけないはず。
夢で見たような、姉の笑顔が見たかった。姉が自分を呼ぶ声が聞きたかった。
桂の足は止まることを知らず、陽が完全に落ちるその時まで走り続ける。



その状況を一言で言うなら、『落日』といったところだろうか。
辺りが完全に闇に包まれ、この日こうして部屋に戻って来たのは何度目か――そんな事を考える余裕もない桂の姿があった。
「姉さん、どこ……」
嬉しさに胸をいっぱいにして飛び出した桂だったが、その後どこを探しても沙耶の姿を見つけることはできなかったのだ。
思い当たる場所は全て探した。周辺は特に念入りに何度も駆け回った。
だが、そこに求めていた姿はなかった。
どこかですれ違ったのかもしれない。最後に思い当たる場所は、二人が生活している部屋だけ。
「どこ、どこなの……」
人の気配が感じられず、電気すら点けられていない真っ暗な部屋の中を桂はよろよろと探るように進む。
ベッドの前まで進んだところで、彼女の足はついに進むことをやめてしまった。
そして、そのままその場に立ち尽くしてしまう。
「……」
そんな桂の中に不安を満たすようにして、冷たい風が窓の外から吹き込んだ。その風に導かれるようにして、視線を上げる桂。
いつも沙耶のコートがかけられているはずの位置には、何もなかった。
それどころか、そのそばにいつも立てかかっている刀すらない。
コートだけならまだしも、刀まで。
「まさか……」
先ほどから桂の心のすみを巡り続けていた、最悪の予感が確信に変わった瞬間だった。
同時に、なにかが彼女の横をすり抜けた。風ではなく、もっとはっきりと形をなしているものが。
「!」
すり抜けた何かを追いかけた視線の先に落ちていたのは、一つの便箋。先ほどまではなかったものだ。
慌てて背後を振り返る桂。
開いたカーテン、そしてバルコニーへ続く窓のへりによりかかり腕を組む真の姿がそこにはあった。
手には、先ほど桂が見たそれと全く同じ便箋。
「来たわよ。……悪趣味な、招待状が」
いつも以上に真剣な顔で、真は静かに口を開いた。
「それより先に、何故レンフィールドの手紙を貴方が持っているのか知りたいのだけれど?」
「やぁね、そう睨まないでよ。今投げたやつはここの窓にはさまってたのよ、読んだ跡があったからもう知ってるのかと」
聞くなり、桂の動きが固まった。自分は今はじめてその手紙の存在を知ったのだ、すでに手紙の封が切られているなど有り得ない。
そして、その上で自らが部屋を出た間の空白の期間この場にいたのは一人。
「姉さんだわ」
「え?」
「手紙を先に読んで、一人で……ちょっと、真! その手紙もどうせ呼び出しか何かでしょう、場所はどこ!?」
「あ、えーと」
頭ではわかっているようだが言葉で具体的に場所を説明するのは難しいらしく、言葉を詰まらせてしまう真。
「案内なさい! ほら、早くっ!!」
何一つ告げぬまま、一人いってしまった沙耶。
作品名:Under the Rose 作家名:桜沢 小鈴