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Under the Rose

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03.鷹と蛇/その1(2/4)



若い女の声――にしては、少々違和感が残る。
呟きに近い小さな声だったにも関わらず、その一言は二人の耳にはっきりと届いた。
現れたのは、桂が見たあの人影そのもの。
黒いドレスのような服に、袖を通さずただはおっているだけの白いコート。
長い黒髪、気だるげな表情。ぼんやりとした二つの瞳が、曖昧に二人を見つめている。
無言のままで傘に仕込んだ刃を抜こうとした沙耶を、桂が手で制止した。
「(今回の目的は、見張りに近いものだから――癪だけれど、受け身でいきましょう)」
「(……ん、桂ちゃんがそれでいいなら)」
そのまま、暗がりから現れた若い女へと二歩三歩歩み出る桂。
「足音をそれだけ見事に消せるのなら、気配を消すこともたやすいのではなくて?」
「あら。これでもちゃんと消してるわ……あなた、勘がいいのね」
警戒を通り越して殺気立つ二人をよそに、隠しきれないほどの余裕をあらわにする女。
目を伏せるようにしてまばたきを繰り返したのち、開いた目はまっすぐに桂を見つめる。夜闇が邪魔していたせいで
二人は気付かなかったが、女の黒目はわずかに赤を帯びていた。こつり、こつりと歩み寄る。
「……」
目の前まで女が近づいてきたというのに、桂は別段違和感を感じなかった。
それどころか、警戒心すらわずかに薄れつつあった。
というよりも、思考がぴりぴりと麻痺してきているような気がしていた。桂の背後にいる沙耶は動かない。ただ、女と妹が向き合っているだけの状態。
それだけで切りかかる理由にはならない。
それに妹が自らを制止した以上、妹の指示に従うのが正しいと沙耶はその時判断したのだ。
判断が大きな間違いであったことに、彼女はその時まだ気が付かなかった。
「変わった人」
女が、コートの上から桂の腕に触れた。桂に抵抗する様子はない。
なでるように、その手は腕から肩のあたりへと移動する。そして、まるで相手を逃げられない体勢に追い込むかのように
両肩をさほど弱くもない力で掴んだ。
「ねぇ……」
甘えるような声。この時、やっと桂は自分がおかれた状況に気付いた。
目の前にいる女。先ほどから自分をまっすぐに見つめてくるそのまなざしの向こう。
「ねぇ……私は何に見える? 誰に見えるの? おしえて」
生気のない瞳。
そして、言葉を紡ぐ際に開いた口からちらちらと見える白い牙。
「……!」
桂の思考はまだ侵されてはいなかった。正常に機能し、正しい答えをも導き出していた。
だというのに身体が言う事をきかない。抵抗するよう、目をそらすよう命令を出してもまったく動かない。
目の奥がちりちりと痛む。
「おしえて」
耳にはっきりと届く声。先ほどから姉の声が聞こえないのは、おそらく自分には聞こえていないだけ。
頬をなでる手には温かみが欠片もない。
警戒を解くのが狙いかのように、その手の動きには優しさが満ちているというのに。
生きているものとは思えない。
「……い、嫌」
自分をまっすぐに見つめる漆黒の瞳。
そこにあるのはどこまでも広がる深い闇。全てを包んでもなおそこに在り続けるどす黒い黒。
飲まれてしまう。
このままでは、戻れなくなってしまう。
桂はそう確信した。
そして、そばにいた姉に助けを求めようとした。
……。
直後には、誰に助けを求めていいのかすら考えられなくなった。
思考を黒いなにかが蝕んでいく。


作品名:Under the Rose 作家名:桜沢 小鈴