Under the Rose
00.Reincarnation
凍てついた空気の中、階段を上る音が聞こえる。
規則正しいそれは、夜のしじまの中でゆっくりと響き続ける。
しばらくしたのち、その音はぴたりと止んだ。
最後の段を上り終えたらしく、今度は屋上に続く扉を開ける音。
夜間には鍵がかけられているはずの扉は、嘘のようにすんなりと開いた。
その人影を除いては誰もいない。
静かに繰り返される非日常に、誰も気がつかない。
屋上に出るなり、鮮やかな満月の光が人影を照らし出した。
黒いウェーブがかった長い髪に、闇に混じるとわからないくらいの漆黒のドレス。
表情までは見えないが、年齢を推し量るならおそらく二十五は過ぎている。
片方の腕に抱いているのは、持ち歩くには少し大きな花束。
人影は、周りを見渡し誰もいないことを確認したのちにまっすぐに足を進める。
そう広くもない屋上。すぐに、金網の前へと辿り着く。
上を見上げ、一瞬考えるように固まったあと、その人影はすぐに行動を起こした。
身長の倍もありそうな金網をよじ上り、越える。
花束を抱えているというのに、その動きは身軽でどこか慣れているようにも感じられた。
そして、金網と宙の間にあるわずかな足場に降り立つなり、ためらいもなく一歩一歩前に出る。
ゆっくりではあるが確実な足取り。
喧騒から離れた静かな屋上に、わずかな足音だけが響く。ギリギリのところで歩みは止まった。
「…………」
ちいさく呟いた言葉は、その国の言葉ではなかった。うつろに視線をただよわせながら、言葉を紡いだばかりの唇を噛む。
そのまま、手に抱えていた大きな花束を投げるようにして宙へ落とした。
『束』という形をとどめきれずにバラバラになった花の一本一本が、建物と建物の間にある狭い空間へと散っていく。
小さな花は、地面に辿り着く前に暗闇に飲まれて見えなくなった。
見届けたのちに、屋上に立つ人影がまた一歩前へと踏み出す。
「――――」
広げた両腕に冷たい夜風を受け、わずかに微笑んだあと、前へと差し出した足は地を離れた。
先ほどの花束と同様に、その身体は永遠ともいえる一瞬を経て落ちてゆく。
地面を離れて、落ちてゆく。
作品名:Under the Rose 作家名:桜沢 小鈴