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食虫花

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『食虫花』

ドイツの作家ヘルマン・ヘッセであったか、『結婚前には両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ』といった。その意味は、結婚前はしっかりと観察して相手を選び、結婚後は仲良くするためには、多少相手の欠点は目をつぶれということ。しかし、現実はそううまくはいかない。なぜなら、男も女もよく見せようとして演じるから、両目でしっかりと見ているつもりが、実は偽りの姿を見ていることもある。田中真一もそうだった。
 彼は美人で現代の大和撫子と評判の二歳年下の同僚と結婚した。
 結婚と同時に少なくとも痩せてほっそりした妻が変身してしまった。ちょっとオーバーな表現すればぶくぶく太ったのである。いや、正確にいえば、初夜のとき、彼女は外見よりずっと太っていることに気づいた。
「すこし太ったみたいだね」と聞いた。
「違うわよ、今までずっとコルセットをつけていたから痩せているように見えたのよ。でもこれからはコルセットつける必要もないわ」と嬉しそうに言った。
 彼はだまされた!と思ったが、後の祭りである。
 気だてもよく、何事も控えめということも、単なるメッキであることに気づくのも、そんなに時間はかからなかった。
 彼が帰るまで食事を取らずに帰りを待っていたのは結婚後わずか半年足らず。後は勝手に先に済まして、十一時を回ってしまうと平気で寝てしまう。ある時、頭にきて寝ている妻を叩いて起こした。
「何で、亭主の帰りをちゃんと待っていられないんだ!」
 すると、妻は何をそんなに怒っているのか分からないと言わんばかりの欠伸をして、
「睡眠不足が美容に良くないの。あなただって、わたしがいつまでも若くて綺麗でいて欲しいとでしょ」
さすがの彼も、その図々しい神経に呆れかえり怒る気力がいっぺんに消え失せた。
 結婚三年後にして、妻は結婚したいと思っていたのとは別の人間になり果てた。そして最後の砦である恥じらう心さえ今はない。
 ある日、彼がリビングで寝ていると、ふと物音に気づいて目を覚ました。俯せながら顔を右側に向けると、大根も顔負けの大根足。左側に向けても、同じように大根足。ひっくり返ると目の前に真っ黒いものが! それは妻がバスタオル一枚で何も付けずに、彼の顔をまたいでいたのである。
 妻は近くにあるタンスから下着を探していたのだ。
「パンツぐらいは、はけ!」と彼が怒鳴ると、
「今、そのパンツを、今、探しているのよ」と言い返した。
「ねえ、感じる? 欲しい」と甘ったるい声で言った。
 このまま、ひと思いに殺して、海にでも沈めてやろうかとも思ったが、こんな阿呆女のために一生台無しにするのも馬鹿馬鹿しいと思い止まった。
 彼の哀れな結婚生活を聞き終えたとき、生物学の擬態という言葉を思い出した。擬態とは、英語でいうと、カモフラージュである。何かに化けて生き延びる戦術である。昆虫が植物と同じ色になり天敵の目から逃れるのもそれだ。また熱帯の食虫花が花に擬して昆虫を誘い込み食べてしまうのも擬態だ。擬態を演じられたら、どんなに目を凝らしても、多くの場合、その真の姿は見抜けないだろう。
 彼の細君はさながら食虫花ように彼を捕まえた。そして、彼は捕まった憐れな昆虫といったところか。
「さっきから俺の顔を見ているけど、何かついている?」
 慌て顔をそらし、「要するに幸せということだろ!」と言ったら、「お前は人の話をちゃんと聞いている?」と彼は大笑いしたが、実に幸せそうに見えた。もし、そうなら、食虫花に捕まるのも、また幸せの一形式なのか。
 


作品名:食虫花 作家名:楡井英夫