茅山道士 かんざし1
それから麟は一昼夜眠り続けた。流した血があまりにも多かったために万能薬の竜丹ですら回復に時間を要した。その側にはずっと西王母が付き添っていた。時には目に涙を浮かべ、時には嬉しそうに微笑みずっと麟の寝顔を見ていた。一昼夜過ぎてようやく顔に赤みが差し熱があがりはじめた。万能薬の効力で傷が回復しはじめたせいである。麟はコホンとひとつ咳をしてうっすらと目を開けた。まだ焦点があわない状態だが、目の前に誰かがいることはぼんやりと写った。
「み…水…」
ぼんやり写った影に向かって麟は頼んだ。影は麟の視界から消えてすぐに戻って来た。そして麟の唇に冷たい水が当たった。ゴクゴクと唇から喉へ染み透るように水が入っていった。しばらくして視界がはっきりとしてくると室内で自分が寝かされていることが判り無意識に起き上がろうとしたが右肩から手にかけて劇痛が走った。「起きてはいけませんよ。麟。もうしばらく眠りなさい。何も心配はいりません。さあ、私がずっと側に付いていますからね。」
心を落ち着ける呪文のように、その言葉は麟を落ち着け、再び眠りに引き摺りこみそうになる。熱のせいで意識の混乱している麟は自分が虎に襲われて傷付いた頃に記憶が後退していた。側にいるのは自分の母親だと思い込んだ。
「今までのことは夢ですか……お母さん……」
と、消え入りそうな声で尋ねた。今の麟には道士の修行が夢のことだった。
「ええ、夢ですよ。だからね。麟…眠りなさい……」
優しい声が麟の頭上から降り注ぎ、今度は本当に眠りの闇に落ちた。しばらくして寝息が聞こえると、ハラハラと西王母の瞳から涙がこぼれた。けっして前世の記憶が母と呼ばせたのではないことは西王母も承知していたが、それでも目の前にかってのわが子が戻ってきた気がした。あの時もハラハラと涙がこぼれとめどなく流してしまったが、今度もそうせずにはいられなかった。
「本当に夢なら、またおまえとずっと暮らせるのにね。」
泣きながら西王母はそう呟いてまたハラハラと涙をこぼした。
作品名:茅山道士 かんざし1 作家名:篠義