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茅山道士 かんざし1

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 その時、背後から馬のひづめの音が遠く響いた。急ぎの使者が通るのかと麟が脇へ避けて馬のために道をあけた。音が大きくなるにつれて馬の姿が木立ちの向こうに現れた。それにつれて麟の心に鋭い棘がささった。先ほど感じた殺気の主が現れたのだった。ちっっと舌打ちして道士は走り出した。相手が馬で来るとは考えもしなかった。これでは逃げ切れない。馬が通れぬような混んだ木立ちの中へ麟が入り込んだ。しかし、相手のほうが一枚上手だった。相手はすかさず弓を取り出して、弦をひきしぼった。一本目はかすりもせず飛んでいった。まずい…若い道士は相手との間に木が割り込むように逃げるが、相手も馬を動かして障壁を取り除く。前へ前へと走っていた麟はどおんと衝撃を受けて前へふっ飛んだ。
 急いで起き上がったが、もうそこには馬を降りた男が立っていた。「ばかな奴だ。わざわざ人の少ない道を選び、おまけに連れの男と別れて来るとはな。」
 近付いてくる男から逃れようとして自分の肩がドクンドクンと熱く脈打っていることに気付いた。麟は肩に手をやった。すると、手に異物があたり、そこを見るとヌッと矢尻が突き出ている。弓は見事に走り出した若い道士の肩を捕らえていた。
「俺は小悪党だから、殺しはしないが、しばらく動けぬようにしびれ薬が塗ってある。まあ、あんたがおとなしく持ち物を出せば止血くらいはしてやるぞ。どうだ。さっき、街市で話していたブツを渡さないか。」
ニヤニヤと笑いながら手を差し出して男は、道士に詰め寄った。
「断る! 欲しければ俺の生命から取らねばやらぬぞ。」
 そう言い放つと、若い道士は杖を支えに立上がり、男の手を払い除けた。まだ薬が全身に回っていないらしく、足はしっかりと地面の感触をつかんでいる。麟は杖を構え、男と対峙した。男も短剣を取り出し構えたが、男は相手の出方を待つように余裕をもっている。しばしの沈黙が二人を包んだ。麟は自分が徐々に身体の自由を失っていくのを感じた。それは足の自由を侵しはじめ、膝をつき、ついには倒れ伏した。その拍子に刺さっている矢が折れ、そこから血が流れる。
「いわんこっちゃない。おとなしくしていないからだ。」
倒れた道士に駆け寄って、男は麟の懐を探ろうとしたが、その手を麟は掴んだ。
「まて…それはダメだ。預かり物だ…おまえが持っても一文の得にもなら…ない。」
「おい、生命より大切なのか。えっ?」
 男は若い道士の眼に写るように短剣をギラつかせたが、麟は自分の眼に飛び込んだものを確かめたが無関心である。男が麟の手を振りほどき再度、懐を探り始め、ようやく包みを取り出した。しかし、麟とて黙っているわけではなく激しく取り合った。その拍子に包んでいた布がハラリとめくれて中のものが現れた。金銀、玉をあしらった美しく高価なかんざしが男の前に晒された。
「見ろ。これのどこが『一文の得にもならないもの』なんだ。こいつは一財産になる代物だ。嘘をつくなら上手につきやがれ。」
 半ば強引に道士の手を振りほどいたが、道士は自分に向けられていた短剣の刃をぎゅっと握って起き上がり、男の衣服をしっかりと掴んだ。身体中にしびれ薬が利いているらしく手の痛みも肩の痛みも感じない。ぼとぼとと手からは血が滴っているが、道士は刃を握ったままである。急に男は恐怖心を覚えた。慌てて、道士を足で蹴倒した。蹴られた方は後ろに強くふっ飛び、肩に刺さっている矢がボキリと折れる音がした。
「悪いが、貰っていくぞ。」
きまりの捨て台詞を吐くと男は急いで包みを手にして馬で遠ざかっていった。
「その…預り物は…」
麟は砕け散りそうになる意識の中で呟いた。
「その預り物は…俺の手を……離れると、鳥に……変化し、もう二度とかんざしには戻ら…ない。そして……そして……」
ドクドクと自分が血を流しているのを感じながら、麟の意識は砕け散った。辺りには静寂が戻り、惨劇とは関係なく優しい日の光が辺りを照らしている。
 預り物のかんざしは、以前、麟が緑青の役災の身代わりとなって大怪我をしたところを助けてくれた仙女が、旅の安全を心配して授けてくれたものである。そのかんざしは麟の側を離れると鳥に変化し、持ち主の元へ一目散に帰るのである。それは麟から仙女へのに救助信号になる。
 太真王夫人は、西王母の館の庭でのんびりとくつろいでいた。側には誰もいない。広い庭である。西王母の館は常春の空間である。この敷地のまわりは弱水と呼ばれる水がぐるりと取り囲み、誰も渡ることはできない。弱水はまったく比重のない水で、一度足をつければズルズルとひきずりこまれてしまう。船を浮かべることも泳ぐこともできない。ただ、空を飛べるもの以外は侵入できないのである。敷地の中には、かの有名な桃園がある。一万年に一度、一千年に一度、百年に一度、十年に一度という桃が広い桃園の中に植わっている。一万年に一度しか実らない桃の実を食せば、そのものは不老不死になれると言われている。しかし、それとてどのくらいあるのか分からぬほどの数があり、西王母の館の一角でしかない。果てがないのでは、と思われるほど広い空間なのである。そんな敷地の真ん中に館は建っており、その前庭で王夫人は、小さな池の睡蓮の花を眺めていた。
 サァッっと一陣の風が通り過ぎた。髪を押さえながら王夫人が空を見上げた。そこに一羽の小鳥が一直線に飛んでくるのが、目に入った。王夫人は小鳥に手を差し出すと、その手に触れるか触れないうちに、すっとかんざしとなって手のうちに収まった。
「これは…」
 事態を悟った仙女は、一目散に館へ飛んでいった。そこには一日に千里を駆ける麒麟がいるからである。

 当の麒麟たちは、人型で茶などすすっていた。一日に千里駆ける黒麒麟と、白麒麟、青麒麟、それに珍しく竜族の若長東海青竜王までが列席している。彼等は別段どこにいなければならないという定めはない。黒麒麟と白麒麟は西王母の用事を頼まれることが多いので、館に待機しているが、青麒麟などがここにいるのは珍しいことだ。ましてや、そこに青竜王が混じっての茶会というのは、なおさら珍しいことだろう。東海青竜王は、現竜族の若長であり、竜のなかでもっとも美しい体と、もっとも強い能力を持つとされる。だが、人型でいれば、ただの普通の人である。
「ひまなものだ。角端。どこかおもしろいところはないか。こんなところで麒麟と竜の茶会というのも…なんだかなー。」
 青竜王はそう言って茶をすする。一同も同様である。
「しかし、あなたは先程から、そうおっしゃられてますがね。青竜王殿。」
 白麒麟も同じ答えを繰り返す。とりあえず、返答をしているといった風情である。
「角端兄が知っているわけもないでしょう。兄は麒麟一の怠け者で、おもしろいところへ行こうと探す筈がない。」
 ニヤニヤと笑いながら一番若い人型の青麒麟が応酬する。ふざけられている当の本人は黙したままである。一言返せば、暇を持て余した者たちから三倍返しになる。黙しているのが良策というものだ。「何もすることがないというのは、我々には退屈なものですね。」「そうおっしゃいますが、青竜王殿。水晶宮へお戻りになられれば、山程の仕事が待っているのではありませんか。」
作品名:茅山道士 かんざし1 作家名:篠義