Epsode:海
さっきまでは聞く気すらなかった疑問を,気付けば彼は口にしていた.
こんなにストレートな言葉がすらすらと出てくるのは,夜が,自分の本心を隠してくれているからかも知れない.
一人だと,寂しいだけだからな.
男の,どの疑問に対しても,YESともNOとも付かない答えだった.
はぐらかしているのか,答えたくないのか,そのどちらかでも,あるいはどちらでもないのかも知れない.
男はそれ以上彼の気持ちを追求することを諦めた.
海面の見える港の場所へ戻ろうと,コートを羽織りかけた男の視界が,突然真っ暗になる.
背後にいた連れが,自分のコートを頭から被せたらしいと気付くのに,少しの時間を要した.
彼の身体に染み付いている,煙草の苦い匂いがした.
手を上げて被さっているコートを取って顔を覗かせた男の,乱れた髪を見て,彼は笑い出した.
着とけよ.
と彼は言って,そして二本目の煙草をケースから取り出した.
ふと,こちらへ眼をやって,一本どうだ? と聞いてきた.
あまり煙草は嗜まない質だったが,そう言われると,久しぶりに吸いたくなった.
じゃあ,貰おうかな……と男が答えると,彼は自分の唇をつけた煙草を,こちらに渡して寄越した.
訝しんだが,男はその煙草を受け取り,口を付ける.
彼のライターの炎が,後から追い掛けてきて,先に明かりを灯した.
それ,最後の一本なんだよ.
と,不意に男が言った.
真意が分からず立っていると,空の煙草ケースをポケットから出して,握り潰した.
だから,さっきの一本を男に渡したのだろう.
なるほどと合点はいったが,てっきり,彼も吸うものだと思っていた男は,少しうろたえた.辺りには煙草の自販機らしきものも見当たらない.そうでなくても,彼の好む煙草の銘柄は,普通の店ではあまり見掛けないものだったと記憶している.
彼はどうしようかと,逡巡している男の煙草を持つ手首をとって,自分の口へ煙草を持っていった.
男の手から煙草を吸い,煙を吐き出した.
眼が合った.
何時もは明るい茶色の瞳が,夜の中では光彩と溶けて区別がつかない.
その中に,空の星が映り込んで,すっと尾を引いて流れていく.
自分の目も,相手にはこんな風に写っているのだろうかと考えた.
荒れ狂い,静まり ,そして,呑み込んで消えていく.
二つの空と海.
今,何かの気持ちを言葉にすると,この闇に消えていきそうな気がした.
真実も嘘も.これまでも,これからも.
なにもかも…….
だから,黙ったままだった…….
コンクリートに当たって,波の穂先が跳ねる音が,耳に響く.
煙草が,手から滑り落ちた.先端に燃えている小さな炎が,地面に落ちて幾つかの飛沫を描き,風になびいて転がる.
もう,帰ろう……
終わりにするつもりでそう呟いた男の唇が,煙草の香りで遮られた.
目眩がした.眼を閉じる.
光が,もう視界に届かない.
二人は,沈んでいく.
夜の海の中へ.