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Epsode:海

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車のドアを開けると,潮の香りが空気に溶けていた.
 遠くから聞こえるクラクションの音に混じって,単調なリズムを繰り返す波の音が,微かに聞こえる.
 海岸沿いに伸びてる遊歩道のブロックのすぐ向こうはもう海で,小さな漁船の停泊する港になっているらしい.対岸のビルの明かりが,澄んだ夜の空気の中で,星のように瞬いている.
 深夜の二時を廻ると,さすがに辺りには散歩する人影も見えない.時たま,家出中の学生のような少年たちが,煙草をくわえて腰を下ろし,なにやら喋っている姿に出あう位だ.
 夜型と名高いこの島にしては,比較的少ない人数だと,隣を歩く男は言った.
 言いながら,胸ポケットから取り出した煙草に火を付ける.
 普段煙草を吸い慣れている者の動作だった.そのスーツや髪に染み付いた匂いが,そのまま彼の体臭になっている.
 大通りの店では,ゲームセンターなら午前四時五時くらいまで営業しているのも珍しくはない.普通のスーパーだって十二時までは普通に開いているし,デパートも九時閉店というのは早いくらいだから.
などと,どこから仕入れてきたのか解らないが,彼は続けてそんなことも教えてくれた.
 とりあえず海を眺めてみようか,と彼が言うので,もう一人の男は軽く頷き,彼の後に従う.
 腰くらいまでの高さしかないコンクリートの塀の向こうを覗き込むと,満ち潮の海面がすぐ眼下に迫っていた.
 海の匂いが一段と強くなる.
 しかし,海面を覗き込んだ男の顔が,不快をあらわすように歪んだ.
 眼下に広がる海は,空缶や煙草の吸い殻,ビニールシートや割り箸など,あらゆるゴミが浮かんでいるのが見えたからだった.
 おまけに深夜の時間となると、海面はただ、闇を写して黒く染まっているだけで,それだけ見れば,まるでどこかのドブ川のようだった.
 綺麗,とはお世辞にも言えない.
 海を見にきたんじゃないのか,と男は彼に訊いた.少し非難を込めた口調だった.
 そうさ,と彼は答えて,火を点けた煙草を美味そうに吸う.
 なにもこんな海を見に来なくてもいいんじゃないか.二時間半も飛行機に乗って…….
 男は納得がいかない口振りだった.
 冬の,夜の海がいいんだ,こういう海が…….
 つぶやくようにそう言ってから,彼は連れに向かってちょっと肩をすくめて見せた.
 そりゃあ,綺麗な海も好きだよ,女の子も喜ぶしね.
 彼はおどけた風に笑い,連れの反応を楽しむように,ゆっくりと次のセリフを続ける.
 だけど,こういう海も悪くないだろう?
 男は首を心持ち傾けて,連れの瞳を覗き込む.
 青い海と,白い砂浜で有名なこの島まで来て……?
 そうさ…….
 連れの男の呆れたような口調に,彼は意味ありげな含み笑いを付け足し,そう云った.
 きっちりとセットされてあった前髪は,潮風に乱されて,男の凛々しい眉の上に落ちてくる.
 連れの方の髪も似たようなありさまで,視界を邪魔するのか,目に落ちてくる髪を,しきりと掻き揚げていた.
 真冬の夜半の風は,南のこの島といえど,やはり冷たい.
 コートが必要なほどではないにしても,海から来る潮風は思ったよりも速度があり,しかも断続的だった.スーツの上から,徐々に肌の温度を奪っていく.
 手にかけたコートを羽織る動作をしかけた連れに,男は寒いのかと声を掛け,顎をしゃくって公園の外を指し示した.
 ホテルに入って休むか?
 ホテル……?
 示された場所を確かめようと,背後を振り返った男が,息を呑むのが解った.
 けばけばしい電飾がなくても,ピンク色の外観や看板ですぐにそれと察しがつく.
 ……ラブホテルで……か?
 また車で移動するのも面倒だし,ただ寝るだけだ.どこでもいいだろう.
 決め付けるようにそう云った男に,連れは,それは……と言いかけて,口を噤んだ.そんな彼の思考をあれこれ想像しているのか,主導権を握る男は,その困った顔を見ながら,ゆっくりと煙草をふかした.
 そう変に考えるなよ.どうせ知り合いなんて誰もいないんだ.ここが東京からどれくらい離れていると思うんだ?
 そういう問題じゃないだろう.
 男のセリフに,彼は険を込めた言葉で言い返した.
 大体,会社に突然電話を寄越したかと思ったら,今日の最終便のチケットがあるから来いだって? だから常識がないって言われるんだ,お前は.
 その常識外れの誘いにほいほい乗ってきているお前はどうなんだよ.
 間髪を入れずにそうやりかえされて,男は言葉を無くした.
 それから,なにかを吹っ切ったのか,襟元に付いていた社章を片手で毟り取るように外して,ポケットに突っ込んでから,向かいにいる男を見上げた.
 それもそうだな.今更,お前の非常識に驚いてもしょうがない.久しぶりだから,慣れるのに時間が掛かった.
 彼が笑うと,男はふと,今し方気付いたように首を傾げた.
 そういえば,おまえと会うの,何年ぶりだったっけ?
 2年だ.
 男の問いに,まるで待っていたかのようにそんな答えが返ってきた.
 大学を卒業して社会に出たら,録に会う時間も、手紙や電話のやり取りも無くなった二人だった.
 久しぶりにおまえから電話がかかってきたかと思えば,こっちの都合や様子も尋ねずに,旅行へ行こう,だ.
 いいじゃないか.チケットは俺の金だし.どうせおまえは旅行なんて,社員旅行くらいしか行ってないんだろ?
 男の言う通りだったのだが,彼は敢えて頷いて肯定することはしなかった.
悔しかったのかもしれない.昔から行動力だけは人一倍ある男は,彼の密かな憧れでもあった.言葉や態度に出して示したことはなかったが,彼のようになりたいと思ったことは,一度や二度ではない.
 言葉が途切れて,その沈黙の中で夜空を見上げると,墨をこぼしたような空に,ひどくたくさんの星が瞬いているのが見えた.
 ああ,星が降っくるというのは,こういう感じなのだろうかと考えると,自然と男の足は止まっていた.
 静寂の中で,波止場にぶつかる波の音が,ざぁん,ざぁんと耳元に押し寄せてくる.
 空も海も,すべてが闇の中で静かに,安らかに息づいていた.その中で,街の明かりと星の瞬きが,ひどく美しく光っていた.
 その闇に,恐ろしさは微塵も存在しない.まるで,全ての人の眠りを,悪夢から護るために降りている幕のようだった.
 行かないのか?
 と,声が上がった.すでに燃えつきている煙草を携帯灰皿に押し込めて,公園の入り口へ歩き出していた男が,こちらを見ていた.
 寒いんじゃなかったのか?
 そう言われて,さっきまで感じていた寒さが,身体から消えていることに気が付いた.
 彼はこちらに戻ってくると,どうするんだ?と問いかけてくる.
 もう少し海が見たいな,と彼は答えた.
 そうすると,彼は満足そうに,眼を細めた.
 冬の海はいいだろう?
 まるで,自慢した宝物を褒めてもらえた子供みたいな反応だと,男は可笑しくなった.
 寂しいだけかと思ってた.
 そんなの,誰かを連れて来ればいいんだ.
 その『誰か』というのが自分という訳か……と,男は思った.
 なぁ……どうして,ここに連れて来たんだ? 彼女に振られたから,俺を誘ったのか?
作品名:Epsode:海 作家名:まふゆ