ゴッド・モンスター・レクイエム(ミナとユリス)
こんな珍事は誠にもって始めてのことである。店員があわてて飛んできて、笑い転げているユリスを見て、何がなんだか、分からぬまま、平謝りに謝り、被害報告を出すよう進めたが、「いいですよ、もめごとは嫌いだからここは穏便に処理しましょう。あのライトプレーンは確かにいただきました。追跡はしないでください。ですからパトロールフォークを呼び戻していただけませんか?」そう言って売り場を出た。
店員はけげんそうな顔をしていたが、店にとっても、もめごとは営業上マイナスになり、警察を呼べば膨大な書類の提出に時間と金を費やされることになる。ユリスの提案は渡りに船であったので、それ以上追求も無理強いもする事無く了承した。
ユリスはビッグツリーを出て3ブロック先の公園に来た。スリを乗せたデスプがユリスの上空で停止していたが、静かに下りて来た。地上に降り立つ、高さ20メートル手前でコックピットから飛び降りてきたのはまだ幼ささえ残る少女であった。
気が早いにも程がある。
「こりゃ驚いた、こんなかわいいスリがいるとはね」
ユリスには正直な感想だったのだが、彼女にはそれが気に入らなかったらしく全速力で走って来てユリスの顔面に彼女の右のストレートがヒットした。
彼女がもし、ピストルかマシンガンで発射した弾丸なら軽々とよけて見せるだろうが、素手となるとそうは行かない。
自分自身の至らなさと落ち度に報いる為、まともにもらった。それは女性のパンチと言えないほどの桁外れの威力だった。正確に言うと人間のものではなかった。
瞬間にして破壊力を打ち消しダメージは無くしたのだが、後方に飛ばされ、無様に尻餅を付いて地べたに倒れこんだ。
少女はかなりの興奮状態にあり、肩で息をしていた。怒りにまかせて殴ってしまったが、ユリスがなかなか起き上がってこないので少し心配になり、ユリスに近づき上から顔をのぞきこんだ。
「ごめん大丈夫か?生きてるか?手加減したつもりだったけど痛かったか?ついカっとしちまって」
少女があまりに顔を近づけたのでユリスは少女のほおにキスをした。少女は驚いて、飛び上がり後ずさりし、勢い余って、尻餅を付いた。
ユリスがこれほどの大胆な行動に出ること事態あり得ない事だが、それをさせてしまう何かがこの少女にはあった。
「な、なにするんだよ、心臓が止まるかと思ったぞ」
ユリスはこの数秒でこの子の素性は見抜いたつもりでいたが、それはとんだ誤算であると思い知らされることになる。
「フフッフッ、このぼくを心配してくれるのかい?ぼくは空を見ていただけさ、それより早く逃げた方がいい、見つかるとやばいんじゃないか?」
彼女はユリスのあまりにのうてんきな言葉に平静をとり戻したとみえて落ち着いて答えた。
「倒れたやつを置いて逃げるような卑怯なまねは出来ないやい。それに警察が怖くてスリが出来るか!今回はあたしの完敗さ、どこにでも差し出すがいいさ」そう言うと覚悟を決めたのか、腕を組み口を真一文字に結んだ。
ユリスは困った様子で額をかき、「あのー済まないがもう、空も見飽きたんで、起き上がりたいんだが手を貸してくれないか」と、これまたすっとんきょなセリフをはいた。
いつまで寝ている気だったんだ?
彼女は慌てて立ち上がり、両手をユリスに差し出しユリスを起上らせた。
「ありがとう。ぼくはユリス、きみの名前は?」
「あたしはミナ、あなたってすごく変な奴ね」ミナはユリスの瞳が優しくほほえんでいるにもかかわらず、うつろでとても悲しげなことが気になった。この瞳の持ち主は私に何の悪意も敵意も持っていないことが分かり、一人相撲をとっていた自分自身に恥ずかしささえ覚えた。
ユリスは服に付いたほこりをはらいながら、相変わらずにさみしげな笑みを浮かべた。
「そうかもね、自分じゃ分からないけれど相当変わっているかも。あっ、そうだ警察は追っては来ないから心配しないで安心してお帰り。奴は返してもらうけれどね。失礼はなかったかい?」と言って親指を立ててデスプの方を指差した。
ミナは膨れた顔をして、「礼儀知らずにもほどがあるわ。最低ね。ちゃんと教育しなおしてちょうだい」と言った。
デスプは、悠々と降りて来た。
ユリスは、「すまない、許してくれ、あいにくと乗用マシン対応では無いものでね。先を急ぐのでこれで」と言って、すぐさまデスプに乗り込み飛び去った。
さみしげな笑みを残して。
それを見送るミナの足元に小さなイタチ型のロボットが寄り添うように現れた。
「ねーチャップ、データは取れた?追跡はうまくいきそう?」
イタチ型のロボットが立ち上がり、前足で2回手を合わせる仕草をした、うまくいった時の合図らしい。
ミナはけちなスリだった。スリと言っても財布をスルわけじゃない、彼女のターゲットは金持ちが所有しているロボットや様々なマシンに組み込まれたAIプログラムチップである。現代ではマイコンと呼んでいるが、それの進化した汎用型制御システムだと思えばいい。
マシンやロボットにそっと近づき、誰にも気付かれない早業でAIプログラムチップだけを抜き取り、去って行くことから、この犯罪者をスリと呼んだ。カスタマイズされ成長した特殊なものは高額で取引され、美味しい商売として成り立つが、それ相応のリスクはある。
この時代においては、AIプログラムに人権と同等以上の権利が法律で約束されていた、その固有な人格を守るため、コピーしたら、死刑。スリや強盗で捕まれば重罪で100年はくらいこむことだろう。
ミナは今回のことでは99%捕まると思い、既に覚悟を決めていたが、あまりにも、うま過ぎる話で、まんまと逃げ切れた。
と言うか逃がしてもらったと言うのが正しい。なんだか狐につままれた気分とはこの事である。ミナはその性分からして、決して口に出して言うことは無いだろうが、今回のことは心から感謝していた。
再会
ミナはユリスのライトプレーンのAIチップのスリに失敗し、警備のマシンに追われている所を、盗むはずのデスプに助けられる。その恩義以上にミナはユリスの瞳の奥深く、暗く沈んだ何かが気になっていた。それと、実はもう一度デスプに乗ってみたかったのである。あの快感は他のマシンでは絶対に味わえない極上のフライトであった。それはミナにだけ理解できる領域である事を断っておきたい。デスプの本質に触れたということである。
デスプに乗り込み、あの時のフライトが快感である事自体、ミナの潜在能力は尋常ではあり得ない。訓練を積んだ一流パイロットでさえ嘔吐しかねない、ムチャな飛行だったのだ。
すぐにミナはユリスの捜索を開始した。もう一度ユリスに会いたいと願った。そして願わくばデスプの運転を自分の手でしてみたかった。
手がかりはスターダストの上空までである、そこまでは追跡できた。チャップがエアープレーンに装着して置いた探知機がそこで送信を絶ったのだ。
唯一の手がかりであるスターダスト上空で張り込みを続けた。その甲斐があって約3ヶ月の張り込みでユリスのエアープレーンを発見した。
「チャップ奴だ。付けるよ」
作品名:ゴッド・モンスター・レクイエム(ミナとユリス) 作家名:高野 裕三