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うそつきピエロ

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俺はとうとう自分の感情の正体を思い知らされた。
仁に対する俺の、何もかも凌駕していたこの感情。
もちろん、これまでの嫉妬と羨望も嘘じゃない。
あの瞬間、俺の中で、はっきりと形を変えたのだと思う。

ああ。
これを知ったら、仁はどんな顔をするだろう。


入籍をし、披露宴を終え、引越しを済ませる時間に沿って、仁は変わっていった。
無論、他の連中から見れば、相変わらず破天荒で、仕事熱心な奇人。

仕事熱心な――――

仁は、ひとりで仕事をすることが多くなった。
主役級で、テレビドラマに出演するようになった。
俺じゃない演出家のしつらえた主演舞台を踏むこともあった。
子どもが生まれるころには、あれだけ台本のないものはいやだと言って今の完全脚本の舞台を仕上げたにも関わらず、ラジオのパーソナリティまで務めるようになった。

これまでは俺が新しい舞台を創る間に、単独で仕事をしていた仁。
俺の台本が仕上がるのを待って、仕事をしていた仁。
今では、俺が仁の空くのを待っている。

違う。
あれは仁じゃない。
あんなのは仁じゃない。
呼んでもすぐに飛んでこないのは仁じゃない。
父親としての、一家の主としての自覚なんて意識しはじめるのは仁じゃない。

「違う、そうじゃないんだよ!」

稽古をしていても、俺はだんだん苛立つようになった。
声を荒げてしまうことが、多くなった。
どうしても、仁は俺の思うように動いてくれない。

なんなんだ、おまえは。
いつからそんなふうになったんだ。
…ああ、あのときからか。
自問自答して自嘲気味に笑うことも、増えた。
煙草をふかして、気持ちを落ち着けようとする。
その間、仁は台本を手に立ち尽くす。
もう、見慣れたいつものパターンだ。

「ごめん、賢太郎」

仁はいつも、本当に申し訳なさそうに謝る。
それも、もう見慣れてしまった。

「俺、ひょっとしてもう賢太郎の役には立たないのかな…」

煙草を半分くらいまで吸ったところで、仁は口を開いた。
いつもは、俺が煙草の火を消すのを合図に再開するまで、突っ立ったままなのに。

「…なに」

俺は苛立ちを隠せないまま、仁を促した。

「最近、俺、賢太郎のこと怒らせてばっかりだし…」
「怒ってるわけじゃねえよ」

間髪入れずに言う。

「…でも、最近の俺の、動きとか、気に入らないんでしょ?」
「だから修正してるじゃん」

仁は、台本を両手に握って、見つめる。
煮え切らない態度に、俺の苛立ちは収まってくれない。

「…やめたくなった?」

煙草の火を灰皿にぎゅっと押し付けて、消した。
その瞬間、語気が強くなった。

「え…」
「要はやめたくなったんだろ、おまえ」

底意地の悪いことを、思いっきり言ってやりたい気分だった。
仁は台本を右手に持ったまま、驚いたような顔で俺を見ている。

「もう、やめよう」
「今日の、練習?」
「……」

わざと答えなかった。
無言のまま、仁の顔をじっと見つめた。

「な、なん…なんで。え、本気で言ってるの?」

仁は本当に動揺している。
狼狽する役が似合うのでよくやらせていたが、本当にうろたえるとやはり微妙に違う。
なるほど。
いい演技をするんだな。

「ごめん、俺がんばるからさ、やめないでよ、ねえ、賢太郎」

必死な仁を見て、俺は笑いを懸命にこらえた。
努めて、冷たく言い放った。

「もう無理だよ」

どうしてそんなに動揺してるんだ、仁。
おまえ、いつからそんなに俺に執着するようになったんだよ。

「賢太郎…やだよ、俺、やだよ」

久しぶりにこみ上げてくる優越感。興奮。
あの何にも勝る激情。
「おまえが、無理なんだろ」

かつて絶対にかなわないと観念した男。
その圧倒的な魅力に嫉妬し、それでいて誰にも渡したくないと思ったほどの男。
その男は、今、俺の目の前で、これ以上にないくらい情けない顔をしている。
俺の放った言葉に。

「賢太郎…」

背を向けた俺にすがりつくように寄って来た仁は、ひときわ情けない声で俺の名前を呼んだ。

その瞬間、激情は溢れた。

振り返り、俺に触れようとしたその腕を引っつかみ、思いっきり引いた。
勢いによろけ、反射的に踏ん張ろうとする仁の後ろ首に手を入れて、乱暴に引き寄せた。

「!」

仁が手に持っていた台本が散らばる。
一瞬の硬直のあと、暴れる仁。
右手首と首を拘束されている仁は、左手で俺の右胸を押しやろうとする。

「…けんっ…」

何度も、暴力的に繰り返した。
唇が離れるたびに何か言おうとする仁の唇を、またふさぐ。

細い手首。
首根っこの肉は、意外なまでにやわらかい。

そうか。
おまえ、こんな体してるんだ―――

そんなことをぼんやり考えてしまい、仁は力ずくで俺の拘束を解いた。
両手で力いっぱい突き飛ばされて、俺は床に倒れた。
床に散った台本は、俺が倒れこんだせいでいっそう散らばった。
体を起こす。

「好きだ」

息を整えている仁が何か言葉を発する前に、俺は言った。
座り込んだまま、床に後ろ手をつく。

「…え…」
「やめねえよ。俺がおまえを手放すわけねえじゃん」

2003年のクリスマス前に受けたような衝撃を、おまえにも撃ちこんでしまっただろうか。
俺の口は、感情のすべてを吐き出していた。

俺の視線と、仁の視線が交差する。
俺を見下ろしながら、仁は何やら口だけを動かしている。
言葉を、選んでいる。
それだけで、もう俺には充分だった。

「ははっ…」

乾いた笑いが小さく飛び出し、それを皮切りに俺は低い笑いをもらした。

「うそだよ」
「えっ…」

後ろ手に力を入れて、立ち上がった。
仁をまっすぐに見据えた。

「ばっかじゃねえの、おまえ。本気にすんなよ」

そう言って笑った。
そうするしかなかった。
あれだけのことをしたくせに、俺は仁の言葉にこんなにも怯えていた。


―――本公演、初日。
舞台袖で相も変わらず俺達ふたりは緊張していた。
俺は最後の確認をし、相方はいつものようにおちゃらけて、お互いに緊張をほぐそうとしていた。

あの日、相方は俺の人生最大の演技の結果、あれを過去最悪の悪ふざけとして片付けてくれた。
最後まで完璧に演技しきれたかどうかの自信はない。
あれ以来、動揺を一切見せない相方も、何か思うところはあったかもしれない。
もしかしたら、ただれた傷の上からガーゼを巻いただけの状態で、うわべの処置で傷を隠しただけかもしれない。
たとえそうだとしても、もうあの話は、俺達の間では終わった。
ただれた傷だって、外部から触れるものさえなければ、いつかは治るのだ。
治れば、俺はもう一度、新しいスタートを切ることができるかもしれない。
その日まで、この痛みには耐えなければならないけれど。

客席の照明が落ちる。
会場が静まり、音楽が始まる。

「よし、行け」

合図を出すと、こちらをちらりと振り返り、仁は視線で頷いた。


Fin.
作品名:うそつきピエロ 作家名:千 尋